見出し画像

スクエニ自身が越えられない偉大すぎたFFⅦ

ファイナルファンタジーⅦにリメイクが出ると聴き、クラウドの顔を見てみるともう美青年っぷりに拍車が掛かり、ハードの進歩を感じています。
初めてファイナルファンタジーⅦが出た時も当時としては最新の技術を使いつつ、それまでのFFの世界観から大きく変わってSFチックな世界観を舞台にしたストーリーも衝撃を持って迎え入れられました。当時はユフィがとても大好きで、最終パーティには必ずユフィを入れていたことを覚えています。
それにしても未だリメイクが作られるなど、発売から20年経った今ですらファイナルファンタジーⅦはスクエニの大きな収入源となっているのですね。
こう考えますと、スクエニ自身がファイナルファンタジーⅦを超える作品を作れていないんじゃないかなと思うことがあります。
私がプレイしたFFはⅡ、Ⅲ、Ⅵ~Ⅸなのですが、ひとまず動画で視聴したファイナルファンタジーも含めてⅦを軸にしたファイナルファンタジー観を見直してみたいと思います。

Ⅰ:任天堂からソニーに主導権が移った時期

ファイナルファンタジーⅦはスクエニ・・・いや、スクウェアにとって、偉大過ぎた作品になってしまったのは疑いようもありません。
これはⅣで導入されたアクティブタイムバトル以上の衝撃があったのだろうと思います。
Ⅶが偉大過ぎる作品になってしまった要因は幾つもあるのですが、その一つがハードウェアメーカーの変更というところでしょう。Ⅰ~Ⅲまではファミコン、Ⅳ~Ⅵまではスーパーファミコンでした。ここまでのメーカーというのは知っての通り任天堂です。
そう、1997年にファイナルファンタジーⅦが発売されるまで、世の中のハードウェアはまだまだ任天堂の時代だったのです。選べたハードなんてほぼ任天堂一択!
それがファイナルファンタジーⅦの存在によって「プレイステーション」というものが広く認知され、世の中は一気にプレイステーション時代へと舵を切ったのです。
FFⅦ以前にもプレステでロープレを出していたメーカーはありましたが(ツインビーRPGとか)FFⅦは一気にプレステ時代を作ったのです。
Ⅶはキャラクターこそポリゴンでしたが、建物や風景は非常に実写に近くなりました。いま神羅ビルを見ても、20年前のゲームとは思えないほど完成度は高いと言えるでしょう。そのため、Ⅹになってプレステ2に変わったと言っても、メーカーはソニーのままですし、Ⅸまででもグラフィックはだんだん進歩していたので、Ⅶほど衝撃は大きくは無かったと思います。

Ⅱ:中世からSFへ・・・

ファイナルファンタジーⅦがそれまでの作品と大きく違うのは、作中の時代軸です。少なくともⅠ~ⅤまでのFFは中世を描いた作品であり、かつプレイヤーと制作側で持っていた共通のコンセンサスに『クリスタル』が存在していたわけです。
そこから前提が崩れたのがⅥでして、FFⅥは近世と産業革命の中間辺りの時代観になりました。クリスタルは登場せず、代わりに機械が登場します。Ⅴのオメガのような古代兵器ではなく、エドガーがバイオブラストやらドリルを使い、ガストラ帝国は最新の技術を使って魔導アーマーやスピットファイアを開発しております。
そこからⅦになった時、一気に近未来の世界観に変わりました。時代観を反映してか、PHSが通信手段として登場します。
その後もⅧでは未来チックな雰囲気が継承され、Ⅸで一度原点回帰が目指されました。これもⅦが衝撃を持って迎えられた要因の一つでしょう。

Ⅲ:エアリスを超えるヒロインを作れなかった

FFⅦを偉大にさせ過ぎてしまった存在として、エアリスの存在は外せないでしょう。個人的に一番好きなのはユフィですが、じゃあユフィが他の作品の女性キャラと比較して際立った特異性があるかというと、そうでも無いのです。ファイナルファンタジー全体を見ても、エアリスというヒロインは特別過ぎる存在と言えるでしょう。
判っての通りエアリスは旅の途中で命を落とします。もちろんⅥまでのFFでもたくさんのキャラクターが亡くなってますよ?
じゃあ参考までに沢山仲間が死ぬⅡを見てみましょう。
ヨーゼフ、ミンウ、リチャード。他、スコットの兄はスマホゲーム版で死後の世界で初めてメンバーに加わります。また、恐らくファイナルファンタジー全般を通して一番人が死亡者が多いのは多分、ⅡかⅥです。戦争によってたくさんの民間人も戦火に巻き込まれたので(特にⅡはそういう描写があります)Ⅶに比べるとⅡやⅥが単純人数では最も犠牲者が多いでしょう。
Ⅳではテラが、Ⅴはガラフ、Ⅵはドマ城の住人、レオ将軍と????が落命します。ただ、これらは全般的に男性であり、エアリスは女性です。しかもFFⅦの隠れステータスである好感度が簡単に最大になるエアリスです。多くのプレイヤーが「エアリスとデートをした」はずです。いえ、デートをしたのはクラウドですが。
ただ、鬱屈としたミッドガルの中で「じゃあねぇ、デート一回」で始まって約束通りにデートした女性が命を落としてしまうのです。そしてエアリスの死後、幾度の苦難を経て、クラウドは本来の自分を取り戻していくのです。

