紫陽花

 ずっとずっと不思議だった。
 目の前に映るものの、全てが。なにもかもが。とてもとても、不思議だった。
 ある日私は尋ねてみた。
「どうして人は人を好きになるの?」
 母は笑って答えた。
「さあ、どうしてかしら?でも、母さんは父さんのことがとっても好きよ?」
 偽りの無い素直な言葉。その声音が、甘さと幸せを含んでいた。
 そして、
「あなたのことも好きよ。私の大事な人たち」
 続けられた言葉は私に対してのもの。慈しみがさらにまして、くすぐったいような気がして。
 けれど、そのときにはわからなかった。
 それがどれだけ幸せな事なのか。
 そして時は経ち、私にも人を愛するという感情を覚えた。
 ただ、それは幼い頃の母の無償の優しさや慈しみの心と同じだとは思えない。

 それは例えば移ろいゆく言葉のように。
 色が変わりゆく紫陽花の花びらのように。
 満ち欠けする月のように。
 とらえてもとらえきれない波のように。
 ざわめき、心にぽっかりと開いてしまった穴のように。
 なくなって初めて気付く幸せ。

 儚い幻想の夢の中。
 ずっといられたら良かったのに。
 優しいゆりかごの中で眠っていたのだとやっと気付いた。
 父を心から愛していた母の心。
 私に大好き、と言葉とぬくもりとくれた母の心。
 それは真の無償の愛。
 永遠に続く優しい夢。
 やっと手に入れたと思ったやすらぎはするりと手の隙間から抜けていった。
 今でもそっと思い出す。
 優しい子守唄のように。
 かけがえの無い夢を抱えて。
 私は生きていく。

―――これから手に入れる優しい夢物語を大切な誰かに伝える為に―――

 雨の中、七色に花開く花弁が、虹を連れてくるように信じて。

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