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柳薄荷

 私は今日、殺される。
 物騒な話だが、目の前の事実は私にそう思わせてしまうほど、衝撃的なものだった。

 任務、未達成。

 それすなわち、死。
 真っ赤な舌と、真っ白な尖った歯。大きく開いた口からのぞく赤と白が、ぐんぐんと近づいてくる。
 とっさに手をかざしてみても、家を越すほどの巨体に対して、人間の腕二本で防げるはずもない。
 呪文を唱えようと開いた唇は、はくはくと動き息を吐くだけで全く意味をなしていない。
 仲間は別の魔物に対応していてこちらにかまう余裕などありはしない。
 私の目の前にいる魔物は、背後から突然現れた。
 最初は余裕で対応できるはずだった。

 南の森の少し奥、中級の魔物が出たため退治を要請する。

 私が所属する魔法師団に来た依頼は、このようなものだった。
 メンバーに選ばれたのは、上級魔法師一人を筆頭に、中級魔法師が三人、下級魔法師一人であわせて五人。そのうちの一人が私だった。
 攻撃魔法を使える者、補助魔法と回復魔法の使い手とバランスを考えて作られたメンバーだったが、今回は中級中心に加えて上級魔法師もいるということで、下級魔法師である私も実戦経験を積むのに良いと呼んでもらえたのだ。
 私の得意魔法は火属性の攻撃中心。上級魔法師が攻撃魔法のエキスパートということで、補助的な役割を任されていた。
 重ねて言う。余裕で対応できるはずだった。
 南の森の魔物は確かに中級だったが、少し手ごわかった。その時点でおかしいと思うべきだったのだ。
 魔物たちが連携をとって襲ってきているとは、考えていなかった。

 迫る獰猛な口を他人事のように見つめながら、ああ、死ぬなと思う。
 かざした手からは炎が生まれる気配はない。
 このまま魔物に美味しく食べられてしまう。こんなに小さい人間ひとりじゃ、おやつくらいにしかならないかもしれない。
 おやつ、それを思って思い出した。親友にもらった珍しいお菓子、まだ食べてない。
 下級魔法師でありながら中級の魔物討伐に向かうプレッシャーに気を遣ってくれて、帰ったらご褒美もくれると言ってくれていた。
 でも現状はどうだ。私はいま、魔物のおやつにされてしまいそう。

 私だって、おやつ食べたい!!!

 人間、いざとなると思考が単純化されるらしい。
 おやつが食べたい。その欲求のみで頭の中が満たされる。
 甘いシロップのかかった、焼き菓子。香ばしいナッツと乾燥ベリーの振りかけられた、ひとくち食べたら幸せになることだろう。

『隠し味は、ほんの少し、すぅっとする香りなのよ』

 親友の言葉が脳裏によぎる。なんだそれ、めちゃくちゃ食べたい。

 おやつが、食べたい。

「私は、おやつが、食べたい、のよっっっ!!!!!」

 叫び、体に力がこもると、かざした手が熱を持った。
 ぼたり、と頬に魔物のよだれが落ちた。
 瞬間。閃光が目を焼き、目の前が真っ白になった。
 音すらしない状態で、なぜか仲間が自分の名前を呼んだことだけはわかったが、耳には届かずにそのまま意識も真っ白に塗りつぶされた。

 :-:  :-:  :-:  :-:  :-:  :-:

 目覚めたのは、寮のベッドの上、ではなく。なぜか王宮の一室だった。
 面倒を見てくれていたメイドは、私が気を取り戻したことを知ると歓声をあげて人を呼びに行った。
 目を白黒させるうちに身支度を調えられたと思ったら、部屋には親友が飛び込んできて抱きつかれ、ついで南の森に同行した魔法師とともに、魔法師団長が現れた。
 寝ぼけ顔と頭の状態で他人に会うのは気が引けたが、目にした面々の異様さに飲み込まれる間もなく親友以外が私の目の前にひざをついた。
 さらに驚く間に親友もまたひざをつくし、呼ばれた呼称が「聖女様」でなにがなにやらわからない。

「私が聖魔法を使った、んですか」
「どうやら、あなたには『聖女』の資質があったようで」
「はぁ。私、魔法学校で火魔法だって選定されていたはずなのですが」

 魔法師団長が言うには私が聖女の力を発動し、南の森に突如現れこちらを襲ってきた上級魔物を滅したらしい。
 聖魔法の使い手は少なく、一瞬で魔物を浄化するほどの力を持つ魔法師は「聖女」と称されるのは知っていたが、自分が呼ばれることになるとは思っていなかった、
 魔法師団に入る前に、魔法のいろはを学ぶ魔法学校では、入学試験の一つとして資質を計り、得意な属性の把握が行われる。
 その際に言われた私の属性は、確かに火であったはずだが。
 そう訴えると、団長が言うには、選定時に光が見えたとのことだが聖魔法の使い手が少なすぎるがゆえにうまく伝わっておらず、火と見間違えたらしいとのこと。
 なるほど、いくら頑張ってもそれほど実力が上がらなかったわけだ。同じだけの年月を過ごしてきた親友は、あと一歩で上級魔法の使い手と呼ばれるところまできている。
 あまり気にしていなかったが、不得意ならば火魔法が使えただけましだったとすとんと納得した。

「つきましては、『聖女認定』の儀式を行いたいところですが」
「ちょっと待ってください」

 制止を口にした私に、魔法師団長と魔法師たちがぎょっとした。まさか断られるのではという恐れとおびえ。
 親友は何やらしたり顔なのが、さすがというべきかなんなのか。
 まさか、断ることは考えていない。これでも魔法師団に属する魔法師のひとりだ。
 魔法師団は国を守るために存在する。その意義は身に染みついているし、誇りとなっている。
 また、『聖女』の尊さと大切さ、その意義もまた聞き及んでいる。やるべきことがあるならば、やるべきだし、やるしかない。
 使う魔法が変わろうが、その気持ちは変わらないのだ。
 だけれど、その前に。

「私のおやつ、まだありますよね」

 私の本当の素質を気づかせてくれたきっかけを、私はどうしても、一刻も早く、口にしたいばかりだった。

”その聖女、聖なる魔法を持ちて国を救えり。
 慈雨なる光は魔を滅し、癒やし、心根さえ変わらせり。
 人々、聖女を愛し、せいじょもまた人を愛した。
 聖女、清浄なる香り放つ焼き菓子を好まれり。
 焼き菓子を楽しみ人々に振る舞うその姿は女神のごとく。
 国はその焼き菓子もまた聖女のごとく愛し大切にしたと伝わる”

柳薄荷(ヒソップ)
9月10日誕生花
花言葉は「清潔」「浄化」


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