西山ゆりこ『句集 ゴールデンウイーク』(朔出版・平成29年)
みなさま、こんにちは。
今日は句集です。
あどがきによると著者 西山ゆりこさんは20歳から俳句をはじめて現在40歳。夢、希望、孤独、挫折をうたい、やがて母となりゆく作者。
俳人 阿部みどり女の「写生に始まり、写生に終わる」の精神を受け継ぎながらも、その俳句は写生の域を超えてリアルな言葉で読者の胸に迫ってきます。
一定の機械音があることで却って無言の空間が重々しく感じられる。
「無音」ではなく「無言」である。
主体は誰かと相対しているのだ。人間ではない何かと。
暗緑色の葉に白い花。私が幼少期に見たどくだみは家の裏手の薄暗いじめじめしたところに繁茂している植物で、あまりよい印象はなかった。
歳時記をひらくと「十薬のさけずむたびに増えてをり」(大牧 広)の句が載っていた。薬効が多いことからどくだみは十薬とも呼ばれる。
なかなか辛辣な句だが、「増えてをり」には私も共感してしまう。
さて、掲句ではパッとしないと思われがちなどくだみもきちんと活けてあげれば花らしい姿になると言っている。
※正確には、白いのは花ではなく総苞で、苞の中心についている黄色い穂状のものが花とのこと。ときどき見られるパターンですね。
言わないといけないと思いつつ、つい先延ばしにしてしまっていたこと。
いつも頭の片隅に錘のように座していた案件をついに言ってしまった!
言い終えてしまえば、心がすっと軽くなった感じがする。「涼し」という季語が生きている。
また、「なりにけり」という措辞がおおらかでめでたい。読者として俳句を読む愉しみはこういうところに宿っているのだと思う。
「遠くの人」とは、もう亡くなってしまっている人なのかもしれない、と思った。
引っ越しのとき、部屋の家具や荷物をすべて搬出してしまう。
残ったのは何もない余白としての空間。
それはあたかも月の光を容れるための箱のようだ。
詩情に富む美しい句である。散文ではあらわすことのできない美質を強く感じる。
顔をくしゃくしゃにして笑う…では句にならない。
膝掛けという着眼点が実に巧みである。
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