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クリスタル・クルーズに注目する理由

富裕層向けインバウンドの成功事例として、格好の模範となるのが米国クリスタル・クルーズ社です。

このクリスタル・クルーズ社は、最初のオーナーであった日本郵船が、1960年の「氷川丸」の引退以来、すべての定期クルーズ船の運航を休止していました。

しかし1987年にレジャー産業におけるクルーズ事業を目的として、クルーズ船の運航を復活させることにしました。

『松』(北米市場向け大型船)
『竹』(日本市場向け中型船)
『梅』(地方創生を目的とした小型船)

クリスタル・クルーズは、この3つのプロジェクトを同時に進めることにしたのです。

クリスタル・クルーズは、日本郵船本社の客船準備室が1988年にロサンゼルスに設立した100%出資の子会社。

その第一番船「クリスタル・ハーモニー」をベアボートとして、乗組員やエンターテイナーを乗せ、北米のクルーズ市場で事業を行うことを目的としていたのです。

外国人幹部は、ロイヤル・バイキング・ライン社のノルウェー人、フライデンバーグ船長とエンガン船長以外はすべてアメリカ人で、スバルスキーは当時イギリスP&O社の子会社であったプリンセス・クルーズ社の出身であったのです。

彼らの指揮のもと、アメリカ人や約15カ国の永住者を含む100人以上の陸上職員が、プロダクション・ショーの制作、クルーズ商品の開発、スケジュールの編成、港での船舶代理店の任命と監督、船の整備、乗組員の採用と配置、船の運航の指揮、船の乗客と乗組員のための食糧や物資の調達と積み込み、船員への各種サービスなどに従事しました。

乗客・乗員の食料・船用品などの調達・積み込み、マーケティング(広告・宣伝)、航空券予約、乗船券発行、経理などの事務を担当。

乗組員の募集、面接、配属はオスロの事務所を通じてヨーロッパとフィリピンで行われ、船長はキュナード社のカイ・ユルセン氏。

スタッフ船長はロイヤルバイキングライン社のリードルフ・モーレン氏、ホテルディレクターは同じくロイヤルバイキングライン社のオーストリア人、ディーター・ヴェータンツル氏で、彼は船の建造中に三菱重工の長崎造船所に派遣されました。

乗組員の3分の1を占めるフィリピン人船員をはじめ、ノルウェー人の航海士や機関士、スウェーデン人のスチュワーデス、オーストリア人のシェフ、南欧や東欧からのウェイターなど、30カ国以上から集まった500人以上の外国人男女が働いていたのです。

また、プロダクション・ショーに出演するために、英語を話すダンサーや歌手も雇われていたのです。

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