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ウクライナの芸術家シリーズ

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ロシアの芸術家と思っていた人の大半が,実は現ウクライナの出身だったりして驚いてます。その芸術家が生まれ育った当時はソ連の一部だったりしたわけですが,それにしてもウクライナはロシア… もっと読む
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記事一覧

【ナタン・ミルシテイン, 1904-1992🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ20】

20世紀のヴァイオリンの巨匠ナタン・ミロノヴィチ・ミルシテイン(Nathan Milstein, 1904(旧暦1903)-1992)はロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)生まれ。 音楽には無縁のユダヤ系の中流家庭の生まれだったらしいが,ミルシテインが7才の時,当時11才のヤッシャ・ハイフェッツのコンサートに感動した両親が我が子をヴァイオリニストにしようと習いに行かせたらしい。そのときに習ったのがダヴィド・オイストラフの教師でもあったピョートル・ストリヤルスキー。ミルシテイン

【レジーナ・ホロヴィッツ, 1899-1984🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ19】

レジーナ・ホロヴィッツ(Regina Horowitz, 1899-1984)は,ジトミール(旧制ロシア,現ウクライナ)の生まれ(キーフ生まれと説明しているページもある)。あの,ウラディミール・ホロヴィッツ(以前の記事も見てね)の姉だ。ウラディミールは,「姉の方が自分より演奏がうまい」としばしば語っていたらしい(情報源)。 レジーナは,キエフ音楽院でウラジーミル・プチャルスキーに師事して1919年に卒業。ウラディミールもプチャルスキーに師事していたことがある。 1920年

【ウラディミール・ホロヴィッツ, 1903-1989🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ18】

ピアノ界の伝説の巨匠ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz, 1903-1989)はロシア帝国キエフ(現ウクライナ, キーフ)生まれ。 ユダヤ系の家庭の生まれで,父親は腕利の電気技師。ドイツのメーカーに電気モーターを卸していた。叔父のアレクサンダーは、スクリャービンの弟子で親友だった。ホロヴィッツが10歳のときにスクリャービンのもとで演奏したら、スクリャービンはホロヴィッツに非常に才能があると両親に言ったらしい。 ホロヴィッツはアマチュアのピアニ

【アレクサンダー・ブライロフスキー, 1896-1976🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ17】

ショパン弾きとして名高いピアニスト,アレクサンダー・ブライロフスキー(Alexander Brailowsky, 1896-1976)はロシア帝国キーフ(現ウクライナ)でユダヤ系の家庭に生まれる。 ピアニストだった父親にピアノを習い,8歳から数多くの巨匠を育てたレシェティツキの門下生だったVladimir Puchalskyにキーフ音楽院で師事。Vladimir Puchalskyは,やはりキーフ生まれのホロヴィッツ(1903-1989)の師匠にもあたる。ただしブライロフス

【ミッシャ・エルマン,1891-1967🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ16】

20世紀初頭に活躍した名ヴァイオリニストのミッシャ・エルマン(Mischa Elman, 1891-1967)はロシア帝国キーフ県タリノエ(現ウクライナ)のユダヤ系家庭の生まれ。 祖父はユダヤの民族音楽家で、ヴァイオリンも弾いていた。当時,音楽家の社会的地位は低かったので、父親はミッシャが音楽家になるのには反対だったらしい。しかし,幼いミッシャにせがまれてミニチュア・ヴァイオリンをあげたら,すぐにいろいろな曲を引き出したらしい。まもなく、ミッシャはオデッサで帝国音楽院に入学

【ミェチスワフ・ホルショフスキ, 1892-1993🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ15】

伝説的ピアニストの一人,ミェチスワフ・ホルショフスキ(Mieczysław Horszowski, 1892-1993)はオーストリア=ハンガリー帝国(現ウクライナ, リヴィウ)で,ユダヤ系の家庭に生まれた。 ホルショフスキは,自身はポーランド出身であると説明しているらしい。リヴィウ付近の国境は頻繁に変わっているが,1919年にポーランド・ウクライナ戦争後,1939年にドイツに占領されるまでの間ポーランド領だった。この期間がちょうど若きホルショフスキの活動の時期重なるので,

【Joseph Schillinger, 1895-1943🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ14】

ヨーゼフ・シリンガー(1895-1943)は旧ロシア帝国のハリコフ政府(現ウクライナ,ハリコフ)生まれの作曲家で音楽理論家。ぇ? 知らない? いや,実は僕も知らなかったのだけど,友人に「憂鬱と官能を教えた学校 — バークリーメソッドによって俯瞰される20世紀商業音楽史」という本が面白いと勧められて読んで初めて知った,現在の音楽界に大きな影響を残した超重要人物だ。 弟子にはジョージ・ガーシュウィン,ベニー・グッドマン,グレン・ミラーといった商業音楽の黎明期に活躍した錚々たる顔

