ゲーム依存の捉え方
以前,『ゲーム研究の手引きⅡ』について紹介しました。今回は,この手引きで私が解説したキーワードのうち,「ゲーム依存」を取り上げて,内容をかみ砕きつつ,補足的な説明を加えていきたいと思います(『ゲーム研究の手引きⅡ』の紹介記事はこちらです)。
ゲーム依存の定義
ビデオゲームを過度に,かつ強迫的に使用することによって,社会的・感情的な問題が生じているにもかかわらず,プレイヤーがその使用を抑制することができないことと定義されています(Lemmens, Valkenburg, and Peter 2009)。ここで大切なことは,ビデオゲームの使用によって日常生活に支障をきたしているかどうかということです。たとえば,学校や会社に行かなければならないのに,ゲームを優先して外に出ようとしないというのであれば,ゲーム依存だということになります。
別のケースも考えてみましょう。ある子どもが1日のゲームは1時間までと決めていたのに,夢中になってしまい,つい2時間プレイしてしまいました。たまにこういうことがありますが,学校にはきちんと通っています。ゲームは好きなので,なかなかやめられそうにありません。
この人はゲーム依存だといえるでしょうか。定義を見ればわかるとおり,そうとはいえないでしょう。もちろん,日常生活の問題をレベルをどこに設定するかという話にもなるので,微妙な部分もありますが,生活における優先度を考えてゲームを後回しにできるようであれば,ゲーム依存だとはいえないでしょう。
定義の必要性
ところで,定義はなぜ必要なのでしょうか。Aさんの考えているゲーム依存とBさんの考えているゲーム依存が異なるという場合,AさんとBさんが話し合っても,かみ合わないので最後には泥沼化します。話し合っているのではなく,一方的に話しているような場合でも,コミュニケーションが失敗してしまうため,一方の考え方が他方に十分に伝わりません。定義が必要なのは,定義がないと話がかみ合わなくなるからです。
ゲーム依存の話は最近のホットトピックです。盛り上がっていれば,このトピックに関心をもっている人や不安に思っている人など,たくさんの人が議論したり考えたりすることになります。人が多いと議論がかみ合わなかったり,考え方が伝わらなかったりすることが増えるので,話し始めるときには何らかの定義が必要になると思います。
精神疾患として注目される
ゲーム依存は,ビデオゲームが誕生して以来,ずっと存在していたビデオゲームのネガティブな側面でした。問題がとくに顕在化したのは,インターネット技術が普及してオンラインゲームが盛んになり始めた2000年代頃からでした。MMORPGをはじめとしたジャンルが確立して流行すると,インターネットの向こう側にいるプレイヤーとの関係が発生するようになりました。すなわち,対人関係(社会性)がビデオゲームの大きな魅力になり,オンラインゲームは圧倒的な人気を博しました。MMORPGの代表作のひとつに,2002年にサービスが開始された『ファイナルファンタジーXI』があります。この頃からゲーム依存の問題が関心を集めるようになり,やがて「ネトゲ廃人」のような言葉も生まれました。2013年には,アメリカ精神医学会による精神疾患の分類と診断の手引き書であるDSM-5の「今後の研究のための病態」の項目において,インターネットゲーム障害(Internet Gaming Disorder)の診断基準が発表されました。
社会問題としてさらに注目を集めるきっかけになったのは,この後です。2018年に,世界保健機関が作成しているICD-11(国際疾病分類)において,ゲーム障害(gaming disorder)の診断基準が発表されました。ICDはDSMよりも多くの国で用いられています。我が国ではICDに基づいた分類が医療現場や医療行政で用いられていることから,ICDにおいてゲーム障害の診断基準が発表されたことによる社会的インパクトは,非常に大きかったといえます。実際に,テレビや新聞などでゲーム依存がトピックとして盛んに取り上げられ始めたのもこの頃からです。
注意すべき点
これだけ注目を集めるようになると,名前だけが独り歩きを始め,人の不安を煽ることになります。「うちの子もゲーム依存なのでしょうか?」と心配される方もいらっしゃるでしょう。もちろん,問題が大きいと感じられる場合は医師やカウンセラーに相談すべきです。しかし,上記の「ゲーム依存の定義」を見て判断に迷うような場合は,もう少し冷静に考えてもよいかもしれません。
