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H3ロケット試験機2号機 打ち上げ経過記者会見 第2部<技術説明>文字起こし

日時

2024年2月17日13:00~13:30ごろ

登壇者(敬称略)

  • 岡田 匡史(おかだ・まさし)……JAXA H3プロジェクトチーム プロジェクトマネージャー

  • 新津 真行(にいつ・まゆき)……三菱重工業株式会社 防衛・宇宙セグメント 宇宙事業部 H3プロジェクトマネージャー

岡田プロマネより挨拶

 皆さん、本当にお待たせいたしました。ようやくH3が「おぎゃあ」と産声を上げることができました。ここまで皆さんに支えられてこられたと思っていますので、短い時間ですが、いろいろとお話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

質疑応答(敬称略)

産経新聞:成功に至って、いまのお気持ちを率直に。

岡田:今日だけのお話にさせていただきたいのですが、ものすごく重い肩の荷が下りた気がします。すっきりしたという感じです。ただ、H3はこれからが勝負なので、しっかりと育てていきたいと思います。

産経新聞:今回の打ち上げ、採点するとしたら100点満点で何点ですか。

岡田:これも今日だけの話にさせていただきたいのですが、(隣に座る新津さんと「いいですね?満点で」と相談したうえで)満点です。

産経新聞:H3はまだ試験機で、今後も育てていくという話ですが、どう育てていきたいですか。

岡田:H3はまだ2回の打ち上げを経験しただけです。打ち上げに至るまでの、製造して運用して打ち上げるという全体の流れがまだちゃんと作れておらず、造るとき、打ち上げるときにトラブルが出れば、そこを手直ししてというのを繰り返しており、非常に手のかかる状態です。

これをうまくこなし、H3を事業の軌道に乗せていくというのが重要だと思っています。

産経新聞:新津さんへ。いまの気持ちを。

新津:ホッとしたというのがいちばん強いです。

産経新聞:今回の打ち上げの採点は?

新津:100点満点だと思います。

産経新聞:新津さんとしては、H3を今後どう育てていきたいですか。

新津:本日の打ち上げは成功しましたが、おそらく細かくデータを見ていくと、たとえば設計で思っていたものと多少違う動きをしていたり、もう少し改善が必要だったりといった点がいろいろ出てくると思います。そういう点に手を打って、ロバスト性を高め、安定して打ち上げができる、信頼性の高い機体に仕上げていきたいです。

そして、毎回の打ち上げのたびに成功を喜ぶのではなく、打ち上げ成功が当たり前になるくらい、淡々と打ち上げできるような機体に仕上げていきたいと思います。

産経新聞:超小型衛星2機が「分離に成功した」という発表でしたが、これはそれぞれ軌道投入にも成功したという理解でよろしいですか。

新津:はい、軌道投入に成功したということです。

KYT:岡田プロマネへ。1つ目の衛星が分離されたとき、熱い抱擁がとても印象的な場面でした。映像からは少し遠くて見えなかったのですが、あの瞬間は満面の笑みだったのか、涙を流していたのか、どのようなお気持ちだったのですか。

岡田:私だけではなかったと思いますが、笑いながら泣いていました。

KYT:あの瞬間というのを待ち望んでいたという気持ちが大きいですか。

岡田:そうですね。我々プロジェクトチーム以外にも、多くの方々に支えられてここまで来て、そのメンバーがあそこ(竹崎総合指令棟(RCC))に座っていたわけですが、全員同じ気持ちだったと思います。

KYT:今回の打ち上げで、CE-SAT-IEが分離されたタイミングは、前回の打ち上げで「だいち3号」の分離が予定されていたタイミングとほぼ同じだと思いますが、「もし、今回載っていたのが『だいち3号』だったら」と思ってしまったことはありますか。

岡田:(目を瞑って、しばらく沈黙ののち)あります。(噛みしめるように)あります。

MBC:岡田さんに。この1年、いろんなことを考えてこられたと思います。いまのお気持ちと、これまでの1年間を振り返って、過去の苦しかったときの自分になんと言ってあげたいですか。

岡田:時間というのは、実際には前を見ても後ろを見ても同じ長さのはずですが、前を見ている時はすごく短く感じて、振り返ると長い一年でした。

(2023年の)7月くらいが苦しく、"出口が見えない夏"でした。そこを乗り切れたのは自分だけの力ではないですが、あのときの自分には、「あの闇を抜けられて良かったね」と言いたいです。

