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捌ききれない想いを抱えて

人と接すると、あらゆる感情が沸き起こる。

好感、嫌悪感、不快感、幸福感。

それらの感情を自分の中で捌(さば)きながら生きる。ここでいう「捌く」とは、感情の交通整理をして、「どの感情を採用するのか」、「採用した感情をどの程度表に出すのか」といった司令塔が担う役割のことだ。

大人になると「捌く」ことは上手くなっていく。

大人になるというよりは、大人になったと周りに映るというだけのことかもしれない。

全ての大人に捌く能力の高さがあるかというと疑問の余地は残る。だが、「大人になる」指標として捌く能力が採用されることに異論を唱える人はいないだろう。


私は、感情の捌き方がとても苦手だった。努力を重ねてきた分、前よりは上手にできるようになったはずだ。だから、今は、一見、感情の捌き方が上手だと映るかもしれない。

でも、感情を捌く能力を駆使することに全力を尽くしているため、人と会うと疲れてしまう。その上、所要で出かけた後は、自分の中で大々的な反省会が開かれる。

そして、容赦なく自分が自分を責めるのだ。

対人スキルは、そういった努力と反省の賜物といえば聞こえはよいが、精神的にタフでなければ自分を保つことが難しい。


「捌ききれない思い」を抱えることに、いろいろな名前をつけ、性格だとか、性質(たち)だとか呼び、時には病のラベルさえつける人たちがいる。

けれども、私は、その人たちの流れに逆っていたい。

この苦しい想いは自分を成長させる糧なのだからといい聞かせ、瞳と閉じて朝が来るのを待つことにしよう。