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自己愛形成に必要なのは🔵🔴だった

「何者でもない自分を受け止め、好きになる」
これが出来るようになるって、実は結構難しいことだったりします。
少なくとも「何者でもない自分を好きになった経験」というのは私には一度もありませんし、恐らく今後もそういうことは無いと思います。

💠人を好きになるのは理由が必要だ

「人を好きになるのに理由はいらない」とはよく言いますが、現実にはそんなことは有り得ません。
人を好きになるには大抵理由があるのです。
自分が気付いていないだけで、例えば相手の容姿を気に入っていたりとか、性格が合うとか、何かしらの理由があります。
反対に、人を嫌悪する時は理由はいりません。意外と人を嫌う時は本当に明確な理由が無い時は多いのでね。
人を好きになる時と違い、嫌う時は防衛本能なんかも働いてますから、そりゃ人を嫌うのに理由は要らないのです。

💫自分を好きになるのもやっぱり理由が必要

「人を好きになるのには理由が必要だ」とは言いましたが、では自分を好きになることにも言えるのか。
これは文句なしにYesだなと言えます。
「何者でもない自分を好きになる」というのは一種の強さで、基本的に生きていると「自分を嫌いになる機会」にはとても恵まれています。

これは恐らく儒教文化の為せる業かと思いますが、基本的に日本は叱り文化です。
流石にコンプライアンスが浸透するようになって、ホワイトカラー職では人前での叱責や体罰は減ってきたと思いますが、ブルーカラーの仕事では今もどこかで体罰が行われています。
基本的に儒教文化は「褒めない文化」なので、こうした中にいると「自分を好きになる理由」って言うのはゼロなんですよね。

🏆自己愛を獲得するには「競争」に勝たねばならない

さて、儒教文化の中で自己愛や自己肯定感を持つためには何が必要でしょうか。
それは「肩書」です。
儒教文化の中で自己愛を形成するためには「肩書」が必要なのです。
その肩書を得るために必要なのは大抵の場合は競争に勝つことです。

例えば大学にしても「どれだけ良い大学を出るか」というものが自己愛形成の1つになりますし、その先には「どれだけ名の通った企業に入れるか」というものがありますね。
特に東証一部上場企業のホワイトカラー職は正に「良い大学を出て新卒就職しないと入れない」ような会社が多いですから、正に競争に勝ち続けた末に辿り着ける領域です。
これが肩書となり、自己愛形成の理由になります。

何も肩書とは地位に限ったことではありません。例えば年収もまた肩書の一つです。
特に男性の場合、婚活市場では年収が必要になります。肩書は他己評価に繋がるものですから、婚活市場で他己評価を得るためには最低限、年収という肩書が必要になると言うわけです。
資格試験なんかも同様で、やはり他者との競争の末に勝ち取るものなので、競争の末に勝ち取る肩書になります。

🔫自己愛に理由を求めるからこそ争いも起こる

尤も、肩書は必ずしも競争によってしか得られないものばかりではありません。例えば「日本人である」ということも立派な肩書です。
しかし、この「〇〇人である」ということに起因する自己愛もまた、他者との優位性によって作られることは少なくありません。

極端な話ですが、京都人であることによって、他府県の人間より優位に感じたり、或いは日本人であることによって中国人や韓国人よりも優れた人間だと思い、同時に白人には頭が上がらなかったりするのもまた、肩書の為せる業でもあります。

しかし、やはり自己愛を持てるようになるには肩書が必要なのですね。
肩書が必要だからこそ争いも起こるし、時に生存の危機に立たされたりもするわけです。

尤も、競争で勝つには自己嫌悪、自己否定の方が役に立つことは多いです。現状の自分に不満を感じ続けるのが成長の糧なので。
但し、その先に得る富が人生を豊かにするのかどうかは、私にはわかりません。

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