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ヘアドネーションをした今こそ「ありがとう」をキミに伝えよう。

ヘアドネーションに興味があったものの、若い頃の私は、行動を起こすことはなかった。

ヘアスタイルをコロコロと変えたい性分だった私には、向いていなかったのだ。



ヘアドネーションへの思い


20代30代の頃は「髪の毛の量が多いですよね」「髪の毛が太くて立派ですよね」と言われることが多かった。

ヘアドネーション向きの髪質だったと思う。だがすぐに行動に移すことはなく「まぁいつかはするかもしれないけど、今は色んなヘアスタイルを楽しみたい」と思っていた。

ところが、「そのいつかは永遠に来ないかもしれないな」と思うようになる。自らが毛髪を失う治療を受けたからだ。

病の治療により脱毛し、その結果、私の髪の毛はすっかり別人のようになった。細くてコシのない髪の毛になってしまったのだ。

こんなことになるならヘアドネーションをしておけばよかったと思った。けれども、後悔先に立たず。

私のような髪では、この先はもう無理だろう。そう思い始めたそばから、髪の毛はどんどん白くなっていく。ごま塩まだらの細くてコシのない髪の私。ヘアドネーションなどできるはずがない。すっかり諦めの境地になった。



50歳を過ぎて入院した私が見聞きしたものは


ヘアドネーションを諦めてから10数年が経ったころ。50歳を過ぎた私は、再び病の治療を開始する。

そのときに入院した病棟には院内学級があった。

院内学級といってもどこか特別な場所があるわけではなかった。

日時を決めて病棟の食堂を貸し切り授業を受けるというものだ。インターネット回線で授業中の教室と繋いだり、教員らしき人が傍にいて会話をしたりしていた。

私の入院していた病院は、がんに特化した病院であるから、そこにいる児童や生徒は、すなわち小児がん患者だ。

年の頃はいくつか分からない。小学校の高学年頃だっただろうか。

この病院に入ってるということは、この子自身、自分はがんであるということを知っているはずだ。その事実をどのように受け止めているのだろうか。

ある意味、がんには慣れっこの私でも、何か感じるものがあった。声をかけようにも言葉がみつからない。そんな気持ちを抱いたのだ。


キミの笑顔の理由を知って


ある時、院内学級にいたキミが母親らしき人と談話コーナーにいた。そこでキミはとても明るい笑顔だった。授業の時な神妙な面持ちとは全く違う表情。

先生に見せる時の顔とは違うんだな。私は、そういう風に思った。

母親と一緒に楽しそうな話をしているキミ。どんな話をしているのだろうかと興味を持ち、私はキミたちの会話に聞き耳を立てた。

「支えてもらった人たちにお礼状を書きたい」という話だった。「みんなのおかげで病気は治った」として、キミは感謝の手紙を書きたいというのだ。

キミの口から出てきた感謝したい人の数は100を超えていた。それだけの数の感謝状を書くなら、すぐにも始めないといけないからと、笑顔で母親に懇願する。退院までに間に合わないから、その準備を手伝って欲しいと母親にお願いごとをしていたのだ。


「感謝の気持ち」は純粋なものだとしても


改めて母親の表情を伺うと、少し複雑そうな色を見せていた。

今後の見通しは芳しくないのかもしれない。私はそう感じたが、実際のところはわからない。

100を超える数字に圧倒されただけかもしれない。唐突なお願いに驚いただけかもしれない。だが、私の直観は「それ以外のこと」を連想させた。

ただ、キミの笑顔は心からのものだった。楽しそうにキラキラとした瞳は輝いていたのだ。

あまりにもその笑顔がキラキラしすぎていて、私はとても辛い気持になった。

「感謝する!」「感謝したい!」「ありがたい!」

キミの言葉が重すぎて、私は胸がいっぱいになってしまったのだ。


私は静かにその場を立ち去った


感謝の言葉を連ねるキミの傍で私は、他人を装いながら、心の中で叫んでいた。

「キミは、まだ感謝などせずに、自由気ままにのびのびとしていたらいい。もっとワガママでもいい。世の中から与えられるだけ与えてもらうくらいでちょうどよいのだ!」

小学校高学年という年頃では、普通にありがとうをいうコトはあっても、「感謝状を書く」ほどの感謝など、父の日や母の日くらいのものではないだろうか?

そんなキミに対して、「病ゆえ急速に大人になったんだね、偉いね」などと、他人が感心してすむことではないのだ。

「そんなに感謝することないよ」という気持ちと同時に、「キミは感謝できるから偉いなぁ」という気持ちもなくはなかった。

だが、私は声をかけることをしなかった。



声をかけなかった理由は


もし私が声をかけてしまったら、どうなるだろうか。

もしかしたらキミが感謝したい人を1人増やしてしまうかもしれない。そう考えて、声をかけないほうがよいと判断したのだ。

そして私は、この胸の苦しみから行動を起こし、キミを「感謝される人」にしてあげたいと思った。

「感謝される人」にするために、私がキミとの関わりをきっかけとして何かの行動を起こす。

袖すり合うも他生の縁。キミとのめぐり合いに感謝したい。そう思える未来のためにできることを探そう。

キミに感謝するために、私に何ができるだろうか?



「ありがとう」をキミに伝えよう


キミは薄手の帽子をかぶっていた。脱毛していたのだろう。

私の髪の毛はキミに届くことはないけれど、キミと同じような病と闘う子どもの力になる。そう気づいた私の行動は変わった。キミのおかげで諦めていた気持ちに火をつけることができた。

調べてみると、白髪であってもヘアドネーションはできるのだと判った。そこから伸ばし始めて4年ほど。長く伸びた部分からは、50センチ以上のヘアドネーションをすることができた。

4年という年月は、とてもとても長かったけれど。

時々、諦めて切りたくなったけれど。

キミを「感謝される人」にしてあげたい気持ちがあったから、私は頑張れた。

名も知らぬキミ。消息を知る由もないキミ。

感謝している人がココに居ることを伝えることはできなくても、気持ちは伝わる。

だから、今こそ「ありがとう」をキミに伝えよう。