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人生を狂わす名著50

母の教え

「人生は勉強だ」

母はいつも口癖のように、そういって私を育てました。(あと「嘘つきは泥棒の始まり」もよく言われていたので、今でも嘘が下手です。。)

母は読書家で、家にはたくさんの本がありました。その影響からか、本に囲まれた空間が好きになり、中学高校時代は、1人で図書館にいっては読むともなしに一日を過ごしていました。

大学生になると、ひたすら本を集めることが趣味になりました。本のジャンルはブルーバックスやビジネス書。いかにも「勉強」らしい本を探し求め、ブックオフをはしごするのが定番の土日の楽しみ方でした。(家賃1万5千円の四畳半の家に住む貧乏学生にとって、ささやかな気晴らしでした)

社会人になり東京で忙しく働く毎日に嫌気が差し、大学生活を過ごした京都へ家族と帰ってきて、ふぅと落ち着いたタイミングで、ふつふつと本の収集欲求が高まってきました。「今なら思う存分、本を集められるぞぉっ」と。

「本と出会う本」との出会い

ある日立ちよったお店が、京都天狼院でした。

ふつうの本屋じゃない。。こだわりとか美意識、知性とか感受性とか、そういったものを感じさせる佇まいで、「ここで過ごせたら、幸せだろうなぁ」と本の空間フェチとしては、よだれものの書店で、この本に出会いました。(著者がこの書店で働いていたので、これでもかと平積みされてました)

役に立つとか立たないとかよりも、もっともっと大きな、遠くを見させてくれる存在として、「本」に触れていただけたなら。これから生きてくけっこう大変な人生を、一緒に戦ってくれるような本を、見つけていただけたなら。私としては、これ以上幸せなことはありません。

どうせ集めるなら、勉強本だけじゃなく、人生をいっしょに戦う本というのもいいかも。そう思い、ページを開いたのがすべての間違いでした。。。

読みたい本が芋づる式にふえてふえてふえて、読みきれないっ!!!「本の本」恐るべしです。。。とくにこの本の影響力は凄まじい。。。

村上春樹、カズオ・イシグロ、司馬遼太郎は、おなじみの顔ぶれ。

サマセット・モーム(京都に同じ名前のブックカフェがある「月と六ペンス」)、平野啓一郎(「私とは何か」に始まり、「本の読み方」からの「マチネの終わりに」)、恩田陸(やさしいSF「光の帝国」)。。。

「オリガ・モリソヴナの反語法」も気になるし、「死の棘」も怖いもの見たさで惹かれるし、「クローディアの秘密」は娘たちと読みたい。。。

・・・てか、名著50冊に、『この本を読んだ方におすすめする「次の本」』がそれぞれ3冊ずつのってるから、全部で200冊もあるじゃないか(汗)

真摯に興奮

でも、たくさんのおすすめ本がのってある「本の本」は他にもある。どうして自分はこれほどまでに、三宅さんを敬愛し、全面的に信用しているのか。

この世で心から憎んでいるものが二つある。
つまらない本と、つまらない読み方をする人である。
読書にしても、小説っていうひとつの芸術作品を本当にわかろうと思ったら、その書き手に追いつかなきゃいけない。
もちろん追いつかなくても小説を楽しむことはできる。それでもどっかで、私は鑑賞者として作家に追いつきたいと心底願っている。
鑑賞者としてちゃんと小説をわかりたい。そのための努力をしたい。あなたをわかりたい。
人生の時間はかぎられているし、必ずしも難しいことを勉強しなきゃいけないわけじゃない。どんな人やものに憧れて、どう自分の時間を使うかは自分で決めるしかない。
だけどそれでも。こんな本を読んだら、憧れざるをえない。彼らみたいな血の力に。
私も知りたい、と思う。
きっとあなたも、知りたい、と思うはずだ。

三宅さんは、どこまでも真剣に、真摯に、正直に本と向き合う。(嘘なんて、ぜったいつかない。泥棒になんてならない)本を著者を、もっとよく知りたい、と思っていて、本を読む人にもそれを知ってほしいと願っている。

そのひたむきな興奮が、言葉の一つひとつから伝わってくる。どの名著を紹介するときも、彼女はブレずに安定して狂っている。

しかし、いまだに私は「うげっしにたい・・・・」と思うようなことがあっても、「や、私にはまだ読んでない本が山ほどあるし、生きる!」と思って気を取り直す。

わたしはもう本を離せません。


ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!さぁ、次は何を読もうかなぁ。