朝顔

 それは、雅な都があったころの話。
 人の子は文と御簾ごしの顔を見て、「会う」「見る」が「結婚」の意を表していたころの話。

「飾り気のない……」
 ふと、言葉が漏れて、顔をしかめる。同時にため息も漏れた。
 求婚の誘いの意味を持つ文がパラリ、と文机から落ちた。
 それを拾い上げて、思いついたようにつれづれと和歌なども書いてみるが、思ったよりも出来が悪い。
 つづらをのぞいて取り出してみたのは、昔々の恋の思い出。
 優しい詠。
 断ってしまったのはなぜなのかと自問してみるが、答えは返らない。
 もう一度ため息が漏れた。
 シュルリ、と衣擦れの音だけが室内に響き渡る。
 衣を引き寄せ、気温は暖かいのに心は寒いのを耐えるようにしながら考える。
 なぜ、一人で考え込まなければならないのだろうかと。
 一番愛してくれた人は、この地にいない。遠い戦場に旅立ってしまった。
 愛しい人はまだ帰ってこない。思いは預けたまま。
 思う心は遥か彼方の、愛しい人のもとにあるのに、抜け殻のような心は苦しみを訴えてくる。
 どうしてかわからない。
 否、わかっているのに目をそらしている。
 自分は『寂しい』のだ。
 傍にいられない。寄り添えない。大事な人がいないと、笑うことも出来ない。
 そんな苦しみが心を、体をさいなむ。
 身を縮こまらせて、季節が過ぎ去ってゆくのを待つ。
 愛しい人が帰ってくるよう祈りながら。
 ふと、顔をめぐらすと色とりどりの大きくつぼみ開いた花が目に飛び込んだ。
「ああ、もう夜が明けたのね」
 夜明け頃咲く花。
「朝顔……」
 つぶやいて、透垣に近付いて、そっと手を伸ばす。
 中に白いかんばせを持つ花弁は伸ばした手にこぼれるように落ちた。
 薄青に一筋紫を混ぜた、爽やかな色合い。
「もう一首、作ってみようかしら」
 花を文机の傍らにおき、筆をとって和歌を扇に書き付ける。
 書くのは、戦場にいる愛しい人への願い。
『どうか無事に戻ってきて』
 そう祈る心。
 書き終えた扇に花を乗せ、また透垣に立ち戻り、空を見上げる。
 手を差し伸べるとその手を掴む者がいた。
「誰?」
 尋ねると、優しい声が身に降った。
「戻ったよ。待っていてくれてありがとう」
 手に持つ扇を差し出して笑った。
「お帰りなさい。待っていました」

 朝顔が、日と人を呼んだ話である。

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