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睦月島豪商が建てた高級旅館を再現計画


※1972年昭和天皇皇后両陛下が2回目の奄美大島行幸として御訪問(写真:朝日新聞社)

1.【昭和天皇御宿泊旅館を建設した睦月島出身の行商】

伊予絣(かすり)の行商で全国を行脚し、その稼いだ利益で皇室御用達の旅館を造った凄腕な商人がいました。 名前は筆者の叔母、森本晴恵。 

昭和40年代中頃、彼女が行商で奄美大島滞在の際、昭和天皇陛下が2回目の奄美大島行幸されるという話を聞きつけた。当時奄美大島には陛下など皇族の方が安心して御宿泊されるに相応しい宿泊施設が無かったのを機に、旅館の建築に取りかかったのです。 旅館の名前は彼女の出身地「睦月島」にちなんで「むづき荘」

「むづき荘」はその後急成長を遂げ、JTB協定旅館にも認定され多くの宿泊客を受け入れました。しかし後継者問題の理由により廃業せざるを得ませんでした。そして晴恵は晩年は睦月島に戻り余生を過ごしたのです。

その晴恵の意志を受け継ぐのみならず、愛媛県の観光経済発展を目的に富裕層インバウンド誘致に特化して森本晴恵が生まれ育った「睦月島」にて、新生「むづき荘」を再現することで超限界集落から脱却し睦月島の繁栄を蘇らせ、愛媛県の経済発展に貢献するものと理解します。

睦月島へのアクセスは伊予鉄道高浜駅前の桟橋からフェリーで40分


2.【行商とみかんで栄えた睦月島】

睦月島は愛媛県松山市沖合の忽那諸島東部にあり、羽を広げたような形の島です。

明治から昭和中頃まで、睦月では「縞売り」(しまうり)という伊予かすりの行商が全国各地へ赴き、集落には繁栄した人の豪邸が立ち並んだと言われています。特に東海岸には「長屋門」と呼ばれる立派な門がまえの家屋が並び、その面影を留めています。

その長屋門は台風や高波から家を守るとともに、蔵や居室の役割も果たしています。

門をくぐると「ヒノリワ」と呼ばれる中庭があり、その奥に母屋があります。

かつて「行商の島」として全国に伊予絣などの反物を売り歩く人が多く、50隻の帆船を持って港もたいへんな賑わいをみせたが、現在は柑橘の島となっているのです。

当時の睦月島は、農業生産の豊かな中島や漁業収入のある津和地島などに比べ、人口が多い割に小規模で、生活の支えとなるものがあまりなかったようです。

ところが江戸末期から明治にかけて、睦月島の人々の生活は行商という生業を見出してから大きく変わることとなるのです。


長屋門」と呼ばれる立派な門がまえの家屋が当時の繁栄さが伺える森本邸(筆者撮影)

3.【睦月島での行商の始まり】

江戸時代は、参勤交代を行う帆船に対する潮待ち・風待ちの避難場として利用されており、その一行に対して品物を売る「沖売り」が増えたことが睦月島行商の始まりと言われております。江戸時代の末期から明治時代にかけて、伊予絣(いよがすり)を中心とした手織り反物製造が隆盛しました。

睦月島で製造した反物を、各自の船により行商で販売することで、仕入れの費用も流通経費もいらず、高利潤を得ることができたのです。また瀬戸内海中央部に位置することから、他地域への交通は非常に有利な立場にあったのです。

この手織り反物製造の発達は、愛媛県全体に見られたのですが、狭小で農業生産力の低い睦月島にとって、手織り反物の製造は貴重な現金収入であったため、多くの島民が従事したと言われております。

