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おとなにひつような「しゃかいのえほん」

実家の面々が10万円の申請をちゃんと出来てるか不安になってきました。
「高校卒業したって名前を書いて身分証のコピー貼れない人がいるんだよ」
「はい❔(;'∀')❔」

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これを読んだ刹那、開いた口が塞がらないのです。
こんなことを書いてる私が高卒で、しかもたかだか42しかない偏差値でも10万円の申請書なんて速攻出したのです。まともに高校出てたらあんなん書けないわけがありません。
が、やっぱり書けない人がいる。実際に「私も書けなかった」という人のリプライがツリーにいたことからも深刻な大人の病を感じたのです・・・。

学校教育ディスる大人多すぎィ!!!😡

そもそも日本人の発言で気になる言葉があるんですよ。
「学校教育なんてやっても意味ないよなぁ」
これはね、親元にいた時代から母も義父もよく言ってましたが、まぁどこへ行ってもこの言葉は耳にします。学校教育意味ないと。
そして私もこの言葉を信じてたバカな時代がありました。
10代の頃、この言葉を信じてたばかりに勉強なんてマトモにやりませんでした。もうね、この言葉信じてる段階でハッキリ言って終わってます。
だいたいこんなこと言ってる大人に限って学校教育を明確に否定できる論拠を持ってないんですよ。

教育を軽視する人は貧乏になる・・・💱

ところで「学校教育不要論」ですが、これを口にしてる人には貧乏人が多いです。いえ、大金を稼いでる人もいるにはいるのですが、何気にこう、貧困者ほど教育を不要なものだと考えてたりする。
大人になってからこのことに気付いたとき、学校教育不要論を信じてはいけないという答えに行き着きました。
いえ、学校教育より質の高い教育を受けられる環境にある人は学校に行かなくても良いと思います。でもそんな人は一部のエリートくらいでしょ?
少なくとも今回の10万円申請書は初等教育が問題なく出来ていれば、普通に申請できたレベルのことしか求められてないわけです。
つまるところ「初等教育レベルの事務作業ができない大人が日本に多すぎ」ということが、上のツイートのバズり具合からもイメージできるのです。

そもそも大人が社会をわかってない・・・🏙

上のバズりツイートを見て2019年のオープンソースカンファレンスでのセミナーを思い出します。
学校の教師でもない私が教育と学びのフォーラムを受けていたわけですが、今年からのプログラミング教育義務化に当たり、私は大人にどうやってITに関わらせていくのかを個人的課題としていました。
その中で山中教授からお題として出されたのは「考えるという単語を使わずに考えることを表現する」というものでした。

私はTwitterで政治アカウントやってますから、その中でじゃあ「選挙の投票率を上げるためには何をすれば良いのか」とか「そもそも政治っていうのを政治という単語を使わずに説明できるようにならなきゃダメじゃない?」という疑問に行き着いたわけですね。
我々は大人になって「社会人としての自覚を持つように」教育されてるわけですが、じゃあ「社会人ってなんやねん?」ってなった時、多分誰も答えられないわけですよ。社会人という言葉だけが独り歩きしている。
何より社会人としての自覚を持たなきゃいけない大人が社会に生きてないわけ。会社の外の事なんて知りません。
自分の「常識の外にはこんな奴もいる」というのがイメージし辛いわけですよ、ある意味で。いや、中等教育を終えて10万円申請書が書けない大人が一定数いるわけです。10万円給付申請書を自分で書けないということは、社会のことなんて愚か「自分自身のことすら考えられない」というわけで、事の問題はTwitter政治アカウントが思う以上にずっと深刻なわけです。もう絵本の読み聞かせが必要なレベル。
noteのテーマで「10万円入ったら何したい?」ってお題がありましたけども、もう自分のことが考えられないので、10万円入っても何したいのかわからないわけですな。
改めて実家の面々が10万円給付申請書書けてるか不安になってきました。
母も義父も貯蓄もない割に教育の重要性を舐めきってましたし(寧ろ教育を舐めきってたから貧乏になったと言った方が・・・)でも日本はこういう大人が少なくないんでしょうから「おとながよむべきしゃかいのえほん」が必要なんだろうなと痛感させられましたよ。

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