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星祭り 

7月7日は七夕です。宗像大社の中津宮なかつぐうは七夕伝説発祥の地といわれているそうです。それにちなんで貝原益軒氏が筑前國続風土記に記しているお話を紹介です。

筑前國続風土記 巻之十六 宗像郡むなかたぐん 大島より抜粋 (意訳)

御社(中津宮)の後ろに高い山があります。御嶽みたけといいます。昔は山の上に神社がありました。天照大神あまてらすおおかみがいらっしゃいるといいます。寛文かんぶん2年(西暦1663年)に御社(中津宮)の境内に移動して末社としています。田島の祭礼記に、大島御嶽三所大菩薩とあります。
御嶽の下、本社(中津宮)のひつじさる(南西)の方に古い井戸があります。その水は極めて清く綺麗です。|御手洗みたらいの井といいます。この下が天の川です。そのためこの井戸を、社家では神代の巻に見える天眞名井あまのまないとして敬い大切にしているといいます。
社の前に天の川が流れます。この川は御嶽の下より出て、その川の端は左右に分かれて、牽牛けんぎゅう織女しょくじょ2つの星の小さな社があります。川をへだたています。古今集こきんしゅう秋部(古今和歌集こきんわかしゅう秋歌)の歌に、
秋風のふきにし日より久方ひさかた
天の河原にたたぬ日はなし
(秋風が吹く日々になってからずっと、天の川の河原にたたない日はありません。=貴方をずっと待っています)
石見女式いわみのじょしき髄脳ずいのうの記載では、筑前大島というところに星宮ほしみやがあります。川を隔てて宮はあります。北を彦星宮ひこぼしみやといいます。南を七夕宮たなばたみやといいました。男性は彦星の宮に籠り、女性は七夕の宮に籠ります。7月1日より7日まで籠って、川の中に三重の棚を作って星祭りを行います。3つの手洗たらいに水を入れてその影を見ると、いずれも逢うべき男性の姿が手洗にうつれば、その男性に縁があると知ることができるとあります。
古今集栄雅抄えいがしょうの記載では、筑前国大島に、星の宮があり、北は彦星を祝い、南は織女を崇めています。二社の間に川があります。天の川と名付けられています。
(子供の欲しい夫婦は)女児を得ようと思うなら、織女の宮に籠ります。男児を得たいと思うなら彦星の宮に籠ります。
7月1日の夜より7日の夜半まで、川の中に棚を作って、手洗の上、中、下の3つに水を入れて、上中下に男性の名を書いて祭りをして、手洗にうつった結果に従って、その男女の縁を定めるのです。この祭りをするため、河原に(人々が)たたない日はないといいます。



石見女式髄脳と古今集栄雅抄ではそれぞれ少し異なっているようですが、3つの手洗で未来の旦那様を占うというのはいいですね。
宗像大社中津宮では、今年も8月1日~7日まで七夕飾りがあり、7日の20時から祭事が行われるそうです。
織女(織姫)様は、元は上手な機織り手(=機織りが上手だと良い縁談がくる)になりたい願いを叶える神様でしたが、現在では恋愛と仕事を両立させてくれる神様といえるでしょう。

宗像大社中津宮は、神湊から船で大島に渡ったところにあります。
福岡県宗像市大島1811(〒811-3701)


用語解説

寛文 … 元号。西暦1661年-1673年。
田島の祭礼記 … 宗像大社辺津宮は、田島宮ともいわれるので、辺津宮の祭礼記?
石見女式髄脳 … 和歌四式わかししきの1つ石見女式での和歌の作法や規則の歌学書。
古今集栄雅抄 … 飛鳥井あすかい家の古今栄雅抄。飛鳥井栄雅あすかいえいが(雅親まさちか)以来のの古今和歌集の諸注大成。古い注釈書。

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