MBC:今回の打ち上げには、全国各地からたくさんの人が応援に来られています。そうした方々にはどのようなメッセージを伝えたいですか。

岡田:今回の打ち上げが、天気の都合で2日間延期した際、いろいろな方とお話しする機会があったのですが、「去年も来たんですよ」という方が半数以上おられ、大変ありがたく思いました。そういう方々に対しては、もう一度お会いして、「本当にお待たせいたしました」とお伝えしたいです。

朝日新聞:岡田さんに。第2段エンジンの着火の際、「よっしゃ!」という声が動画を通して聞こえましたが、岡田さんがおっしゃったのか、また、そのときのRCCの様子や気持ちを教えてください。

岡田:「よっしゃ!」は打上実施責任者の口癖なので、彼の声がいちばん大きかったと思いますが、私も同じくらいの叫び声を上げていたと思います。

あのとき、私たちの前の席では、まだロケットの追跡のオペレーションが続いていたので、あまりうるさくしたくはなかったのですが、そのときだけは許してほしいと思いながら声を上げました。

朝日新聞:お気持ちはどうでしたか。

岡田:すみません、前の回答は衛星分離のときの話でした。あぁ、でも第2段エンジンの着火のときも声を上げていましたね(笑)。

(対策や試験をしたので)第2段エンジンの着火はしくじらないと思っていましたが、やはり神様ではないので、100%(の自信)とはなかなかいきません。残りのほんの少しのところをクリアしたなという想い、安心感でした。新津さんはどうですか。

新津:まったく同じ想いです。やれるだけのことはやって打ち上げたので、ここ(第2段エンジン着火)でしくじることはないだろうと思っていましたが、「万が一失敗したら」という想いはありました。ですから、ロケットから第2段エンジンの着火を示す信号が届いたときには、三菱重工サイドもみんな声を上げたと思います。

日本経済新聞:第2段エンジンについて。試験機1号機で着火できなかった要因について、3つのシナリオに絞り込み、対策をして打ち上げたということですが、今回の飛行データを見て何かわかった点などはありますか。

新津:詳細なデータ分析はこれからになりますので、そこのデータをよく見たうえで、我々がまだ気づいていない点、直すべき点があれば、今後の設計に反映していきたいと思います。

前回の打ち上げの失敗のあとに、飛行データをもう少し充実させて取るべきという議論をし、データの種類を増やしたり、精度を高めたりといった施策を行いました。そのデータをきっちり分析して、次につなげていきたいと思います。

KTS:岡田さんに。長い間ロケットに携わってこられて、60歳を迎えられました。今日はどんな一日になりましたか。

岡田:私は再雇用の身ですが、年齢のことはすっかり忘れて仕事をしています(笑)。

私は15歳のときからロケットの仕事がやりたいと思い、この仕事を始めて35年くらいが経ちます。その締めくくり、あるいは大きな節目になるようなタイミングで、今回の成功ができて本当によかったです。

KTS:次の世代にどういうことを託したいですか。

岡田:ロケットの失敗というのはやってはいけないことです。ただ、失敗があるとエンジニアはものすごく強くなります。それは、これまで合計4回の失敗を経験した中で見てきたことです。(試験機1号機の失敗から)この一年で強くなったエンジニアに、「あとはよろしく頼むぞ」という想いでいます。

JSTサイエンスポータル:岡田さんに。これまでたびたび「ロケット開発は魔物だ」とおっしゃってこられましたが、子どもや若者に向け、その魔物と対峙することの難しさや魅力を伝えてください。

岡田:(子どもたちが見ているカメラのほうに視線を向け)ロケットという乗り物は、一回打ち上げてしまうと、やり直しのできるものではないので、そこがすごく難しいところです。ちょっとフライトをやり直そうということができないのです。

ですが、そういった難しいものを開発して、打ち上げて成功させることに、私はものすごく魅力を感じています。もちろん、つらいときもありますが、それは好きなら乗り越えられると思います。

それはロケットだけではなく、どんなことでも同じだと思うので、お子さんには「なんでもいいから好きなことを見つけて、それにチャレンジして、乗り越えるのが楽しいよ」ということを伝えたいです。

JSTサイエンスポータル:新津さんからも、ロケット開発の難しさや醍醐味を。

新津:私は、ロケットの打ち上げというのは、オリンピックの100m走と似たところがあると思います。勝負は一瞬で終わりますが、その勝負にかけるために何年もの期間を費やします。

