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【Maria Grinberg, 1908-1978🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ5】

マリヤ・グリンベルク(Maria Grinberg, 1908-1978)はロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)生まれの伝説的なピアニストの一人。同じ年に同じくオデッサに生まれた芸術家にはダヴィド・オイストラフが、少し上 (1904生まれ)にはナタン・ミルシュタインがいる。

グリンベルクは18歳まではオデッサでピアノを学ぶが,その後,前回紹介したブルーメンフェルトに師事している。ホロヴィッツはキーフで1920年ころにブルーメンフェルトに師事していたが,グリンベルクが弟子入りしていたのは,ブルーメンフェルトが1922年にモスクワ音楽院に移った少し後ということになる。ブルーメンフェルトが1931年に他界した後は超絶技巧で有名なイグームノフ(Konstantin Igumnov, 1873-1848)に師事している。

ブルーメンフェルトは指を伸ばしてピアノを弾くお流儀を広めた一人で,グリンベルクのピアノシモの軽やかで美しいタッチも、しなやかな指を伸ばして軽く鍵盤を弾く兄弟子ホロヴィッツと似た弾き方に感じられる。

グリンベルクは将来を非常に期待されていたピアニストらしいが、夫と父親はスパイ容疑でソ連当局により処刑されてしまう。これまでに紹介したリヒテルネイガウスの稿にも似た話を紹介したが,ウクライナ出身の芸術家の経歴を調べるとこういった話がとても多い。特に当時,ウクライナにはナチスドイツから逃れてきたユダヤ系移民も多く,スパイ容疑と人種差別が混在した弾圧が繰り返されていた。ユダヤ系のグリンベルク本人もピアニストしてのキャリアをしばらく奪われるが、やがて活動を再開できるようになり、ソ連内では大変な人気を博したらしい。

海外に演奏活動に行くことが許可されるようになったのはスターリンの没後の50歳を過ぎてからで、回数もそれほど多くなかったので、ソ連外ではあまり知られてこなかった。ただし,当時の批評はホロヴィッツやアルトゥール・ルビンシュタイン,クララ・ハスキルらと比較するような記事であったということからも,かなりの評判になったことが推察される。

残っている録音を聴くと、曲想に応じて実に様々なタッチを使い分けていて名演揃い。 時にはホロヴィッツに負けないような豪胆なフォルテシモも聴かせるものの、基本的には楽譜に忠実に、しかしその本質を抉り出すような演奏スタイルだ。

動画はクライスラー作曲、ラフマニノフ編曲の「愛の悲しみ」。 軽やかでありながら豪快,端正でありながら叙情的という卓越した演奏です。 気に入った方はベートーヴェンのソナタ集なども是非聞いてみてください。

主な情報源
wikipedia: https://en.wikipedia.org/wiki/Maria_Grinberg


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