Ⅳ:ラスボスがテライケメンという罪

Ⅶは何もエアリスだけに魅力があるわけではありません。ラスボスであるセフィロスにも人気があるのです。だってセフィロス、ファイナルファンタジー界のラスボスきってのイケメンですもの。
Ⅰガーランド⇨素顔不明
Ⅱ皇帝⇨元はイケメンだったけどウボァーする頃には・・・
Ⅲくらやみのくも⇨天野絵は美女だったのに・・・
Ⅳゼロムス⇨ミジンコ
Ⅴネオエクスデス⇨なんか色々合体してる
Ⅵケフカ⇨ピエロ
Ⅶセフィロス⇨テライケメン(細マッチョ)
と来ているので、ラスボスであるセフィロスにも人気があるわけですね。つか、リバーセフィロスでなんであんな人間離れした姿になったのやら。
恐らくセフィロスの影響か、Ⅷのアルテミシアは美人ですし、Ⅸのクジャもイケメンです。

Ⅴ:Ⅸまでのキャラに影響を与えたティファとクラウド

クラウド・ストライフとティファ・ロックハートの二人はⅨまでのキャラメイキングに幾分か影響力を与えたのではないでしょうか。
特にⅨまでのヒロインは「ティファ型ヒロイン」と高校時代、よく言われておりました。
Ⅷの主人公であるスコールの基本的な性格は、概ねクラウドを踏襲していると言えます。もともとコミュニケーションが苦手で気が強い方ではなかったことが共通しており、スコールとクラウドは何かと性格面で共通点が多いです。
一方、ティファの髪型はリノア、ガーネットにも引き継がれました。プレイステーション時代におけるFFのヒロインはティファ型の存在が大きかったわけです。

画像1

こうして同じ髪型を見ていると、Ⅷをやっていてもティファの面影を見てしまい、Ⅸをやっていてもやっぱりティファの面影を見てしまうことになるのでしょう(苦笑)。
結果、リノアとガーネットによってティファは引き立てられ、ますますⅦが偉大過ぎるようになる結果となりました。Ⅸの男主人公ジタンはどちらかというとⅧのアーヴァインの方が近しいですが、主人公と両想いになれるヒロインに関しては三作連続でティファの面影を見ることになってしまい、相対的にティファの地位は強くなったんじゃないかと思います。

ファイナルファンタジーはⅦが最も偉大な作品となったのではないでしょうか。それを裏付けるかのようにⅦはバリエーションがたくさんあります。逆にⅩはファイナルファンタジーで世代交代をさせる作品になったのかなというものがありますね。
Ⅹになってからは声が付くようになりましたが、それまでキャラクターの声のトーンなどは想像力でカバーしたものが、想像しなくてよくなりました。ある意味で想像の余地が亡くなったとも言えるし、ファイナルファンタジーという名のゲーム名とは裏腹に、どんどんリアリティーが追及されるようにもなってきたわけです。
今の子供たちはⅩ以降を主にプレイし、戦闘シーンもリアルさながらのバトルを楽しんできたわけです。これが私みたいな人間から見ると、Ⅹから先の作品が受け入れ辛い面があったのでして、とにかく「想像の余地がなくなってしまった」というのが個人的に痛いポイントでしたね・・・。
良い面を見れば声が無い方が想像力を磨くことができると言いたいところですが、時代は極力想像力を使わなくて済むリアリティーを求めていたとも言えますし、それは非常に難しいところです。
そしてスクエニが今なおFFⅦを収益源にしなければならないほど、FFⅦは偉大過ぎた作品なのです。ちょうどⅦなら懐古派も今の若者も楽しめるバランスの良いポジションにいるというのもあるでしょう。
こうしてスクエニは未だFFⅦを超える作品は生み出せず、30代半ばを過ぎた懐古派のゲーマーもまた、FFⅦから離れられないのではないでしょうかね。
偉大過ぎたファイナルファンタジーⅦ。スクエニがFFⅦを超える作品を作れるようになるには、まだ15年は掛かるのかもしれませんね。

この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,778件

ご一読ありがとうございます。お読みいただいた記事がもし無料、あるいは価格以上の価値があると思ったら、フォローならびに、サポートいただけますと幸いです。