▪️行商の発展

江戸時代末期に始まった潮待ちする船舶に対する「沖売り」は明治 20 年を境に伝馬船で瀬戸内海各地の海岸や島嶼を周り、行商を行う「縞売り」として発展しました。

これは、ニグロ染め(おはぐろのふしで染めた黒の織物)を含めた手織り反物が、縞模様であることからその名で知られるようになったのです。

船団の規模も拡大。数名で船を宿とし、一度の行商で 1 ヶ月程度周ったと言われました。

明治 30 年代からは、さらに規模が拡大し、ある程度の帆船により「縞売り船」と称した船で寝泊りし、瀬戸内海にとどまらず九州・山陰各地に進出することとなるのです。

「縞売り」は戦前の昭和初期まで続きましたが、全盛期には売り子を含めて約500 人が行商に出ていました。その数は当時の睦月島の人口の約 3 分の 1 にあたります。

地中海を思わせるガストロノミーな島を目指し、イタリア料理で来島客をもてなす(筆者撮影)

3.【睦月島の今後の方向性】

・睦月島が抱える現在の問題点

歳月は流れ、2023年現在の睦月は高齢化率85%と全国でもトップクラスの超限界集落に様変わりしました。島民数は5月現在で166人と年々減少の一途で、5年後には1/2に、10年後には1/3になると予測されています。

さらに睦月島では一次産業の高齢化・後継者不足、空き家問題が深刻になっています。このような状況を島民は行政に相談するものの、「将来性のない過疎地」という事で聴く耳を持たれていないとのことです。

また睦月島ではイノシシによる農作物の被害が深刻になっており、農家の方々が手塩にかけた柑橘類を食い荒らしてしまう害獣をどのように解決したら良いかを常日頃ご苦労されていらっしゃるのです。

・打開策として、食事と文化の関係を考察するガストロノミーな島を目指す

このような状況を放置する訳にはいかないということで、睦月島総代の森本泰光氏と森本茂氏など睦月島の若い世代の有志の方々が、睦月島名産物の柑橘類や柑橘を加工したお菓子や酒類の製造にチャレンジしたり、獲れたての魚介類を使ったイタリア料理で客人をもてなしたりして再生を創意工夫して臨んでいます。

さらに島内でのイノシシ駆除対策のイベントを開催しました。主役として、東京神楽坂にある「リストランテ・カルミネ」オーナーシェフ、カルミネ・コッツォリーノ氏を招待。

カルミネ氏曰く「睦月島のイノシシは柑橘類しか食べないから肉の臭みもなくて美味しい」とコメントしました。カルミネ氏の出身国・イタリアでは野生のイノシシ肉が身近な食材として親しまれていて、さまざまな調理法が生活に根付いているのです。ジビエとしてイノシシ料理を地元料理にすることで農作物被害の改善策が見出せたようです。

豪商の古民家を修復・再現した生口島の高級旅館(引用元:Azumi Setoda HP)

4.【豪商の古民家をラグジュアリー旅館に改装した成功事例】

このように今後の人口減少、さらに宿泊施設が無い睦月島の経済発展などの問題をどのような解決の糸口になるかを模索していたところ、一例として同じ瀬戸内海に浮かぶ島にヒントがありました。愛媛県の大三島と広島県との県境にある「生口島」の瀬戸田町に「Azumi Setoda」があります。

今から150年近く前の明治9年に製塩で財を成した旧堀内邸をスタイリッシュに改装され奢な佇まいの屋敷が2021年3月、世界中の富裕層旅行者に支持されているラグジュアリーホテル「アマン」の創始者、エイドリアン・ゼッカ氏によって、日本旅館として生まれ変わりました。

「Azumi Setoda」の発端は1995年に遡り、当時世界中のホテル愛好家の憧れの的だったバリ島の「アマンダリ」と京都の老舗旅館「俵屋」を舞台に、ゼッカ氏と「俵屋」の女将・佐藤年氏が、とある雑誌に“もてなしの心”について、お互いの叡智と哲学を存分に披露し合うという奇跡的な対談が実現し、アマンファンの間でも話題となりました。

