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川崎は多文化共生の街…じゃあないです

ロリポップサーバーのスタンダードプランは120GB使える筈だと言うのに、どっちかって言うとファイル数制限の方がネックになってる今日このごろ。
ほんだらタブレットで撮った写真も有り余ってるから、フリー写真素材でも置こうかなと思ってるわけですが、それにしても川崎の写真が多いこと多いこと…。川崎(厳密に言うと多摩川域)ばっか撮ってるんじゃないかしらってくらい、タブレットで撮った写真が川崎だらけでございます。
好きか嫌いかの二極論で訊かれた場合、川崎は嫌いな方に来るんですが、しかしまぁ、土日休みになって南武線が混まないタイミングで乗れるのが、川崎へ行く頻度を増やしたのかもしれないです。
そこで今回は少しだけ、川崎という街について考えてみることにしました。

川崎は何かと因縁多き街

私が川崎のとの付き合いが始まったのは2015年からになります。当時、夢真を僅か二ヶ月で退職した直後な時期なのですが、いい加減東京勤務から抜け出したいと、まぁ東京一極集中に抗いたいという想いもあって、神奈川か都下で仕事を探していたわけです。それまでコールセンターで仕事していて、夢真ホールディングスで何を迷ったのか建設業界で仕事して、それでコールセンターにやっぱり戻ろうと考えた私に面接オファーを出したのがSIer。
この時は海老名のコールセンターと川崎のIT企業の二社を面接した訳です。
それで通ると思ってたコールセンターの面接で落ち(理由はたぶん都心転勤を嫌がったから)、まさかの川崎SIerでの勤務が始まることになりました。
実際に通勤するまで南武線がどれだけ混むかというのを甘く見てたのですけども、2016年までは京都出身のお局さんに毎日嫌味を言われながら惰性で働いてたわけです。
それが2016年に在特会系のヘイトスピーチデモが川崎で行われることを知って、政治に関わるようになりました。Twitterアカウントもすっかり政治アカウントになってしまい、泥臭い政治闘争に明け暮れることになったのです。
まぁそれ以外にも南武線は何かと治安の悪い路線でして、私が書いた記事の中でも未だアクセスを集めるのが南武線の匂いに関するものです…。

それはもう南武線の治安やら在特との関わりの始まった場所であるという事の観点から、川崎ほど因縁のある街は他にありません。今の私の所属会社にしても、結局本社は川崎にありますし・・・。

民族差別との関わりはほぼ在日韓国人/朝鮮籍絡みです

川崎という街との因縁はほぼ在特との関わりで強くなってると言っても過言ではないのですが、一体なぜ在特は川崎にやってくるのでしょうか。少なくとも日本第一党の親分である桜井誠は川崎の人間ではありません。サブリーダーとも言える瀬戸弘幸も多分、川崎に住んでるわけではないでしょう。それでも彼らは川崎に来てデモをします。これはなんでかって言ったら、在日韓国人が関東で多く住んでるのが川崎区だからです。
在日韓国人には大別して太平洋戦争前から日本に住んでいる人の子孫(オールドカマー)と、敗戦後(というより比較的最近?)韓国から移住してきたニューカマーがいるのですが、一般的に「在日」と言われる人はオールドカマーに属すると言って良いです。ニューカマーはほぼ純粋な移民なので。
逆に言うと、オールドカマーは純粋な移民でないが故に差別との付き合いが根深く、特に在日韓国人の多い京阪神では、差別はごく身近にある問題でした。過去に橋下徹が桜井誠に「お前ヘイトスピーチ止めろよ!」と口論していますが、大阪は在日韓国人差別だけでなく、被差別部落問題もあって、橋下氏自身も迫害されて育ったので、在日韓国人はごく身近な友人だったわけです。
関東では在日韓国人は京阪神に比べて多くは分布していないのですが(それが証拠に在日韓国人に特化した帰化問題を扱うプロの行政書士が関東にあまりいません)、台東区と川崎区にはコミュニティがあるようで、桜井誠や瀬戸弘幸が東京圏を主な活動範囲にしている以上、オールドカマーの在日韓国人が多い川崎は必然的に民族差別との闘いの主戦場になってしまうのです。

川崎は(工場)労働者の街です🏭

タイトルには「川崎は多文化共生の街じゃない」と書きましたが、なら川崎は何の街なんだというと、それは労働者の街です。それも工業系労働者の街です。乱暴な言い方しますと「川崎は身分の低い労働者が集まった街」が正解です。これが南武線の治安の悪さに拍車をかけています。
ところで以前、西陣織を支えてきたのは在日韓国人が支えてきたというウェブ記事を読みました。

