見出し画像

11歳のAさんがぼくの人生を変えた

今日はぼくの過去からお話を。
有益な情報は特にないです。
自己紹介の一部のような内容です。

ぼくが学校の先生を目指そうと思ったのは、
高校生の頃です。
進路を考えるようになったとき、
人と直接関われる仕事をしたいと思い、
先生を目指すことにしました。
ちなみに高校生の頃は
中学校の先生になろうと思っていました。

人と直接関われる仕事、っていうのが抽象的ですよね。
こんなことを思った背景には、
幼少期の微かながら、
それでいて強烈な思い出があるからです。

時は平成。
#そんな前じゃない
#昔話みたいな導入
ぼくは休日に父の仕事場に着いて行った。
そのときの記憶だけはすごく鮮明にあって。
ものすごーーく大きな部屋。
そこに並ぶ無数の机と椅子、そしてパソコン。

それを目にしたとき、
当時のぼくはゾッとした記憶があった。
大人になったらこんなところで働くのか、と。
今になって考えれば、休日で誰もいないことが
そうさせた大きな要因の1つだとも言えるが、
当時のぼくにはトラウマのようで、
それが高校生のぼくの進路にも影響した。

誤解を招かないように付け足しておくが、
父の勤め先は誰もが知るような会社だし、
もうすぐ退職のときを迎えるまでそのような会社で
活躍し続ける父を尊敬している。

話を数年前に戻す。
高校生のぼくはそうして教育学部への進学のため
大学受験の勉強をしていた。
まあ、成績は引くほど上がらなかったから、
あれを勉強していたと言っていいのやら。

1年間の浪人生活を経て、
ぼくは横浜国立大学の教育人間科学部に入学した。
そしてこの4年間の中に、ぼくの人生を変える
大きすぎる出来事が起こった。
教育実習だ。

横国には附属の小学校が2校ある。
附属小での実習は1クラスに学生が4人配置されるため、
通常の実習よりも負担が少なかった。
中学校の先生になりたかったぼくにとって、
小学校の実習はそこまで気持ちが前向きになるものではなかったので、
ぼくは附属小での実習を選んだ。
ここで出会う1人の児童が人生を変えた。

ぼくは5年生のクラスに配置された。
担任の先生はすごく優しくて熱心で、
何より授業がめちゃくちゃ面白かった。

そしてそのクラスにいた1人の児童。Aさんとしよう。
今でもその子の顔と名前だけは鮮明に覚えている。
Aさんは初日からすごく懐いてくれた。
休み時間になる度に話に来てくれて、
たくさん話して、たくさん遊んだ。

しかし、ある日からそれがピタリとなくなる。
それだけではない。
ぼくに対して露骨に嫌悪感を出すようになった。
何がきっかけかも分からず対応もできなかった。
幸い、クラスの他の児童との関係性ができていたので、
実習を進める上で、困難までにはならなかったが、
どこかモヤモヤした気持ちが残る日々だった。

実習も残り数日となったある日。
Aさんから話しかけてくる回数が増えてきた。
最終日に近付くにつれて日に日に。
最終日なんて今までの嫌悪が嘘のようだった。
朝は学校の最寄り駅から一緒だった。
(めっちゃつねられてアザができていた)

それからもその日は終始寄ってきて、
まるで初日の頃のようだった。
振り返ってみると、Aさんがそのようになったのは
ぼくが他の児童とも仲良くなってからのようだった気がする。
自分だけが独占できなくなったことへの嫉妬などが
大きな原因だったのかもしれない。
#自惚れんなって言われそう
#でも他の実習仲間からもそう言われてた

最終日には手紙のプレゼントをもらう。
きっと一度は作ったことがあると思う、あれだ。
全員の手紙を読むとAさんだけ白紙だった。
それもそのはずだ。
友達にもぼくの悪口を言っていた手前、
そんな手紙に感謝の言葉など書けるはずがない。
5年生は精神的に大人になる最中だ。
思春期特有の複雑な感情が故の手紙だった。

そしてお別れの会が終わった。
ぼくは恥ずかしながらすごく泣いていた。
あまりにも充実した日々が終わることが
ただただ寂しくて悲しかったからだ。

そして帰りの会の時間。
Aさんは慌てる様子で何かを書いていた。
さようならをしてみんなが教室を出ていく。
そのときAさんがぼくのところに来て、
手に持っていたものをスーツのポケットに押し込んだ。

その実物がこれ。
ぼくが手に取ろうとすると、
「家に帰るまで絶対に見ちゃダメ」
と強く言われた。
ぼくは「ありがとう」と伝え、
そしてそれがAさんとの最後の会話だった。

中身を見るのは少し怖かった。
ぼくを嫌っていたAさん。
とんでもない悪口が書いてあったら凹むなぁ…
せっかくいい気持ちで終われたのに…

でも何が書いてあるかはなんとなくわかった。
Aさんの「家に帰るまで絶対に見ちゃダメ」
という言葉で。
またこれも思春期特有のやつだ。

誰もいなくなった教室でぼくは恐る恐る中を見た。

慌てて書いたことがよくわかる。
「絶対」が「全体」になっているから。
ぼくはこの手紙を読み、涙が止まらなかった。
どんなに嫌われていても、ぼくなりにAさんを思いながら
実習をしていたことがちゃんと伝わっていたような気がしたからだろう。

余談ではあるが、実習後に何度か附属小を訪れた。
その際にはAさんは一目散に話しかけに来てくれて、
授業で作ったものをプレゼントしてくれたこともあった。
#自惚れではなかった証拠ね

実習は今から5年も前の話だが、
ぼくはこの手紙を今でも財布に入れている。
教員採用試験を受けたときはお守りとして
スーツのポケットに忍ばせていた。
ぼくが小学校の先生になれたのは
この手紙があったからだろう。

今、Aさんは高校生になった頃かと思うと、
時の流れの速さにはただただ驚く限りだ。
もし世界中の誰にでも会えるのなら、
成長したAさんに会ってみたいものだ。
そして、この手紙のお礼を改めて伝えたい。

ぼくが小学校の先生を目指した過去。
1人の児童との出会いが大きなものだった。
11歳の人間でも1人の人生を変える力があるのだ。
ぼくもこれからの人生で
そんな経験ができたらと思うし、
そのためにできることを頑張ってみようと思う。

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?