ゼッカ氏は、「アマン」を造りながらも、日本旅館を造るという構想を、かなり前から抱いており、京都「俵屋」を訪れたことで、その思いはより強くなっていったのだと思われます。新ブランド「AZUMI」では、日本独自の家庭的な旅館の概念を、当初の意図と照らし合わせながら変化させています。

このように土地の文化や歴史、コミュニティー新生「むづき荘」のコンセプトは以下の通りです。


※新生「むづき荘」のテーマはラグジュアリーなリトリート(筆者撮影・イメージ)

5【宿泊客は富裕層インバウンドに絞り込む】

近年日本ではアフターコロナということでインバウンドにかなり力を注いでます。富裕層インバウンドにこだわる理由は訪日されたセレブリティがインフルエンサーになるからです。その究極のインフルエンサーとは国王や大統領などの要人です。

弊社が富裕層をインバウンドのターゲットとする理由について、観光消費額の平均単価が高いということはもちろんですが、それだけではありません。旅行業界に限らず、富裕層の間で「良い」と認められたものはマス層(大衆)の憧れになる傾向があります。

このようなセレブリティに認められたブランド、そして流行したトレンドは「憧れ」となり、すべての人に影響・波及し得るのです。このように新しい価値観の醸成を促すことで、観光産業全体の押し上げを図ることも、富裕層インバウンド活性化への取り組みです。

また富裕層に特化する事で、オーバーツーリズムの未然防止・抑制・受入環境整備による持続可能な観光推進に貢献します。

島という海に囲まれた立地は部外者が安易に侵入できないようになっていますので、自然とセキュリティ対策は万全です。富裕層の方々にとって、離島滞在は身の安全を確保することにも貢献します。

愛媛の知名度が世界的に高くない現状を打破するには、世界の高級ホテルチェーン(リッツ・カールトン、フォーシーズンズホテル等)を誘致し、その知名度をレバレッジ効果によって世界中の富裕層インバウンドへのアプローチが容易にするのです。

豪商で栄えた睦月島だから、富裕層インバウンド誘致に相応しい土地柄かと思われます。

※外観は豪商の家屋を再現、内装はスタイリッシュなデザイン(筆者撮影・イメージ)

6.【新生「むづき荘」再生に向けて】

弊社が想定している富裕層インバウンドにとって、究極の旅とは旅の過程を大事にして、 体験を心に刻むことです。滞在客の中で、特に夫婦参加の場合は、その旅の体験を通して 人生の足跡を「同期化」することにより、夫婦の喜びや失敗も共有できるのです。

ゲストは、宿泊先での滞在生活の中に、人生の「物語」を潜在的に求めている傾向があります。思い出を心に刻みたいと思っている人たちなのです。富裕層インバウンドの旅には「人生の価値や感動を刻む」仕掛けが欠かせません。

その実現のためには、彼らのライフスタイルに最大限に配慮(顧客独自の世界観を知らずして、心配りはできない)をしつつ、宿泊客による旅行の”中心”に 「睦月島での滞在」という“舞台”を演出するのです。

そしてお仕着せの企画ではなく、多くの選択肢の中なら、彼らが 「気の向くまま」選べるだけの潤沢なメニューを満たす商品企画力が必要です。料理も愛媛の郷土料理や和食会席料理だけでなく、地の素材をベースにした世界三大料理(フランス料理、中華料理、トルコ料理)やイタリア料理なども作る柔軟性が富裕層インバウンドには求められるのです。このような多彩な食事の選択肢を提供することも必要です。

そこで新生「むづき荘」は再建は創業者が一人で土地を購入したり、スタッフの人材確保する個人プレーで再生するのではなく、睦月島島民や行政、国内外ホテルチェーン、民間デベロッパー、投資家、有志などとコラボレーションで一体化を図ることを目的とし、宿泊事業が継続が実現します。

そして睦月島に備わっているポテンシャル(潜在能力)や土地の文化や歴史、コミュニティー、食材などの「豊富な資源」を活用すれば、再び隆盛を蘇らせ愛媛県の観光経済に貢献できるかと思われます。

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