子どものいない全ての人へ。『100万回生きたねこ』を読んで思ったこと
『100万回生きたねこ』を読み返したいなぁと思った。
実は、自分用には持っていなかったので、急いでお取り寄せ。すると届いた絵本はクリスマスバージョン!
荷物をあけた瞬間「わあ!」っと歓声が漏れた。
真っ赤な表紙に「Happy Christmas」の文字。おなじみの猫のイラスト。粋なことをするなぁと感心した。
このクリスマスバージョンのカバーを外すと通常版の表紙がお目見えする。どちらでも楽しめるといえばそうなのだが、この感動を残したいから、私は、1年中クリスマスバージョンのまま保管していくだろう。
◇◇◇
ところで、この本をなぜ手元に置いていなかったのか。
当時は、素直にストーリーが入ってこなかった。泣けて泣けて仕方なくて辛かったのだ。
いつか冷静に物語に入っていける日までは手元に置かないようにしようと考えた。ベストセラーでいつでも手に入るという見込みが立っていたからできたことではあったが、あの時、思い切って手放してよかったと思う。
今、改めて読み返すと、いろいろな解釈があるというだけではなく、私はこう読みたいという明らかな意志を自覚できる。
当時は闘病中であった。だから、「生まれかわらない」という選択肢を羨ましく思いながらも自分には無理だと感じ、そのような選択肢を自分に与えることを躊躇った。
だが、今は違う。
死んだらもう生まれなくてもよいように。
この人生で思い残しがないように。
そう自分にいい聞かせながら毎日を生きている。
◇◇◇
私には子どもがいない。
その点は「思い残し」ではないかと自問することもある。だが、子どものことや子育てのことは「これまでの前世でやり切った」のだと私は考えるようにした。
子どもがいないだけではなく、正真正銘子どもができない「からだ」であるゆえ、そういう「思い切り」ができるのかもしれない。
だが、私のような「からだ」であってもなくても、子どもを育てる機会を与えられなかった人には、このように考えて気持ちを楽にしてもらえたらと思うことが多々ある。
「これまでの前世でやり切った」というのは詭弁かもしれないが、詭弁で結構。
子どもがいないのは、子育てを通して人として成長するフェーズは卒業したからだと自認すれば、子育て以外での成長する「機会」に気づけるはずだ。
そういう風に考えて「現世での役割」を全うできればよいのだと、私はいつも思っている。
◇◇◇
これから先もなんとか頑張れば子どもが産めるかもという選択肢が私にはない。子どもを産み育てるための臓器「卵巣と子宮」は自分の命と引き換えにした。
大きな損失ではあったが、だからこそ、今、私は生きていられるのだ。
助かった命を生かしたいと思い過ぎて万年空回りなのは自分でも滑稽に思うこともあるが、「現世での役割」を全うするべく「問題」と格闘している。
生まれかわらなくてよいように。
思い残しがないように。
小さくても確かな1歩を積み重ねていきたい。
Happy Merry Christmas to you all !!