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価値観の変化は旅立ちを促す

いろいろなことが人生に起きて、いろいろな変化が起きる。

これまでの私の人生はそのようなものだった。

変化を起こしたいと動くのではなく、状況や心境に変化が起きて、仕方なくそれに合わせるようにするとでもいうのか。

変化を拒んで現状にしがみつくと悪いことが起きる。それに気づいてからは「去る者は追わず」の精神で未練に踏ん切りをつけて人やモノを見送るようにしてきた。

不安を感じる代わりに「変化を楽しめばよいのだ」と心の持ちようで乗り切るように努めたのだ。

◇◇◇

私は、30年以上の間、TOEICを受験してきている。

受験し始めた当時、TOEICは、それほど有名な試験ではなかったと思う。

英検では不合格だった場合に何も手元に残らないがTOEICなら目標スコアに達しなかったときにでも、どのくらい足りなかったかという目安としてのスコアが手元に残るという感覚で受け始めたのだ。

それがいつしか、TOEICは私にとって英語を勉強する「軸」へと変化していった。

心のどこかで英語を勉強し続ける限りはTOEICを受験し続けるだろうと思っていたのだが、今、その気持ちに変化が起き始めている。

◇◇◇

TOEICを卒業することに決めた。

ここ2回ほど、試験会場で、不正行為をする人の隣席に座るというめぐりあわせ。それだけでもTOEICに見切りをつけるだけの根拠となっただろう。

その上、試験監督官のだらしない対応。おそらくは試験監督の質が下がってきているのだろう。こちらからの質問や疑問への応対に「TOEICの決まり事を理解していないな」と感じることが多々あった。

具体的には、サインが枠からはみ出たので書き直したいと申し出たところ、枠内に収まっているから書き直し不要と判断され書き直しをさせてもらえなかった。そして、案の定、サインの端が切れたスコア証明書に出来上がってきたというもの。

以前なら、サインが切れていることを試験監督や受付から指摘されて、書き直していたものだ。

TOEIC運営団体の内情を私は知らない。だから、質の悪化なのではなく、別の理由があるのかもしれないが、試験そのものの体質が変化してきたことには間違いないだろう。そしてその変化を「質の悪化」と私は感じたのだ。

◇◇◇

TOEICの質の悪化を強く自覚するようになってから、英語のスキルを測定する試験などについて調べるきっかけがあり、偶然にも、web上で、英語のスキル試験を試す機会へと繋がった。

その頃から英語の勉強にも変化と張り合いがでてきたようにも思う。

たとえ不満があるとはいえ、慣れ親しんだTOEICを卒業することには不安がある。けれども、今、このタイミングは、変化を楽しむべきときなのだろうと直感する。

英語を勉強する「軸」を何にするか、どこに置くかも、まだ決まってはない。だが、これからも英語の勉強は続けていく。

不安もあるが、これは新しい旅の始まり特有のもの。そう自分にいい聞かせて先へと進んでいきたい。

価値観の変化で、また一つ新しい旅が始まったのだから。