リモートワークは悪なのか?

以下はあくまで私見ですが、おおよそ間違っていないと思っています。

コ○ナ禍において、半ば嫌々導入されたリモートワークですが、それによって働く人たちの意識は少なからず変わり始め、隷属的な労働に疑問を持ち始めていますが、未だ経営者側の立場の人たちはそれに気づく事すらできず、ただただ、『リモートワークなど、サボる為の口実』としか思っていません。

◆サボるかどうかは問題ではない

「リモートワークでサボらせないためにはどうすればよいか?」

働き方改革の文脈でこういう議論が出てくる事がありますが、このような考えではリモートワークも働き方改革も失敗します。

サボる社員はリモートだろうが、出社しようが、サボっています。
会社にいると、逆にそれが目立たなくなり、尚且つサボった分残業が増えるので、上から見れば「頑張っている」ように見えるのです。
現に、会社でずっとYoutubeばかり見ている、作業やリサーチのふりをして個人的なネット検索をしている、そんな光景はよく見かけます。

そもそもですが、働き方の多様化を認めて今まで埋もれていた労働力を表に出し活用し、かつ労働の量から質への変化を促して国力の衰退を防ごうとするのが、「働き方改革」の本来の目的です。
例えばリモートワークで主婦に働いてもらおうとした時、1日8時間ずっとパソコンに張り付いていてもらうなどという働き方は全く不可能です。
それらを前提に言えば、リモートワークで従業員が仕事をサボるかどうかは問題ではなく、
労働時間ではなく労働のアウトプットによって労働者を評価する仕組みを作る方が大事です。
もっと簡単に言えば、生産性さえ上げてくれれば、労働時間は短くて良い。むしろ短い方が、互いにとってメリットになります。

もっと言えば、なぜ普段からサボっていた上に、成果の上がらない人に働き方をいちいち合わせる必要があるのでしょうか?
むしろ短時間でも成果を出す、無駄に残業しない社員に合わせるべきです。

◆生産性を上げるのは働く「場所」でも「時間」でもなく「マネジメント」

リモートワークで生産性が落ちる、という主張には根拠がありません。
生産性が上がらない原因はマネジメントが出来ていないからです。
マネージャーは管理者であり、部下の「成果」を頂いて仕事する人です。
つまり部下がいかに仕事しやすくするか環境を整え、問題には対処のコーチングをするのが仕事です。

日本のマネージャーは「命令」します、「指示」します、が、これは間違いです。
部下には本来、「考えさせる」、自分で答えを見つけられるように導く必要があります。
それができて初めて、今より上の役職に昇格できるわけです。
上司の命令がないと動けない社員を量産し、その社員がまた部下を持つ、その結果、生産性は上がらないのです。

◆企業の業態が追いついていない

例えば、オフィスビルの近くに多くの飲食店があります。
コロナ禍の時ははなんとか休業したりして凌いでいましたが、万が一今後リモートワークが定着すると、これらの店は永遠に客数が戻らず、潰れることになります。
「従来型」のお店や企業は「通勤/通学」に伴う各種ニーズに依存している面がある、という事です。

既存事業経営者の集合体である経団連としては、激変を一度緩和しつつ、変化にある程度時間が欲しいというのが本音で、急激な変化は求めていない、という事なのでしょう。

メディアが声高に「コロナ禍が終息すれば・・・」とあくまでリモート化の流れが一時的であるように触れ回っていたのは、そのような背景があったからです。

◆「仕事は顔を突き合わせてやらないと失礼だ」という昭和世代の感情論

「顔が見えないと信頼関係が築けない」なんていう人もいますが、むしろ顔が見えようが見えまいが、仕事においては自ら発信したり、情報を取りに行く必要があります。
「そんな話は覚えていない」「私は聞いていない」という上司も多いですが、その場で話をちゃんと聞いていない、部下から情報が下りてくるまで自分から動いていない事は問題ではないのでしょうか?

「お前たちが出社して、私のところまで来るのが礼儀」というのは感情論でしかありません。

その結果、部下たちは上司に報告する為だけの資料作りに追われたり、進行を止めない為だけの無駄な根回しをさせられることになるのです。

◆とりあえず集まって、雑談するからアイディアが生まれる、は間違い

ただ集まって会議するだけでは、生産性が上がる事はありません。それはリモートだろうが同じ事です。
問題解決には何が必要か?皆で意見を持ち寄るから会議は進みます。

確かに、一人で考えを突きつめていると、気がつかないうちに、自分の中に「バイアス」ができてしまう事はありますが、他の人のアイディアを見る時間をもうけることで、バイアスを壊し、新たな発想が生まれます。
「一人で考える時間」と「集団で考える時間」両者を行き来しながら進めていく事で、「価値の高い集合知」は生み出されます。
ただ人を同じ場所に集める事が「会議」ではありません。

◆ただ「やる」のと「徹底する」のは違う

例えば「仕事の効率化」1つとっても、ただ時間や工数だけを短縮しようとすれば、人は無茶をするしかなくなります。
作業の時間を構成している動きや仕事の中身を改善する方が、自然と効率化していく事になります。

リモートワークについても、結局のところ、コロナ禍において、ただ「やらされた」だけです。
どのように行うのが正解だったのかもわからないまま、参加者全員が、その意味や意義を理解し、徹底したのではないので、業務にどの程度影響があったのかの検証すらまともにされていません。それではやる意味がありません。

これらの事に気づいている経営者の方々は、果たしてどのくらいいるのでしょうか?

このままで良いのか、改めて考えてみる必要があると思います。

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