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海が資産だというのなら

夫の車が修理を終えて戻ってきた。

台風15号で受けた被害の補修等は、これで一区切りがついたことになる。

まだ完全に終わったとはいい切れない。自分でやろうと思っている補修箇所、並びに、次の台風シーズンに向けて強化して備えたい場所に手を入れる予定が控えている。とはいえ、業者依頼必須の部分に関しては終了し安堵した。

父訪問の記憶

「この町は海が資産だね。」

と、唐突に父が話を切り出した。

海の近くから離れたら、ただの田舎の辺鄙なところなだけ。だから、何かを投資するなら、この海に関わることがいいのだとか。経営の助言が生業と密接に関わる仕事をしていた父ならではの言葉だったと思う。

だが、東北の震災の直後であったため、「津波の心配」についても素直な気持ちで聞いた。

すると、父は、そういう災害や被害を「いつかは来る当然のこと」と考え、その頻度(=遭遇確率)を考えてもなお、海から恵みは大きいと思うよという言葉だった。「この土地での数字」をしっかりと確認したわけではないけどと付け加えつつも、生業で得た自らの勘への自信か、父の言葉はとてもしっかりとしていた。

海を資産として、この町に暮らす

自分はあれ以来、海はこの町の宝だと思うようになった。

市の行政方針を決めるための市民アンケートのようなものが、どういうわけか私は「よく当たる」。そのアンケートにも、この町を強くアピールする観光ポイントは何ですかという項目があり、「海」と書いた。

けれども、台風被害は海のほうからやってきた。

海岸を吹き上げてきた強風で町は大きなダメージを受けたのだ。

山の切通を吹き抜けてきた風にダメージを受けた地域もある。だが、東京湾の海上を北上していった台風15号は勢力を弱めることなく海沿いの町を破壊していった。

この立地ゆえの被害の大きさという視点も否めないのだ。

それでも海を資産として、この町に暮らす。私がそういい切れるのはなぜだろうか?

海が資産だというのなら

私自身の人生観と深いところで繋がった考え方なのだと思う。

辛いことも恵みの裏返しだと思えば、それは自分の人生に必須な痛み。

そんなことを思い始めたのは20歳を過ぎたあたりだったか。

だからもう「大人」となってからは、ずっとこのような気持ちで生きてきている。

海が資産というのなら、そのマイナスの面も恵みが姿を変えたものとして受け入れていくしかないのだ。

私自身の受けた被害が大したことないからそんなことがいえるという非難を受けることもある。それは確かにそういう側面もあるだろう。

だから、この考え方を町全体が共有することは難しくても、私は心静かに、この災害を受け入れて、人生の恵みとし手受け取ろう。

そうすればきっと心の糧になるはずだから。