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ユダヤ系富裕層の乗客との出会い

カギを握るユダヤ系富裕層

アメリカのユダヤ系人口は、500 万人で、アメリカの総人口 に占める人口比率 が、2%前後。現在 650 万人であったが、その人口比率からの考えられないほどの影響力をもち、特にアメリカ の経済や政治の 4 分の 1 を左右するといわれていた。
※注:イスラエルには、550 万人、口シア、1900 年で 400 万人、現在 100 万 人と言われています。

彼らの経済力、社会組織力は、アメリカのマイノリティー 社会でも、際立っていたのたです。この傾向は、旅行業界においても見られました。

旅行業界においては、彼らの先祖は移民枠のない頃に、 アメリカに渡り、ロシアに加えドイツ・ポーランドやオーストリアなどの中欧系のユダヤ人を親に持つ第 2 世代が多かったのです。

彼らの多くは、親の世代に、ニューヨークなど東岸の都市や繊維産業に代表される都市に、人口が集中していたのです。

しかし戦後、アメリカの経済が大きく変容し、南北戦争後の繊維産業から、第 2 次世界大戦前後には、鉄鋼産業・自動車産業・軍需産業への産業基盤の拡大したのです。

さらに新しいサービス産業なども加わり、アメリカ中西部の大都市は隆盛を極めていました。

これによって新しい仕事を求めて、東岸に点在していたユダヤ系アメリカ人も、この新しいアメリカ経済の中核地五大湖工業地帯にあるシカゴなど主要都市に集団的に移動し、移住する傾向が見られたのです。

この時代、すなわち、親の世代に新しい仕事を求めて中西部に移住してきた世代 の第 2 世代が、 中西部の都市部で、大きな人口の比較的豊かな人たちの)瘤を形成しつつ有ったが、彼ら自身は、 中西部生まれの海を知らない世代でした。

当時、北欧系やドイツ系の移民の多くは、アメリカ中西部の都市部やアメリカ西海岸における新興都市、ロサンゼルスやサンフランシスコの住宅建材供給基地としての林業などが主な産業で生計をしていました。

その彼らの居住地ミネソタ州やミシガン州、ウィスコンシン州での厳しい冬の寒さを避け、南に彼らの居場所を求めていたのです。

このようなヨーロッパ系移民やユダヤ人社会の周りには、旧ヨーロッパ祖国への里帰り便の手配などが旅行会社の仕事の関係で、零細旅行会社が多かったのです。

例えば、ユダヤ系社会の大きいシカゴ近辺には、1973 年よりニューヨーク〜ワルシャワ便を開設したポーランドの航空会社LOTと提携。

ポーランド系移民を対象とした里帰り便専門の会社が多くあったが、彼らも、彼らが抱えるユダヤ系客層の旅行に対する変化を嗅ぎ取っていたのです。

彼らのユダヤ系顧客は、厳寒の冬を避け、キューバなど南の島々に快楽を求める「スノー・バード」族が多数存在していたのです。

アメリカの航空業界最大手、パンアメリカン航空(現在のユナイテッド航空)等の国際線の急激な発達と重なり、ポーランドの冬に似た内陸のシカゴからの逃避を求め、新しい太陽を求めた旅の形に憧れていたので、旅行会社もセールスの方向を転換せざるを得なかったのです。

この様な客層には、彼ら特有のシナゴーグ等の集会や互助共同体的な生活パター ンを介して、キ ューバ観光などに、更なる注目が集まってい増田。

カストロ政権の出現で行き先が無くなり、その多くは、自動車の普及と共に、フロリダ州のマイアミなどや、急激な娯楽性を高め、滞在型の観光都市としての地位を固めつつあったラスベガスへと人は流れたのです。

その後、カストロ政権発足から数十年の時を経て、 再びカリブ海にはクルーズ客船が就航し始めたのです。

当然彼らも主要客層として、再びカリブ海へ繰り出しつつありました。

当時、提携先のビバリーヒルズにあるクルーズに特化したユダヤ系旅行者を扱っていた旅行会社のオーナーと対談し、 彼らが「海」に対する 願望が強いのかと聞いた事がありました。

