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私について(10/10)

末路

ここから詳細は省きますが、お金を返して欲しいという電話が身近な方から言われるとやはり辛いものがありました。

何よりも響いたのが

「信じていたのに」

そうして、少しづつ会社からなくなっていきました。

そして、3ヶ月が経つ頃には事業不能となっていました。
その頃には私と数名の引継スタッフが片付けに出勤しました。

家族からこの頃の私はというと

曰く

寝てない
食べない
食べても戻す
手が震えてる
全ての指先の皮が剥ける
謝罪しながら意識が飛ぶ
常に誰かに見られていると錯覚

完全にうつ状態でした。

記憶も曖昧です。
事実発覚後は1日に1回風呂に入りに家に戻る時以外は、会社に詰めて無心に片付けをしていたと思います。

その間、来店される方々からは…心配をして頂きました。
叱咤激励全てがありがたかったです。

最後に

その後、代表について分かった事は

10年以上前から繰り返していた。
後半は預り金から配当を回していた。

他は黙っているそうです。






これでおしまいです。

何度も見返して、お伝えできてるか確認してはまた直して…の繰り返しでした。

この時、私は

お客様への申し訳なさ
黙って処理されていた怒りや悲しみ
会社がなくなった寂しさ

と言った様々な感情に押し潰されました。

そこから、時間をかけて療養を続けていく内に、私事として、振り返る事、思い巡らす事が出来ました。

残念ながら、この後、私はうつ状態を改善しては悪化しての繰り返しとなります。

が、また別の話となります。

かなり暗い話となりました。

貴重な時間を使って読んで頂いた皆様。
至らない気持ちと感謝の気持ちで一杯です。

またお会いできれば幸いです。

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