我々のロケットの場合、開発開始から10年かかりましたが、打ち上げは短いときには十数分で勝負が決まってしまいます。その十数分のために、何年という期間を、大勢の仲間たちと一緒に開発に取り組んで、そして成し遂げるという喜びは、何ものにも代え難いと思います。

今回の打ち上げを見たお子さまたちが、夢を持って、ロケット開発やいろんなことに取り組むきっかけになってもらえたらいいなと思います。

ニッポン放送:H3は民生品を採用していますが、それについて問題はなかったのか、採用がどのように開発に寄与したのか、あらためて意義について聞かせてください。

新津:H3はコスト競争力をつける観点から民生品を多用しています。とくにアビオ機器(搭載電子機器)は、従来のロケットでは宇宙専用部品を多用しており、数が出ないことからコスト増を招いていました。H3のアビオ機器には、かなり大胆に民生部品を取り入れています。

今回のフライトにおいても、宇宙空間の環境下において、アビオ機器は問題なく作動しています。民生品を使うことで、信頼性を確保しつつコストを下げるという当初の目的が達成できたのではないかと考えています。

ニッポン放送:岡田さんに。JAXAとして、今回の打ち上げは「成功」という言葉が言えるのですか。

岡田:(力強く)成功しました。

……ちょっと冗談っぽく言ってしまいましたが、成功と失敗の境目というのは難しく、打ち上げ直後にはわからないこともあります。あらかじめ線を引いておいて、そこに入ったら成功、入らなかったから失敗と言うのも難しいところがあります。

ですが、今回の打ち上げは、結果からすると即、成功と報告できると思います。

アラフネ計画:衛星分離の瞬間に立ち上がって抱き合っておられましたが、そのときの気持ちを。

岡田:事前に、どこで喜びが出てくるだろうかと考えていましたが、シーケンスからすると軌道投入して、CE-SAT-IEが分離されたところだろうと思っていました。そこがいちばん大きな節目、いちばん大きな喜びでしたから、みんな(抱き合ったり声を上げたりといった行動が)出てしまったのでしょう。

ただ、あとで映像を見返してみましたが、あそこまでみんなですごいこと(抱き合ったり声を上げたり)しているとは思いませんでした(笑)。

また、その後もシーケンスは続き、TIRSATの分離やVEPー4の分離、再突入したときにも、カメラのないところで拍手していました。

アラフネ計画:3号機以降に向けての計画について聞かせてください。

岡田:3号機の準備は、明日からでも進めないといけない状況です。これからH3を育てていくうえで、3号機がその手始めになります。大切なミッションを、きちっと宇宙に届けられるようにしたいと思います。

アラフネ計画:新津さんに。これからH3を事業の軌道に乗せていくうえで、製造面などでブラッシュアップしなければいけないという話ですが、どういう点がポイントになってきますか。

新津:現時点ではまだ、H-IIAとH3を並行して生産、運用しています。H3の元々のコンセプトは、同じ機体を淡々と、同じペースで造ることによって生産性を上げていくことを目指していますので、それに近づけていきたいと思います。

また、実際にものを造ってみると、まだ工夫が必要なところなどがたくさん出てきましたから、どんどん手を入れていき、短期間で、等ピッチで淡々とものづくりができるよう、ブラッシュアップしていきたいと考えています。

アラフネ計画:試験機1号機の失敗を受け、改修や改善した部分がありますが、今後量産する段階でも、そこは変えずやっていくのですか。

新津:そうですね。そう考えています。

日経クロステック:今回の打ち上げで、LE-9の調子はどうでしたか。30形態が打ち上げられる確証は得られましたか。

岡田:私も新津さんもまだデータは見ていませんが、第1段エンジンの燃焼終了のタイミングや、どういう経路を飛んだかといった、打ち上げシーケンスの実測値を見る限り、ほぼど真ん中でした。ですので、おそらくLE-9は予定どおりの性能を発揮したと想像しています。

ただ、なにかとなにか(たとえば性能が過剰に出てしまったものと過小に出てしまったもの)が打ち消し合っているなどの可能性はありますから、これから丁寧にデータを見たいと思います。

日経クロステック:30形態の完成に確信は持てましたか。

新津:LE-9はこれまで、技術的課題などもありましたが、最近の、後続号機に使うエンジンの領収燃焼試験などを見ていると、エンジンの性能や製造性などが非常に安定してきているという印象を持っています。

今日のフライトでも、データはこれから詳細に分析していきますが、少なくとも軌道投入に関しては、狙った軌道のど真ん中に入っていました。そのため、私は特段、30形態に対して、LE-9に由来する懸念はありません。

