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240604いまさら扁桃腺備忘録

最寄りの総合病院(でっかい)へ持病の検査に行く。半年に1度検査するように言われていたのに、3年空いてしまった。いつもそう。

検査は問題なかったが、せめて年1回来てくださいねとやさしく指摘された。私もそのとおりだと思います。


ちょうど5年前。6月の第2週に、この病院の耳鼻咽喉科に8日間入院した。扁桃腺を取るためだった。

よく扁桃腺腫れた〜と言って熱を出している人がいるでしょう。アレです。目安としては年4回以上体調を崩すようなら、切除を検討してもいいらしい。セメントは月1くらいで体調を崩していたので取ることにした。

医師は知人から紹介してもらった。初めての手術はやっぱり緊張するので、共通の知り合いがいるだけでも気持ちは多少軽い。

入院・手術の1ヶ月前には、諸々の手続きと検査をする。仕事も調整する。ピルはやめる。血栓ができやすくなるからダメらしい。「限度額適用認定証明書」をもらってくるのがいいよと病院で教えてもらった。案の定とんでもないズボラさにより証明書をもらうのが入院に間に合わず、代わりに友人が区役所へ走ることとなった。

入院1日目(手術の前日)は特に何もない。執刀する医師や麻酔科医の方、看護師の方が代わるがわる来て、手術の説明をしてくれる。手術後は数時間ベッドから動いてはいけない旨を聞いてトイレはどうしたらいいのだろうと不安になった。売店でオムツを買ってきた方がいいかと聞けば、「ううん、したくなったらそのまましちゃってください」と看護師さんは言う。そのまましちゃう?そのまましちゃうって何?そのまましちゃうのは、仮にあなたが耐えられても私が耐えられないのですが???

入院2日目(手術当日)。絶食。サプライズで親が来た。普通に嫌だった。全身麻酔にワクワクしたかったが、ワクワクする間もないくらい秒で意識を失う。「次の瞬間手術が終わっていた」みたいな表現も大げさではない。手術で病室に居ない間に、友人がお見舞いに来てくれたらしかった。病室にシルバニアファミリーの人形が残されていた。

3日目以降は、空腹と退屈との闘いでしかない。

とくに食事は辛い。なぜなら暇であればあるほど、人間の楽しみは食になりがちだから。しかし喉の手術なので、とにかく固形物が全部NGである。最初に出されたのは、おかゆの上だけ掬いましたみたいな液体だった。本当に?これ、障子貼るやつとかじゃないですか? 液メシはペーストメシになり、プリンメシになり、木っ端微塵メシになり、みじん切りメシになり……と進化した。プリンは丸かったり楕円だったり、いろんな形が皿に乗っていて、緑だったりピンクだったりした。緑を食べると草っぽい味がして野菜だとわかり、ピンクを食べるとほのかに生臭い感じがして魚だとわかったりした。概念を食ってるなと思った。SNSで見る「ディストピア飯」はまだヌルいななどと思った。

入院そのものとは関係ないが、入院3日目くらいに元職場がSNSで炎上していた。元同期や同業者の知り合いからバシバシ連絡が来た。最初は「あ〜あ〜w」くらいに思ってみていたが、テレビでも取り上げられるなどして、総務の人の大変さを思ったり思わなかったり。元先輩がお見舞いに来てくれたが、Googleの情報などにとんでもねぇ悪口なんかも書かれると言っていた。

お見舞いに来てほしいアピールをたくさんしたのと、周りがやさしいのとで、結構毎日誰か来てくれていた。嬉しい。ありがとう。あらかじめ水出し用の紅茶パックを持ち込んで、病棟の自販機で買ったペットボトルの水に突っ込み、水出しアイスティーを提供した。本やゼリーやお花をもらった。お花は花瓶がなかったが、「あたし華道部だったから!」とカッターで花を切りペットボトルに生けられたことは今でも鮮明に思い出せる。

喉の手術は、焼いて止血をする。口を開けると、ところどころブツブツと白い箇所が見えた。今でも焼肉屋でホルモンを焼いている途中には自分の喉を思う。切除した扁桃をぜひ見たいとお願いしていたので、4日目くらいの回診の際、医師が持ってきてくれた。薬品に浸かったそれは、デカい肝吸いみたいだった。写真を撮って友人に送ると、「治ったらうなぎ食べましょうね」と返答があった。水族館で魚見ながら美味しそうって言う人の数段上だ。

病院は娯楽が少ない。入院している階から出てはいけないので行動範囲も狭いし、基本的に殺風景だし。だからなのか、何なのか。晴れている日は、晴れているだけで娯楽になる。知らない人が話しかけてくれて、「今日富士山見えますよ」と教えてくれる。廊下の窓から、小さいけどしっかりと見えた。

少し動いてもいい許可が出たときは嬉しかった。用もないのに売店へ行って、とくに飲みたくはなかったがカフェオレを注文する。1週間ぶりのカフェインだったんだぜ。

お風呂に入れないのは地味にキツい。何日目から入れるかも教えてもらえない。中途半端に、今日は入れるかもと期待させないでくれよ。5年前は、今ほどおしゃれなドライシャンプーやボディシートも充実していなかったのでおしぼりみたいなシートで身体をガシガシ拭いて過ごした。最終日にやっとシャワーの許可が出たときは、頭からお湯を浴びながら生きとし生けるものへの感謝を述べたい気持ちだった(述べなかった)。

退院して1ヶ月程度は、血行がよくなる行為や刺激の強い行為は禁止だった。運動、湯船、飲酒、辛いもの。このあたりはダメ。1度帰りが遅くなった日に他のお店が空いておらず、夕食を食べようと近所の居酒屋へ入ったらお通しがいくらおろしだったことがある。酒が(飲みたくても)飲めない人間へのいくらおろしは絶望の輝きを放った。

ちなみに術後の喉に爆裂染みるのは、トマトなので同じように扁桃腺の手術をする人はトマトだけは食べない方がいい。やってみろ。泣くぞ。逆にいちばん食べやすかったのはうどん。


5年経って思えば、本当に風邪をひきにくくなった。しかしなぜか麺類をすするのが難しくなった(なんか空気が逃げる?感じがする)。

今日は耳鼻咽喉科とは別の科での検査だったが、久しぶりに訪れたその総合病院は、経営母体が変わっていた。施設も受付のシステムも同じだったが、最初に提出した診察券とは別の、新しい病院名が刻まれた診察券を渡された。

扁桃の手術をしてくれた耳鼻咽喉科の医師は、昨年倒れていちど心肺停止になったと、紹介してくれた知人から聞いた。人工呼吸器などを使って今も生きてはいるが、多分もう目覚めることはないよと言う。

扁桃腺がなくなって、風邪をひかなくなって、病院もなくなって、医師にもおそらくこの先会うことはない。自分が覚えておくしかない。








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