見出し画像

『普通』って

今回は『普通』についてぼくの考えを。

まずは『普通』の辞書的な意味から。
普通…ごくありふれたものであること。
         それがあたりまえであること。また、そのさま。

きっと人生の中でもよく使う言葉の一つですね。
「普通は〇〇だよ」みたいな感じで。
ぼく自身もよく使います。

そして最近、この『普通』って感覚は
どうやらものすごく丁寧に扱わなければいけないな、
ということを考えるようになりました。
#27歳でようやく
#遅すぎ

まずは現段階でのぼくの結論から。
それは、
世の中に『普通』というものは存在していない。
ということです。

例を挙げます。
ぼくたちは『普通』、お箸を使います。
でも世界には手で食事をする人がたくさんいます。
彼らにとっては手で食べることこそ『普通』なのです。

こんな例は山ほどあるでしょう。
そう考えると『普通』というものは、
あくまでも個人(あるいはある一定の集団)の中でのみ
存在するものでしかないのです。
#ここまではなんとなくわかってた
#多くの人もこれは当然の理解

世の中に『普通』が存在しないことは分かったと思います。
ではこの『普通』を学習に応用しながら
今回の記事は進めていくことにします。
#ここからが今日のメイン

ぼくが中学生の頃のお話を。
中学生になると定期考査が始まります。
ぼくの定期考査に対する『普通』は
『全教科80点以上』でした。

これはぼくの『普通』ではなく、
ぼくと母の中での『普通』でした。
なので80点以下を取って帰るもんなら
めちゃくちゃ気まずかったです。

ぼくは集団塾に通っていたのですが、
あまりにも点数が低かったときには
その単元を復習するために個別コースも
追加で授業を受けさせられることもありました。
#今考えたらめちゃくちゃありがたい
当時は、「だったらお前は100点取れるんか」
と思ってばかりでした。

でも全教科で80点以上取ると学年では
20位以内(学年約130人)には確実に入れていました。
つまりぼくの『普通』は学年全体で見ると
『普通』より『上』だったということになります。

受験勉強に本気を出すようになってからは
90点が『普通』になっていました。
#これくらい取ると学年2位とか
ぼくにとっての『普通』はもう他の人にとっては
『異常』くらいになっていました。

何が言いたいかというと
勉強における『普通』の基準を上げれば、
成績は上がるよ

って話です。

90点以上が『普通』だったとき、
ぼくは90点以上を連発しても特に喜びはしませんでした。
むしろなぜ100点が取れないのか、
と悩んだり悔しがったりがほとんどだった気がします。

『普通』の基準を上げるには日々の生活における
勉強の量と質を上げる必要があります。
また、確実に点数を取るための方法を考えます。
つまり『普通』の基準が高い人間は、
生活そのものの『普通』の基準が上がると考えます。

毎日2時間勉強する人にとって
1時間の勉強は少ない。
一方、毎日勉強しない人にとって
1時間の勉強は多い。
これが『普通』を更新しなければならない理由です。
同じ1時間の勉強に対する感覚の差は
テストの点数に直結します。

ぼくがこうして生活していられるのも
『普通』を更新したり、疑ったりしてきたからだと思います。
学校の先生の働く環境を『普通』と思わないように
先生以外の職種の人と交流を続けたからこそ、
先生という職を辞めるという選択肢を持てたと思うからです。

たまに勉強するのが『普通』の人、
テストで平均点すら取れないのが『普通』の人、
そんな『普通』でいいのかな。
世の中にはもっと違う『普通』をもつ人で
溢れているから、気をつけてね。

あとそれから、
中高生には大変残念な話も少しだけしておくね。

中高生の『普通』には親の『普通』がけっこう影響します。
#これは深く踏み込むと毒を吐きそう
#ここまでにしておく
親が勉強しなくても怒らないっていうのは
本当の優しさなの?とかね。
#このお話はフィクションです

今回の話をまとめると
①世の中に『普通』は存在しない
②『普通』の基準を上げないと痛い目に合うよ
でした。

自分の『普通』を見直す機会になれば幸いです。
ぼく自身も『普通』を見直して
再構築してみたいと思います。
ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?