岡田:私も同じ気持ちです。

フリーランス秋山:これからH3での打ち上げを待っている衛星はたくさんあります。今回の2機の超小型衛星の分離、VEP-4の分離を踏まえ、衛星にとってH3はどういう乗り物になったのか、コメントをお願いします。

岡田:現時点では、まだほとんどデータが見られていません。いままさに、竹崎発射管制棟(LCC)の中では、ロケットエンジニアが首っ引きになってデータを見ているはずです。その結果はまもなく出せると思いますが、軌道投入精度だけは結果としてわかっていて、ほぼ狙いどおりでした。高度の誤差が1kmもない状態で入っています。いい飛行結果が出たと思います。

新津:我々としても、軌道投入精度が高い、信頼性がある、希望した日に打ち上げられるという、H-IIAからのヘリテージを引き継いだロケットになりましたということを前面に出せるよう仕上げていき、そこを信頼していただき、サービスを提供していけるようになれたらいいなと考えています。

南日本新聞:30形態は、いつ検証などを行うのかなどの目処はついていますか。

岡田:30形態の開発は終わっている状態です。あとは、それをきちっと実際のロケットに仕立て、打ち上げるわけですが、(今回打ち上げた22形態とは)ある意味まったく違う形態なので、打ち上げる前にはロケットを射点に立てた状態で燃焼試験を行うなど、総合的な試験をしてから打ち上げることになります。

その計画は、まだはっきりと決まっているわけではありません。これからいろいろな関係者の人たちと相談して、その計画を決めたいと思います。

南日本新聞:少なくとも何号機以降で30形態を打ち上げたいといった目安はありますか。

岡田:まだそれもはっきりはしないです。ただ、次(3号機)ではないことはたしかです。

フリーランス林:軌道投入精度について、ほぼど真ん中ということでしたが、発表された打ち上げシーケンスの実測値について、計画値と数秒の違いしかありませんが、これはぴったりと言えるのか、もっと改善の余地があるのかなど、どのように評価していますか。

岡田:ロケットは一機一機個性があります。また、風などの影響で想定とやや異なる飛び方をすることもあります。そのため、必ずしも計画値とぴったり同じになることはありません。それを踏まえた上で、今回のフライトは、予測の範囲の中でもかなりいい線でシーケンスが進んだと思います。

新津:時々、少しずれることもありますけれども、今日のフライト結果を見た限りでは、そこそこ良かったなと思います。

フリーランス林:岡田さんに。先ほど「失敗を経験したエンジニアはものすごく強くなる」という言葉がありましたが、なにか具体的なエピソードはありますか。また、失敗という厳しい状況を乗り越えるために、岡田さんからチームに、なにか呼びかけや、働きかけはされましたか。

岡田:失敗は、精神的にも強くないと乗り越えられません。試験機1号機の失敗から抜け出すとき、先が見えない中でも、とにかく前に進まないと未来がないというところで、精神的な強さが必要でした。そこを自分たちで実践できたことが、ひとつの大きな経験になっていると思います。

また、(第2段エンジンの着火失敗の原因究明という)非常に難しい技術的な課題を突きつけられた中、いろいろなことに洞察力を働かせて答えを導き出していったことで、技術面でも強くなったと思います。

前回の失敗は第2段エンジンの着火の失敗で起きました。第1段エンジンやSRB-3はものすごくうまく飛びましたが、それを開発したメンバーは喜べない1年間でした。今回の打ち上げ成功で、すべて喜びにつながったのではないか、逆に言うと、それぞれのメンバーにとって1年間大変だったろうなと思います。

私はすべての部門の担当ですから、それぞれの気持ちになって、できるだけ声を掛けるようにしていました。

新津:強くなったとはどういうことかと考えると、「怖さを知った」ということだと思います。あれだけのロケットが、設計や製造における、ほんのわずかな、思いもしなかったことで、問題を起こして失敗してしまうという怖さです。

そういう経験をしたことによって、若いエンジニア一人ひとりが、自分の担当したところの設計はこれで本当に問題はないのか、見逃していることはないのかということを、自ら考えられるようになったことがいちばん大きいと思います。

私たちのエンジニアは非常に優秀で、私がああしろこうしろと言わなくても、自分たちで考えて、かつ怖さを知ったうえで、「ここがちょっと気になるから、やっぱりよく見てみよう」という動きを取れるようになったことが、非常にうれしく思っています。

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