答えは単純。

「多くの客が中・東欧からの出身者で海を見たことが無い」

と言うものでした。

この巨大な大陸の中西部では、空路網の発展なくしては、アメリカの旅行業界は、発展し得なかったと思われるのです。

この深層心理が、中西部の季節移動型のスノー・バード族を支えていたのです。

ポーランド系ユダヤ人を送り出す旅行会社としては、航空産業の規制緩和などの動きで、料金体系が複雑化し、減収になりつつあったポーランドへの里帰りの飛行機旅行より、高単価で高収入のラグジュアリークラスのクルーズ旅行を扱う傾向が顕著になった。

しかも、個人的なネ ットワークで、営業を行うスタイルでありながら、彼ら社会の地縁・血縁などやシナゴークといった特殊なネットワークや交流の機会などもあり、人的な繋がりが深く、堅く高額商品を扱うニッチマーケットで、頭角を現してきた。

ラグジュアリークルーズのリピーターとして、繰り返し乗船する傾向が強いことも彼らには好都合であった。

クルーズ会社から見て彼らは重要な存在であり、船上での「体験価値」を売るクルーズ客船にとっては貴重なマーケットでした。

帝政ロシアや中・東欧から逃れてきたユダヤ人作曲家たちは、戦前、戦後のアメリカの音楽界や映画界を支えてきたのです。

一例として、アーヴィング・バーリン「イースター・ パレード」「ホワイト・クリスマス」「ゴッド・ブレス・アメリカ」、

ジョージ・ガー シュウィン「ラプソディ・イン・パリ」 「パリのアメリカ人」

ロジャース & ハマーシュタイン「回転木馬」「南太平洋」「王様と私」「サウンド・オブ・ミュージック」などなど、、、。

これらはクルーズ旅行者にも大きな影響を与え、創業当時に就航していた「クリスタル・ ハーモニー」は、彼らの音楽などを中心とした舞台構成を約1年間演出していたのです。

その演出は大好評。

その後3〜4年は、彼らのショーはいつも満員御礼。
スタンデング・オベーションでした。

ユダヤ系ネットワークという特殊な販路

クルーズ乗船後はそのままデッキでランチタイム

当時の「ロイヤル・バイキング・サン」(乗客定員:850人名)船上において、毎週金曜日に定期的に開催されるラビ主催の宗教的会合には、150人前後の船客が参加していたといわれていたのです。

このような類の乗船客の販路を探る事となりました。

ロサンゼルスの某ユダヤ系旅行会社は、当時「ロイヤル・バイキング・クルーズ」に、年間 200 〜250人を送り込んでい増田。

その集客の仕組みは、毎週恒例のシナゴークという集会所を中心とした宗教的 会合や頻繁にユダヤ人が主催する集まる席でのクルーズに対する自己体験、彼らの血縁的交流・会話などを通しての誘致活動などにあったのです。

また、ユダヤ人専門のゴルフクラブでの「クルーズの夕べ」等のイベントを積極的に頻繁に開催し、クルーズの魅力を語ることも忘れなかった。

ラグジュアリー・クルーズ客船の集客には「船上での体験」の評価が、大きな動機付けになっており、そのためには、対面誘客活動や彼らの地縁血縁色の強い社交クラブ活動においての口コミによる誘いが 非常に大きな意味合いがあったのです。

情報の伝達力が、充分発揮されるという意味では「新しいクルー ズ会社」の進出と言う情報発信をしなければならない。アメリカのラグジュアリークルーズマーケットにおいて、極めて重要なマ ーケットでした。

こうしたユダヤ系旅行会社が、全米に散らばっている零細旅行会社に発信することがラグジュアリークルーズマーケットの拡大に繋がっていくのです。

このようなユダヤ人社会の零細旅行会社は、特に中西部の中小都市や西海岸のサンフランシスコやロサンゼルス、東海岸のニューヨークなどに、顕著であったのです。

ユダヤ人社会マーケットの把握は、統計なども余りなく、極めて難しいものでした。

しかし、 これらのマーケットの多くは、全米のユダヤ系政治家の地盤と奇妙に一致していたのです。

同じユダヤ人社会でも、第 1 次世界大戦時代からの帝政ロシア下の中・東欧を中心としたアシュケナジー系ユダヤ人社会や、アメリカで出生した子供世代、そしてホロコーストを経験した後の世代や、1980年代後半のソビエト連邦崩壊後に急激に増え、イスラエルより迂回移民した当時の旧ソビエト圏出身ユダヤ系移民などが存在していたのです。

