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【人生というクソゲーに飽きた人へ】あなたはなぜ生きるのか

なぜ生きているんだろう。
生きる意味はあるのか。
生きるとは何なのか。

人はしばしばこのような疑問を抱く。

今日はこのような疑問に日々苦悶する人々に向けたメッセージというか、自分が感じていることや考えたことを記していく。

今生きることに疑問を持つ者がこれを読んで少しでも人生の足しになれば幸いである。

「生きる」ってなんだろう

なぜ生きるのかということを考える前に、そもそも「生きる」ことについて熟考し知らなくてはならない。

生きるってなんだろう。

ご飯を食べること?

運動をすること?

息をすること?

考えてみると「生きる」ための条件のようなものは定かではない。

上にあげたことは生物として生命維持に必要なことだ。

では生命維持が出来ればそれは「生きて」いると言えるのだろうか。

恐らくこの質問にYESと答えるのであればそもそもなぜ生きるのかなど考えないだろう。

生物学的に生きるということは確かにそうかもしれないが、ここではもう少し別の観点が要求される。

結論から言おう。

「生きる」とは「生きているということを感じる」ということだ。

例えば朝、あなたが会社に出社、学校に登校、あるいは幼稚園に子供を送っていくのかもしれない。その時間、あなたは「生きて」いるだろうか。

目先のことに必死になって本当に大切なことを忘れていないだろうか。

会社で働いていようが
学校で勉強していようが
家で家事をしていようが

自室でネットサーフィンをしていようが
恋人とデートしていようが
惰眠をとっていようが

きっとあなたは生物学的には生きているのだろう。

しかしそれに気づいているだろうか。

生きていなければ快適な時間を過ごすことは無いが苦しい仕事や勉強、家事をしなくても済む。

逆に生きているから時間が発生するのである。

それを全身で感じながら生活する。

それが「生きる」ということの意味である。

なぜ「生きる」のだろう

生きていることに気を向ける、それが「生きる」ことだということは一種間違いでは無いということは分かった。

ではなぜそんなことをしなくてはならないのだろうか。

それは前述した通り生きることによって時間が作られるからである。

すなわち「生きる」ことは作られた時間の流れを感じることでもある。

皆、生きることによって作られた時間という名の器の中で生活しているということだ。

この器は無視することの出来ない性質がある。

それは生命維持が出来なくなった時、一瞬にして崩壊するということである。

生きられなくなったら自分だけの器がなくなると思ったらそれは大間違いだ。

あなたが生きている世界はあなたの器がなければ存在できない。そしてそれは私も同じことである。

なぜなら、この世界には人と同じ数だけの今にも割れそうな器が存在するから。

あなたが「生きる」ことが出来ているならその器は互いに補完し恒久に続くものとなるだろう。

要は、なぜ「生きる」かを理解するためには世界をひとつの大きな器として捉えることが必要であるということである。

これが人が「生きる」理由である。

最後に

人は生きるし「生きる」必要がある。

それは自らの器、そして他者の器をはかり、完成されたものにするためである。

今命を投げ出そうとしている人がこれを読んでくれているならどうか一度「生きて」みて欲しい。

そこから見えてくるものはきっとあなたを幸福へと導いてくれるだろう。

そしてその幸福を分け合うことがあなたに与えられた使命である。

その使命を人は「愛」と呼ぶのだろう。

私はそう思いたい。

Thanks for reading.

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