この在日韓国人が京都の西陣織を支えてきたというのは裏付けもある話でして、それは大学の論文等でも残っています。

立命館大学の論文も読みましたが、西陣織自体が差別と根強く結びついた産業であることもわかります。被差別部落の人の西陣織就業者は殆どいなかったようですが、彼らは彼らでまた部落産業と言われる工業的な仕事に就いていたというのは記録的にわかっているわけですね。
京都で「西陣」と言われるエリアは単純な行政区で言えば上京区になるのでして、ここは御所のあるエリア。一言で言えば「位の高い人達が住む区域」なのです。そこになんで西陣織(工業街)ができた経緯はわかりませんが、ともあれ位の高い人は工業的な仕事に就かないのです。
少なくともITが登場する以前というのは、被差別階級は工業しか選択肢がなく、そうでない人はエリートが就く仕事として商社や大手メーカーの企画職に就いたりしたわけです。また、残念なことに職業差別は今も根強く残っていて、現代ならここに介護が加わってくると思います。
基本的に位の高い人やエリート志向の人は「作業服を着る仕事に対する差別意識」っていうのがあると思うんですね。実際問題、作業服を着る仕事って人気ないです。就く仕事にしろ結婚相手に求める仕事にしろ、人気の高い仕事ランキングって基本、スーツを着るかカジュアルか白衣の三択しかなく、作業服を着る仕事は並びません。
話を川崎に戻しましょう。川崎という街は南武線と共にあり、基本的に工業の街なんです。それも大半は低賃金で働いてると見ていいでしょう。メーカーで開発職に就くならいざ知らず、工場は大半の安い労働力がライン労働をしていることで成り立ちます。
そして安い労働力として確保しやすいのは、被差別階級層と移民なのです。

多文化共生の正体は移民と言う名の安い労働力

ところで、オールドカマー在日と被差別部落の人双方に言えることですが、彼らが差別から解放されるための手段は21世紀に入って二つできました。
一つがIT。もう一つが外資です。
インドなんかITの発達が目覚ましいですが、IT産業を加速化させたのはカースト制度があるからです。カーストの下層に位置する人はITという新たな産業に、差別から抜け出せる希望を見出しました。
次に外資系企業ですが、こちらは内資系企業と違い、純粋に市場を求めてやってきてますから、年功序列より実力主義で通りやすいです。米系外資にしろ中華系外資にしろ欧州系にしろ、日本の市場を求めて日本企業と闘うわけですから、彼らからしてみれば「有能・優秀であれば誰でも良い」のです。内資系みたいに「優秀でも家柄が・・・」みたいな縛りは無い、或いは限りなく薄いわけです。ある意味でIT長者の孫正義なんて、その頂点的シンボルなわけですよ。
とは言え、それは「日本語を第一言語としている」からこそできる面があるんですが、一方で移民の人で卒なく日本語を使える人はどれだけいるかっていうと、それは多くはないです。だから安い労働力として移民は積極的に受け入れられるようになりました。
因みに露骨なヘイトデモができなくなった今、日本第一党は反グローバリズム・反移民をデモにおける直接的な主張にしていますが、実際問題として、川崎市は確かに移民も多い街です。

割合として約2.8%とは言え、1992年から2018年にかけて、外国人人口は2倍になりました。全員が市内勤務ではないでしょうけども、技能実習などで日本に来た外国人は恐らく市内勤務をしているでしょうし、川崎は工場なんていくらでもありますからね。
そう考えると、川崎ってやっぱ「安い労働力が大量に使われている街」であって、その延長上に外国人移民がいるだけなのです。確かに川崎ではタイ料理やベトナム料理を食べれるお店もあって、そうした面を見れば確かに多文化共生してるようにも見えます。
でも、日本に来た外国人が日本で積極的にお店を開いてるわけでもなく、かといってIT企業に入ってもSIerでは移民は中国系と韓国系しかいません。SIer何気に印鑑をよく使いますんで、漢字名の人でないと入れないんですわ。だから「多文化共生」と言いつつ、印鑑を使う会社は排斥をやってますし、なんだかんだで安い労働力として工場に移民が入って、その延長上に「多文化共生があるように見える」だけなんです。だから、本当の意味で川崎が多文化共生ができるようになる世の中なんて、まだまだずっと先です。でもって目先レベルでは日本第一党と闘ってかないといかないし、課題は山積みなんですよ。
その意味で言ったら、今私が住んでる多摩ニュータウンの方が、よっぽどリベラルな気風を持っているので、過ごしやすいです。まぁそうは言いつつ、暫くは川崎に行く日が続くかもしれません。サイゴン・キムタンで「伝説のバインミー」が気になってるので、いつか食べに行くことになるでしょう。

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