同じユダヤ系でも、それぞれの行動パターンは異なっていました。

近年移民して来た旧ロシア系ユダヤ系の人たちは、旧体制下での富もあり、行動も積極的であり今後のラグジュアリー・クルーズにおいても新しい影響を与えるものと思われたのです。

その他、ペルシャ系やアルメニア系ユダヤ人社会とスペインなど西欧系、メキシコなど中南米系 ユダヤ人社会の旅行観が違う事も新たな発見でした。

同じユダヤ系アメリカ人でも第 2 次世界大戦前から移住し、子孫は生まれも育ちも根っからのユダヤ人と戦後のヨーロッパの政情不安てによってアメリカに移住してきたユダヤ人とも、その考え方は異なっていたのです。

カリブ海旅行に対する考え方も、戦前から、長く東岸に定住しているユダヤ系アメリカ人は、保守的でそれほど熱狂的てではない傾向です。

経済の発達に伴い機会を求めて中西部に移住した第 2 世代は、カリブ海クルーズ指向が強いといわれる。

彼らの多くが、ポーランドを初め、中・東欧からのユダヤ系移民で、「太陽と海と青い空」に対する考え方が違うが故であると言われていました。

遥か昔18 世紀のゲーテの「イタリア紀行」や、昨今の北欧やドイツなどの富裕層が、地中海スペインや旧ユーゴスラビア、特にボスニア・ヘルツコビアなどの海岸に、冬の住処を求めると同じ心理かと思われていたのです。

ユダヤ人の客層にとって、そのサービス海域も重要で有ることが分かった。イスラエル寄港は多くのユダヤ系乗船客の強い希望であり夢でした。

またアメリカの南西部に旅行代理店を展開する、 スペインやフランス系出身のユダヤ人旅行会社のオーナーは、スペイン・南フランスなどの寄港を提案していたのです。

一方、当時のユダヤ系の旅行代理店から、日本を含めたアジアへ行きたいとの要望は、極めて少なかったのです。

つまりアジアは彼らにとって最も遠い、遥か彼方の観光地でした。

ここで彼らの日本社会との関係の疎遠さを感じたのです。

その後、1990 年代初めから、このような地方に根を張るユダヤ系の零細旅行会社が「ヴァーチェソロ」や「シグネチャートラベルネットワーク」等の主力コンソリデーターなどの出現で集約され、現在のラグジュアリークルーズ市場の約40%前後は、彼らによって握られるいると言われてました。

彼らの希望する旅行先は、特にイスラエルやフレンチ・リビエラなどは人気が高いのです。

1990年代の湾岸戦争やイラク戦争の頃には、彼らは過敏に反応し、結果として、地中海クルーズは、彼らから敬遠されたのです。

その代替寄港地として、アメリ カ国内クルーズであるアラスカや北欧や南太平洋クルーズが、人気を集めたのです。

ユダヤ人人口:総人口比の高い州上位10位

2020 年版 「アメリカユダヤ年鑑」によるアメリカ国内のユダヤ系アメリカ人の人口推移が以下のように記載されてました。

数字はあくまでも目安ですが、かなりの整合性があると思われます。

・1位 ニューヨーク州  1,618,320(人) 総人口比 8.4 %
・2位 カリフォルニア州 1,194,190(人)総人口比 3.3%
・3位 フロリダ州 653,435(人) 総人口比 3.7 %
・4位 ニュージャージー州 480,000(人)総人口比 5.5%
・5位 イリノイ州  278,810(人) 総人口比 2.2 %
・6位 マサチューセッツ州  275,030(人) 総人口比 4.3 %
・7位 メリーランド州  235,350(人) 総人口比 4.2 %
・8位 コネチカット州  111,830(人) 総人口比 3.2 %
・9位 ネバダ ユダヤ州  69,600(人) 総人口比 2.9 %
・10位 ワシントンD.C ユダヤ人口 28,000(人) 総人口比 5.1 %

このようにしてアメリカのクルーズマーケットとしては、彼らの存在はなくてはならないものであるということがこの統計で理解できるかと思われます。


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