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イッチョウラ の ラ って何ですか?

日記のワークショップに申し込んだ。3ヶ月間、GoogleDocで日記をつけるだけ。2週に1度参加者が対面で集まって、互いの日記を読んだり感じたことを話し合ったりする。たぶんそれだけのワークショップだ。

日記のワークショップに参加するんだ、という話を他人にすると、だいたい「なにそれ」という反応が返ってくる。「いや、日記てw」という続きが見える。そうか。みんなにとっては日記なんてわざわざお金を払ってワークショップに参加してやることではないのだな。というか、そもそも何の役にも立たん日記をわざわざお金を払ってまでつけるってよくわからんよな。

と思ったり思わなかったりする。いや思わなかったりはしないわ。思うだけだわ。

日記と呼べるかはわからないが、セメント小中学校で書かされた「デイリーノート」が好きだった。あれは全国にあるのだろうか。時間割とか持ち物とか注意事項とかを毎日書くデイリーノート。小さな欄だが、その日の日記を書く欄があった。書いて先生に提出すると、赤ペンで返信をくれた。

その日あったこととか、定期テストの目標とか、たまに先生にクイズを出したり、思いついたダジャレを書いたりした。

時間割通りに過ごす毎日でも、おっこれデイリーノートに書こうかな、と思って過ごすとそれはそれで楽しかったように思う。

セメントにとっての日記はデイリーノートである。

ウケ狙い程度に書いた「『イッチョウラ』の『ラ』ってなんですかね?」という1行に、担任数学の先生が懇切丁寧に調べた回答が書いてあったのを覚えている。インターネットもさほど自由に使えなかった時代。「ここまで調べたけどわかりませんでした」と終わっていたのを誠実に感じた。あなたのおかげで(せいで?)今も同じようなことをして生きる人間になってしまいました。ありがとう松岡先生。偉くなっていると風のうわさで聞きます。

大人になって会社員になると、新人は毎日日報を出す義務があった。とにかく個性を出せという社風だったので、日報のフォーマットから自由だった。文章で書く人もいれば、短い動画にする人もいたし、手書きのものを絵日記風にデザインする人もいた。

私はデイリーノートのノリを続けた。途中で飽きて、最初の1行をかならずダジャレで始めたり、「3 3 7拍子は結局4拍子」みたいな話をしたり、内容は普通の日報を官能小説風に書き換えて全社メールしたりした。官能小説は普通に怒られた。

そういうのを経て、まだ足りない。まだ足りないのだ。

ワークショップに申し込んだのはどこかに、アレもう1回やりたいな、みたいな気持ちがあるんだと思う。毎日何かしら「おっこれ日記に書こう」と思いながら3ヶ月生きるぞ。



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