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240317生活は続く

ちょうど1年前、セメントは美容の外科手術を決めた。平たく言えばあれです。整形というやつです。

腹を決めて、そこそこの金額を払い、手術日の予約をした。なんとなくまっすぐ帰る気になれず、友人に連絡を取って焼肉を食べに行った。

付き合いの長い友人だ。セメントの顔面なんて、セメントの親より見てるかもしれん。ほらとくと見ておけこれが私のBeforeだと思いながら行った。17年飼った猫が前日に亡くなった話をされた。セメントも何度か会ったことのある猫だった。整形の話はしなかった。

翌週には手術をした。痛いし、腫れるし、人に会えないし、お酒も飲めないし、お風呂も入れないし。ダウンタイムと呼ばれる時間は、ただただ暇だった。

時間を持て余していたし、初めての静脈麻酔がオモシロ体験だったので文章に残したいと思い日記を書いた。普段の仕事で書かないような文章は知らない筋肉を使うようで楽しく、翌日も、その翌日も書いた。ダウンタイムが終わってからも、たまに書いた。

もうちょっと書いてみたいと思っていたところで、たまたま日記屋月日さん
のワークショップを見つけた。ファシリテーターは古賀及子さん。2024年1月14日から、日記をつけるワークショップに参加した。

ワークショップに参加するぞ〜!というウキウキの日記も書いている。

そして今日、3月17日で終了だ。

ワークショップには15人の方が参加していた。いろんな人がいて、いろんな生活があった。

他人にも、なんでもない平日が本当にある。まずそこに驚きがあった。それまでセメントの中では、他人と会っている時間は存在していても会っていない時間は無だった。いや、待って待って。用事が済んだらサヨナラみたいな話じゃないよ。

自分と他人が会っている時間以外に、他人が何をしているか、何を想っているか、何が好きか、嫌いか、あんまり考えたことがなかったのだ。しかしワークショップの人たちは、会っている時間の他に、もっと多くの会っていないなんでもない生活がきちんとあった。日記を読んでそれを知った。

本当のことを言うとセメントは知らない人と話すことに自信がなさすぎるので、対面でワークショップをやるのに不安しかなかった。でも結果的に対面の機会があってよかった。日記だけ読んでいたら、人の生活じゃなく、コンテンツとして消費するような日記の読み方をしていたと思う。

他人って生きてるんだなぁと思った。当たり前か。当たり前だよね。でもセメントはあんまりわかってなかったの。他人がその日、その瞬間に、生きていることに感動したの。

最後にワークショップ会場の近くで打ち上げをして、集合写真を取った。写真を見返すとみんなニコニコしていて、明るい光がさしていて、暖かそうでよかった。会は一旦解散して、そして生活は続くのだなぁと思う。

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