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離島で頂くイタリアン(睦月島・愛媛県)

先日、睦月島でイタリア料理を美味しく頂きました。

睦月島は愛媛県松山市の沖合、瀬戸内海に浮かぶ面積 3.7 Kmの小さな島です。

江戸時代から昭和中期までは行商とみかんの島として栄え、往時はこの小さな島に2,000人もの島民が住んでいました。

行商の全盛期には売り子を含めて約500 人が行商に出ていました。その数は当時の睦月島の人口の約 3 分の 1 にあたるそうです。

ちなみに小生の叔母は行商として全国を行脚し、行商として訪れた奄美大島でのエピソードがあります。

その当時、昭和天皇が奄美大島に行幸された際に天皇陛下が御宿泊されるに相応しい宿がないということで、睦月島出身の叔母は旅館を建てたとのことです。

その旅館の名前は郷里の睦月島にちなんで「むづき荘」。

偶然にもその旅館を建てた地名が瀬戸内町(鹿児島県大島郡)

風光明媚な景観はなぜか遠く離れた睦月島と似た印象があります。

その睦月島の現在は過疎化が進み、今では人口170人で、人口に占める 65歳以上の高齢者の割合が85%という、全国でもトップクラスの超限界集落となっています。

5年後に人口が半減する見込みの睦月島を再生させようと立ち上がったのが 森本茂 さん。

森本茂さんが37年前にイタリアのシチリア島訪れた際、その風景は睦月島と同じように目に映ったとのことです。

シチリア島でも睦月島と同様にオレンジやレモンが栽培されていました。漁港では日焼けした漁師が鼻歌交じりで網の補修をし、その周りでは子供たちが歓声を上げながら裸足で走り回っていました。

シチリア島の人々が生き生きと生活している姿を目の当たりにして、森本茂さんは活気のあった睦月島での少年時代を懐かしく思い出されたそうです。

貿易会社でお仕事されていた経験を活かし睦月島での活性化に尽力されております。

イタリアのお菓子を製造したり、来島した客人をイタリア料理でもてなすなど多才さを発揮しております。

ただ睦月島に限ったことではないのですが、風光明媚な景色や素材の良い食材は北海道から沖縄まで津々浦々日本中にたくさんあります。

現在、島おこしが日本中で流行っていますが、そこに住んでいるあなたが誘致したい町じゃないとダメだということではないのです。

結局、町や島の風土を魅力的に仕上げるには「人」以外いないのです。

その島を伝える人が魅力的だからその島の存在を知らなくても、徐々に関心を持ち、来島するのです。

「あなたが伝える島だから行ってみたい」

島おこしとは「人材育成」に通じるものがあると思われます。


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