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この心臓にRadwimpsがいる

僕たちの生命維持装置だと、彼等は伝えてくれた。
でも私にとって彼等はただの生命維持装置なんかじゃない。

私の生命が維持してこれた理由そのものであり、私の生命が維持できる意味であり、、
んんとつまり。Radwimps無くして今の私は存在していないということだ。

4/7のThe Way You Yawn, and the Outcry of Peace、代々木体育館公演は、私にとって3年ぶりのRadwimpsのライブだった。

控えめに言って神すぎるセットリストを目の当たりにして、夢か現実かわからなくなるくらいの壮大で美しすぎる時間を、ちゃんと自分の目と耳と足と身体と心で受け取ることができたことに、心底誇りを持ちたい。

これまで忘れていたライブの楽しさとかワクワクとか激しさとか感動があって、ここ3年の中で最も幸せな時間だったように思う。

ライブ当日の自分のコンディションも、スタンディングブロックの一番端の柵で見ることができたことも、この最高の時間を作り出してくれた要因の一つのように考える。

すべてが相まって、あの2時間半と、ライブ後に一緒に行った親友と缶ビール片手に夜道を散歩したあの時間は私にとってさいっこうに幸せな時間だった。
時が止まって欲しいくらいに幸せな時間だった。

たくさんたくさん嫌なことも、辛いことも苦しいこともあったこの3年間だったけど、きっとこの日のためにまた頑張れたんだと思う。

だいすきなだいすきな、彼等の音楽を全身に浴びて、彼等の姿をしっかりと見つめられて楽しんで幸せを感じているうちに、あの曲たちを聴いていた頃の私が救われていくような気がした。

あの頃に自分に伝えたい。君は今もRadwimpsがだいすきで、彼等の音楽に抱きしめられて、背中を押されて、救われているよと。


誰がなんと言おうと、私にとってRadwimpsはなくてはならない存在で、切っても切り離せない存在だ。
学校で学ぶより多くのものを彼等の音楽から教わった。
自分は何を軸にして生きていけばいいのか、何を大事にしたいのか、何が自分にとっての幸せなのか。
私そのものは、彼等の音楽を基にできている。

それがただただ誇りであり、幸せだ。
それを改めて実感することのできるライブだった。


いつもライブで言ってくれる「次会う日まで幸せでいろよ」っていう言葉が、どれだけ私を救ってくれていて、どれだけ私に生きる意味を与えてくれているか。あなたは知ってくれているだろうか。


Radwimpsへの想いなんて正直全然まとまらないし、すきだという概念を通り越して、私にとっては親であり、兄弟であり、友達であり恋人であり、先生であり上司であり、私の大切な存在だ。

大切な、大切な、存在。

きっとそれはこれからも変わらない想いだと思うし、やっぱりこれからもRadwimpsの音楽を受け取って何かを感じ取れる自分でありたいと思う。


Radwimpsをすきになって14年が経とうとしているけど、彼等の届ける音楽が、昔も今も、変わらずだいすきだ。
時が経とうと形が変わろうと、今の自分がここに存在しているのは紛れもなくRadwimpsのおかげであるという事実を、ずっとずっと忘れたくないから、ままならない文章でままならない感情をここに書き留めておく。


何がどう、なぜどのように具体的にRadwimpsが私に影響を与えているか全くわからない、表面的な想いをつらつらと書いた結果になってしまったのだけど、正直それ以上ないんだもの。

ただRadwimpsを愛しているだけ!

そして私はまた、次Radwimpsに会える日まで、幸せに生きていく!



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