見出し画像

240305ひとりぼっちのTOKYOへ

3月5日の日記。再掲。

幼馴染からLINEが届く。

「4月から◎◎勤務やけ〜〜〜ウンタラカンタラ」

は?だ。は???である。この感情をなんと記そうか。悲しいでもさみしいでも怒りでも喪失でもピンとこない。

「東京で頑張ろうねってずっと一緒にやってきた小中高予備校全部同じの幼馴染がいきなり地元へ帰って地元で就職する宣言をしてきたときの気持ち」

である。そのままでしかない。強いて言い換えるなら「がびーん」だろうか。4文字になった。がびーん、便利すぎる。

え、本気?本気で言ってる?指先が冷たくなり、肩から上がフワフワする。スマホを見て、置いて、見てを繰り返す。幼馴染のデカい決断を祝福する気持ちがなくはない。なくはないけど、自分が置いていかれてしまうことの方が感情としてはデカい。

セメントは出身地に友達がひとりもいない。絶縁ってほどでもないが実家との関係もよくない。大げさに言えば「おおよそのものをぶっちぎって東京に出てきた」タイプの人間だ。そういうセメントにとって幼馴染は、出身地にいたセメントも、東京にいるセメントも、通してよく知っている唯一の人間であった。私のことを、知ってくれている人がいなくなってしまう。

友達でも恋人でも家族でもない。ないが、困っていたら微塵も迷わず手を貸せるなと思う存在だった。何がってわけでもないが生きる上で大きく影響を受けてきたと思う。キモいことを言うようだが、自分の何%かは幼馴染で形づくられてきたと思う。

さして頻繁に会っていたわけでもない。でも、夜中にスプラッタ映画を観たり、いきなり千葉までドライブしたり、ただラーメンを食べたりと、「今日遊ぼー!」って言う小学生みたいな感覚の集合をずっとやっていくもんだと思っていた。

この気持ちはなんだろう。←これは合唱曲の『春に』。合唱コンクールで歌ったことのある人は同世代だね。みんなで歌おう。セメント、アルトやるから。

「日本にはいるよ 半年に一回くらいくるよ」

と幼馴染は言うが、別に会えなくなってさみしいとかそういう話じゃないんだよ。

セメントは、それなりに頑張ってきたと思う。逃げるように東京へ出てきて、東京の大学では友達もできて、定職にはついていないが仕事をして、自分で稼いだお金で家を借りている。役所の書類は一切意味がわかっていないが、税金も払えている(多分)。自分への居場所をつくってあげられていると思う。

でもそれは、幼馴染も東京で頑張ってるしなみたいな気持ちが何かしらの支えではあった気がする。自分の足で踏ん張って立っていると思っていましたが、片足は他人だったのかもしれないっすね!幼馴染は永遠じゃないし!TOKYOも永遠じゃない!知ってた!知っていました!

セメントは東京が好きだ。今月末から17年目。ひとりぼっちの東京が始まる。

ひとりぼっちが、本当の東京なのだろうか。4月からもセメントは、東京を8cmヒールで歩く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?