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継がれる果実

 白いかんばせに、赤い唇、星を散りばめたように艶やかに長い黒髪。
 とにかく美しい女。
 彼女は、そう評されるに相応しい隣人だった。

 小さな村に、女が一人住んでいた。
 一人暮らしであるというのに、ゆったりと過ごす彼女は世俗からかけ離れた存在に思えた。事実、生活感がなかった。
 いつ見てもしゃんと伸びた背筋にまとう和装は季節ごとの花をあしらったもので、乱れたところなどひとつも見あたらない。
 楚々とした所作と同じく声音も優しく、唇の端をほんの少しだけ上げて形作られる微笑みは、天女のそれのように思えた。
 程良い距離感を保つ人付き合いのおかげで近所の者の間で悪い噂が立つこともなく、むしろ、周りの者はとにかく美しい女がこの集落に住んでいることが自慢ですらあるようだった。
 美しい女が住むという話は集落の外に広がり、それほど美しい女がいるのかと近隣の村々から見物人が現れるほどとなった。
 そんな女がどのような婿をとるのだろうかと周りは興味が尽きず、いやいやむしろ実は夫がいるのではだとか、実は遠くの身分の高い御方の囲われ者なのではないかとかさんざっぱら噂されるほどであった。
 しかし、そのような陰も見ることはなく。女は日々、淡々と、楚々と、慎ましく生きていた。
 このままゆっくりと、この村で美しく生き、美しく老いていくのではないのかと誰もが思い始めるほどに、女は毎日その家でゆったりと過ごしていた。
 隣人である己でさえも特に関わりが深くなることもなく、毎朝挨拶を交わし、時には作物の出来映えなどを相談しあい収穫を交換し。そんな日々を送っていた。

 けれど、変化のないように思われた日常は、突然終わりを告げた。
 ある満月の一夜、女は山に入ったまま戻らなかった。
 集落の者は皆、何事かと心配していたが、そんな気持ちをよそに、女は翌日の昼に無事に戻った。
 だが、戻った女はその腹に子を宿していた。あれこれと村の皆は声をかけてどうしたのかと尋ねたが、不思議なことに、女は何も覚えていないという。
 ”あまりの美しさに山の神が見初めたか”
 周りがおそれおののく中、女は山に入る前と同じように淡々と過ごし、日に日に大きくなる腹を幸せそうに撫で、過ごしていた。
 そうして、とうとう月が満ちるのが十を数える頃。
 女は、玉のような女の赤子を産み落とした。
 そして赤子を産み落とすと同時に息を引き取った。
 忘れ形見となった赤子は、さすが女の産んだ娘だと納得するほどに美しく、すくすくと成長していった。
 その姿は女にうり二つと称されるほどで、その面差しに父を感じさせるものは一つも見あたらぬほどだった。
 しかし、娘は長じても言葉を発することはなく、表情すら浮かべることはない。
 やはり山の神か、もしくはもののけか、とにかく人ならざるものの子を孕んだのかと周りの者は考えた。
 娘は親の事情を知ってか知らずか、おとなしく慎ましやかに過ごしていることで村の誰からも疎まれることはなかった。
 女も娘も特に災いをもたらすわけでもなかったこともあったし、なにより心優しく善良な村の民は女のことを慕っていたのもあって、むしろ娘を憐れんで気遣ってやったりもしていた。
 ただ、不可思議なことに女の娘は、言葉も表情もまったく表に出すことがなかった。それでもやはり、村の皆は不思議と娘を邪険にすることはなかった。
 娘を疎む心が浮かばなかった、ということが正しいのかもしれない。
 しかし、隣人である己だけが知っていることがあった。
 誰にも言うことはできないが、実はこの娘、声も感情も、表情も持ち合わせている。それを表に出していないだけ。
 説明しがたい理由がゆえに、娘は何も表に出すことはないのだ。
 きっかけは、三つを数える年となった頃。娘に声をかけたことがあった。なんのたわいもない話だったはずだ。

 ”母からの縁もあることだ、隣人である己を遠慮なく頼っておくれ。”

 親心にも似た感情から出た言葉だった。
 娘は俯けていた顔をゆっくりと上げ、声をかけた人物を眺めると、軽く首を傾け。
 それはそれは美しく微笑んだ。
 慎ましやかで楚々とした、けれど艶めいた笑み。
 唇の端を少しだけ上げる仕草でもって。母である女のそれにそっくりな笑みで、同じ声音がありがとう、と小さく告げた。
 初めて聞いた娘の声音もまた、女のそれと同じ響きであった。
 そっくりではなく、まさに女そのもの。
 娘のそれを見て、聞いて。隣人は不意にある話を思い出した。伝説のようなそれ。
 命を受け継ぐ業がある。それは命をもって行われる。不老不死に似たそれは、山の中に隠されている。
 そしてその業を使うことができる者は、何度も何度も繰り返し命を継いでいるのだ、と。
 背筋を粟立たせた隣人の様子に気づいているのかいないのか。よろしくお願いします、と娘は頭を下げた。
 あげられた面には、変わらずの微笑み。
 命を継ぐ業。それはまるで咲いた花が実を結び、種を受け継いでいくように。
 受け継がれるのは女の命、女の美しさそのもの。かくしてそれは受け継がれたのだと、隣人は確信したのだった。

 永久を体現するのは、受け継がれ、在り続ける美しさ。

テーマ「流」
一文「かくしてそれは受け継がれた。」
(いつかのタイミングで募集したお題のお話)

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