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エティック視点とエミック視点の必要性

 今回は,研究対象を捉える2つの視点の話をします。ほとんどの方はビデオゲームに何らかの形で触れて,プレイしたことがあると思います。ビデオゲームを一度もプレイしたことがないという方は,ごくまれですが,実際にいらっしゃいます。ビデオゲームの学術的研究をしていると,やや特殊な経験をすることがあるもので,ビデオゲームをプレイしたことがないけれども,英語で書かれたビデオゲーム研究の本を真面目に読んでみようという方に,私は数回出会ったことがあります。ビデオゲームをプレイしたことがないにもかかわらず,研究に参加するということが一体どのような体験なのか,興味がわくところではありますが,果たしてどの程度の理解がもたらされるのでしょうか。この記事では,ビデオゲーム研究の本を読む場合を例として,研究対象を捉える視点について考えてみたいと思います。

エティック視点とエミック視点

 言語学者のケネス・リー・パイク(Kenneth Lee Pike)が考案した概念に,「エティック(etic)」と「エミック(emic; イーミック)」というものがあります。エティックとは,ある現象を外側から分析する視点を指します。エティック視点には,より客観的に観察することができるというメリットがあります。これに対し,エミックはある現象を当事者として内側から分析する視点を指します。

 なお,これらの用語は,言語学における音声学を意味するphoneticsと音素論を意味するphonemicsにそれぞれ由来しています。

片方の視点のみでは対象の深い理解は不可能

 大学院では,何人かが集まって英語で書かれた文献を読む輪読がしばしば行われます。複数回にわたってビデオゲーム研究の英語文献を扱う輪読作業で,ビデオゲームをプレイした経験がないという参加者がいらっしゃったことがあります。最終回までしっかりと参加されていましたが,ずっとビデオゲーム未経験のままでいらっしゃったと記憶しています。そういった方々は,ビデオゲームというメディアをおそらくかなり客観的に見ることができていたと思います。すなわち,ビデオゲーム研究に関心をもって,完全にエティックな視点でビデオゲームを見ることができていたと考えられます。発表される際にも「私はまったくゲームをしたことがありませんが」とか,「ゲームについてはあまりわかりませんが」とか付け加えられていました。もしかしたら鋭いコメントがあるかと期待していましたが,結局はありませんでした。しかし,毎回欠かさず参加されていたので,真面目に勉強されているという印象を受けました。やはり,エミックな視点もないと,さすがに面白い考えも浮かばないものだろうか,と当時は考えたものです。

 どの分野の研究でも,エティック視点とエミック視点の両方が重要だと思われます。ビデオゲーム研究の英語文献を読んでいると,ビデオゲームの例がいくつか登場しますが,もしそのビデオゲームをプレイしたことがなくても,自分がプレイしたことがあるものと比較して,イメージを膨らませることができると思います。そういった意味で,ビデオゲームの研究においては,エミック視点がかなり重要になるといえるかもしれません。輪読の際には発表者がビデオゲームの動画を示してくれていました。しかし,見るだけでは自分で定めた目標への挑戦や自分のスキルを意識することができないため,インタラクティブなメディアといわれるビデオゲームを深く理解することが難しいのではないでしょうか。学術的研究とはいっても,プレイ環境が整えられさえするのであれば,実際に少しプレイしてみるということが深い理解を促してくれると思います。

 ビデオゲーム研究においては,エミック視点のみが重要なのではなく,双方の視点を相補的に用いるべきだと考えます。ビデオゲームを研究するという行為自体がまさにビデオゲームをエティックに見るということでもあります。自分のプレイ経験をいったん脇に置いて考えることができれば,双方の視点が得られてより理想的だということになるかもしれません。

 いずれにしても「私はまったくゲームをしたことがありません」という状態でビデオゲームの研究をするのは,ちょっともったいないと思います(かなり特殊で珍しいケースだとは思いますが)。また,最近はあまり見かけないような気がしますが,ビデオゲームをプレイしたことがない(なさそうな)人が悪影響を語ると,どことなく空虚な感じがするのと同じで,視点が少ないと認識できる範囲が大きく狭まってしまうおそれがあるのではないでしょうか。だいたいのことに当てはまると思いますが,視点は偏らず,多いほうがよいと思います。

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