【Benno Moiseiwitsch, 1890-1963🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ13】

名ピアニストのベンノ・モイセイヴィチ(1890-1963)は旧ロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)生まれ。 同年に同じ街で生まれたピアニストにフェインベルクがいる。ただ,フェインベルクは4才の時にモスクワに引っ越しているので,接点はなかったのかもしれない。 1904年から1908年までウィーンでテオドール・レシェティツキーに師事する。始めのオーディションで革命のエチュードを弾いたときには,レシェティツキーに,「私なら左足でもっとうまく弾けるよ。この曲には100位の繊細な表現が

【ドン・コサック合唱セルゲイ・ジャーロフ🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ12】

コサック・ダンスの「コサック」はウクライナの南ロシアにあった軍事共同体やそのメンバーを指す。ウクライナの中南部で遊牧民がルーツらしい。その一部は16世紀頃に南ロシアのドン川の下流に移住してドン・コサックと呼ばれるようになる。ドン・コサックはドン・コサック軍をつくり,やがてロシアの非正規軍となる。1917年のロシア革命のときには反革命側(白軍)として活動した。 白軍敗退後,ドン・コサック軍の副官だったセルゲイ・ジャーロフは1921年にトルコの捕虜収容所で主にドン軍のメンバーか

【Sergei Prokofiev, 1891-1953🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ11】

作曲家,ピアニスト,指揮者として活躍したプロコフィエフ(1891-1953)もロシア帝国(現ウクライナ,ドネツク)出身。サンクト・ペテルブルク音楽院でリャードフに和声法と対位法を,リムスキー・コルサコフに管弦楽法を学んでいる。 大御所の紹介はwikipediaの日本語ページだけでも充実した内容になっているのでそちらに任せるが,日本に始めてきた西洋の大作曲家でもある。1918年にアメリカ亡命を決心したとき,ヨーロッパは世界大戦中の真っ只中だったので,アメリカに向かう中継地とし

【Samuil Feinberg, 1894-1962🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ10】

名ピアニストで作曲家であるサムイル・フェインベルク(1890-1962)はロシア帝国オデッサ(現ウクライナ)生まれ。バッハ研究で名高く,ソビエト連邦で平均律クラヴィーア曲集の全曲演奏を初めてしたピアニスト。見出し写真の右がフェインベルク,左が弟子のメルジャーノフ(Victor Merzhanov, 1919-2012)だ。メルジャーノフは弟子の原田英代氏の招きで晩年に何度か来日しており,原田氏に時々レッスンを受けていた嫁がマスタークラスを受講したと言ってた。羨ましい。 モス

【Vladimir de Pachmann, 1848-1933🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ9】

ピアノギークなあなたなら,きっと知ってる伝説の名ピアニスト,ヴラディーミル・ド・パハマン (1848-1933)もオデッサ(ロシア帝国,現ウクライナ)出身。ショパンは1810年に,リストは1911年に生まれているので,その少しばかり後の子ども世代になる。 オデッサ大学の教授だった父親はかなりの腕前のアマチュアのヴァイオリニストで,ウィーンでベートーヴェンやウェーバーらにも会ったことがあるとか。パハマンはこの父親に18歳まで音楽を習い,その後,ウィーン音楽院でピアノをカール・

【Leo Sirota, 1885-1965🇺🇦 ウクライナの芸術家シリーズ8】

ピアニストのレオ・シロタ(1885-1965)を知っているだろうか? ちょっと検索してたらたまたま出てきたこの名前,どこかで聞いたことがあるんだけど...と気になって調べたら,実は日本のクラシック黎明期の重要人物。 シロタの生まれはロシア帝国(現ウクライナ)だが,娘は「パパはキーウ生まれよ」と,シロタの弟子は「ウクライナ南西部の出身って聞いてるで」と言ってるとのこと。ユダヤ系の一家の生まれで,父親は洋服屋。二人の兄は指揮者と音楽エージェントになっている。 シロタは5歳でピ

【Leonid Kogan, 1924-1982🇺🇦ウクライナの芸術家シリーズ7】

20世紀の名ヴァイオリニスト🎻の一人,レオニード・コーガン(1924-1982)はソビエト連邦エカテリノスラーフ(現ウクライナ, ドニプロ)の生まれ。アマチュアのヴァイオリン弾きでもあった写真家の父親がレオニードの才能に驚き,音楽の勉強をさせるためにモスクワに行き,10歳からモスクワ中央音楽学校(1934-43)で,その後モスクワ音楽院(1943-51)で,アウアーの弟子のヤンポルスキー(Abram Yampolsky)に師事する。 コーガンは,モスクワ音楽院で同門となった