第9話「愛の教団 その1」 #限界シェアハウス文学
これは「愛」について語る若者達と「愛」を忘れたすごいひととの話である。
5月某日、放火魔に対してのムカつきを各所で吐露していたことを本人に知られたすごいひとはとある場所で最終決戦をすることになっていた。ムカつきの理由は「M君と話してられないので間に入ってください〜」とかのくだらない理由で呼ばれ仲裁していくことに疲れたから暫く放っておいて欲しい、他のどうでも良い無職とかに仲裁を頼んで欲しいといったことだった。言うほどムカついた訳ではない。放火魔も放火魔ですごいひとに対して「冷笑とか良くない」「何でもツイートしすぎ」「自分を軽んじている」などのムカつきがあったらしい。正直こちらは「放っておいて欲しい」という主張だけなので別に会ってそんなに話すこともないのだが、ちょうど良い機会だから最終決戦するかという話になった。
みんなで「愛」を知ってこの界隈をもっと良くしていきたいんですよ
最終決戦には、たらい回し人生相談第7,8回のゲストのY君も来ていた。Y君は大使館の掃除やリフォームにもかなり協力してくれて、この界隈でもそれなりに評価の高い無職なのだがすごいひとが思うに屈指のヤバさである。ヤバさについてはいつかまとめて書くかもしれない。だからシーズン1には敢えて登場させなかったし、もしかしたらシーズン2のメインキャラを張れるのではないかと思っている。知らんけど。
そうして3人で開催された最終決戦なのだが、放火魔の不満を聞いて、「うんうん」と言ったら章題のようなセリフを放火魔が言い出したのである。虚を突かれ眼を丸くしたすごいひと対してY君が続ける。「大司教やすごいひとも『愛』を知ったらもっと思いやりを持ったり冷笑をやめたりすると思うんですよ。だから皆んなで良くなって界隈を持続可能なものにしましょう」
そこからの詳細な会話はあまり覚えていない。一昨年、界隈の中の低さバトルで死んだ人も「愛」とか思いやりが有れば死ななかったとかM君に対しての冷笑は良くないみたいな話をされていた気がするがすごいひとはひたすら天井を見つめ次第に魂が抜けていくのを感じた。もちろん「じゃあ代わりにあの不愉快な障害者の面倒を見てくれ、冷笑とかしないで」とか「寧ろ1円の得もしないし損しかしない、誰からの感謝も賞賛もされない中であんな連中の相手をしてやっていることこそが愛」とかの反論を出来たのかもしれないがひたすらにMPが削られていった。「愛を知りましょう」というシンプル過ぎる情報なのに何故か5限とかの時間帯にめっちゃ難しい講義を受けている様な感覚になる。脳の機能が強烈にデバフされていくのを感じた。そしてハロウィンの事しか考えられなくなった。
noteを始めたきっかけ
その後も「愛良いよね〜」「ボブマーリー流そ」とか2人がずっと「愛」の話をしていたけれど全然わからなかった。結局、最終決戦では「君たちが宗教的実践として愛を知ろうとしていることも周りにそれを広めたいのもわかりました。でもそれがわかっただけです」みたいな感じで終わったのだった。
確かに思い当たる節はある。放火魔が最近「冷笑やってる奴マジ無理っすわ〜」という冷笑を始めたり、「すごいひとは障害者をおもちゃにしている」「すごいひと、最近何でもTwitterに書き過ぎですよ。信頼削られますよ」とか言ってきたのもおそらくY君の影響なのだろう。暇な人間同士でやっていてくれるならそれはとても良いのだが、キチガイに「正しさ」を説かれても当然ムカつきの加速にしかならないのでその発言がきっかけですごいひとは「こいつらからの信頼とか要らないからnoteとかにもっと書くか」と暴走し出したのだった。
「愛の教団」
それから暫くして、最近出家に失敗し帰ってきたM君の査問会が中田先生によって開かれた。査問会と言っても「金ないけどお前どうやって家賃払ってくの」という詰めが大司教とすごいひとのブロック塀破壊コンビによって行われただけのいつもの大使館という風景である。それでもすごいひとがシーズン1で大使館を去ったため今後の大使館の行方は中田先生がこの障害者をどう扱うのかに掛かっている。なので一応参加してあげた。
詰めをしているとM君がいつもの様に犬みたいに「クーン」と鳴いたりカーテンに隠れたりしてしょんぼりし始めたので、ちょうどそこにいたY君に「助けてあげたら」と言ってバトンを渡した。そうすると「こういう閉鎖的でストレスの溜まりやすい空間では弱い人間がストレスの捌け口としてターゲットにされてしまいやすい」「低さバトルで死んだ人も弱かったから大司教たちにターゲットにされて死んだ」みたいな話を始めてM君をよしよししていた。
それに大司教は「あいつは弱かったから死んだんじゃない」と反論したりすごいひとが「ストレスの捌け口にされるっていうかこいつ自身がストレスの原因でしょ」とか思ったりなどあったが優しい「お母さん」がM君に出来たのを見て良かったねと思って去った。
その「オルグ」の様子を見て「愛の教団」と勝手にすごいひとが蔑称をつけたのだが。厄介なことにこの教団は分派組織ではないらしい。古今東西の政治結社、宗教団体の様に分裂してどっかに行ってくれるだけなら良い。要らない障害者を引き取ってくれるのだからすごく助かる。
なのだが構成員3人とも生活保護受給者でどこにも行く宛のない障害者達なのでどこにも行ってくれない。放火魔は「早くこんなところから抜け出した〜い」と言いながら数ヶ月大使館に住み、全員から「何で早く出ていかないんだろう。誰も引き留めてないのに」とか思われていたし出家に失敗して帰ってきてしまったM君はもはや言うまでもない。
ムカつき
だいたい「界隈を良くしていこう」「持続可能なものにしていこう」という発想自体がすごいひとには無かった。というか真逆の思考でこの周辺と関わっていたと思う。そもそも「まとも」になれたのなら勝手にこんな場所から卒業するなり関わりが薄くなるという思想だったし、持続可能なものになんか別にしたくなかった。むしろ終わらせたかった。
終わらせるためにM君を出家させたし、中田先生には相応しい死に場所をいつも探している。戦争に行きたいと言われれば喜んで送り出すしその方法も一緒に調べてあげる。兎に角全員に空気を入れて何かが動くことに価値を置いていたので停滞や安定、持続可能性など考えていなかった。
もはや隠そうと言う気にもならないが、だいたい「愛の教団」の構成員の3人ともが20代の生活保護受給者の精神障害者であり、それぞれが何をしたかは言わないが結構ガチ目の犯罪者である。人に「愛」の話をしたり「正しさ」を説くのも良いのだが言われた側も当然「まずお前らが犯罪やめるところから始めろ、脱法行為をしていることを『犯罪してません!』って堂々と言うな」などの気持ちが沸いてくる。そうしてムカつき、相手にせずに放置していると教祖や構成員たちによってこういう謎の思想がまた芽吹いていくのだろう。まず「愛を知ろう」の前に「犯罪やめろ」「働けなくても良いから偉そうにするな」とかの思想もインストールしてほしい。でないとまともに話を聞こうと言う態度になれない。エートスがない。
あいつらがこの界隈で言い出した台詞だけど今だからこそ言ってやらないといけないのかもしれない「それ面白くないよ」と
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