ゲーム依存である人の数は判断基準によって違いますが,世界的に見てもビデオゲームのプレイヤー全体に占める割合は3%から8%程度で,少ないことがわかっています。もう一度確認すると,ビデオゲームの使用によって日常生活に支障をきたしているかどうかが,ゲーム依存であるかどうかの判断の分かれ目になります。少なくとも,ゲームをたくさんやっていても,普通に学校に通っているような子どもを即座に「この子は病気なのでは?」と判断して焦ってしまう必要はまったくありません。ゲームにハマっている家族を見ただけで「旦那(嫁)はゲーム依存だ」とか「この子はゲーム依存だ」とか決めつけてしまって,性急な対応をすべきではないのです。
もし日常生活に支障をきたしていたとしても,ビデオゲームのみが原因ではないこともあります。もしかしたら,学校でいじめられていて,不登校になり,結果的にゲームをたくさんプレイしているのかもしれません。背後にSNSによる問題が隠れていることもあります。問題があれば,医師やカウンセラーに相談したうえで,原因を慎重に判断していく必要があります。そもそも,専門家に診断されるまでは「ゲーム障害」でも「ゲーム依存症」でもありませんので,ご注意いただきたいと思います。
名称は「ゲーム中毒」ではない
ゲーム依存は,ギャンブル依存や買い物依存などとともに「行動嗜癖」(こうどうしへき)であると考えられています。アルコールや大麻のような物質に依存しているわけではないため,「中毒」という言葉を使うのは誤りです。
誤った言葉を使用した本や記事があれば,それらは信用すべきではありません。科学的な根拠に基づいた意見ではなかったり,人の不安を煽って商売をしていたりする可能性があるからです。そのようなものにお金を払うべきではありませんし,無料であっても話半分くらいに聞くのがちょうどよいでしょう。
中立的な立場からゲームを捉える
私はゲームが好きですが,ゲームの味方だけをするつもりはありません。ゲームには悪い部分がきっとあるでしょう。一方で,ゲームには大きな可能性があり,良い部分がたくさんあります。たとえば,ゲームの依存を生じさせる特徴は,シリアスゲームに使われれば,学力を上げることにつながります。私は好き嫌いを脇に置いて,ゲームを中立的な立場から見ていきたいと考えています。ゲームをどのように見るべきかということについて,おそらく正しいのは科学的な視点でしょう(もちろん,必ずしも科学が正しいとは限りません)。私は,これまで起きてきたゲームの悪影響論と同様に,ゲーム依存の問題を少し距離を置いて見ています。関連する研究はまだ少なく,強い主張をするのは時期尚早だと感じています。
ゲーム依存をめぐる問題が過熱している様子は,2000年代の「ゲーム脳」をめぐる問題のときと似ているように思います。マスコミは報道番組を通してトピックに熱を加えています。最近はそれにWeb記事も加わり,一方でネガティブな意見に対して,ゲーム産業は警戒を強めています。悪影響論は5年から10年の周期で繰り返してきましたが,ゲーム依存をめぐる問題はゲームの面白さと表裏一体であるものが対象となっているため,歴史的に見て最も本質的であるかもしれません。
ゲーム依存がホットトピックになり,「香川県ネット・ゲーム依存症対策条例」をめぐっては,かなりの熱を帯びていたと見ています。政治的な問題としてゲームが取り上げられたことは注目に値しますし,今後も注視していくべきでしょう。個人的には,賛成と反対のどちらの立場の方にも,もう少し慎重に議論をして欲しいと考えています。過熱したからこそ,冷静になることにこしたことはないでしょう。
論文や診断基準などの詳しい話は,『ゲーム研究の手引きⅡ』の「ゲーム心理学のキーワード」に書いています。ご興味をもたれた方は,ご参照ください。
引用文献
Lemmens, J. S., Valkenburg, P. M., & Peter, J. (2009). Development and validation of a game addiction scale for adolescents. Media Psychology, 12, 77–95.
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