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医療人は消耗品じゃない。プロだ。時には泣きながら勉強を続けてきたプロだ

医療従事者志望の若者の多くは、患者さんの笑顔を見たいという気持ちを持って医療系大学を目指し、さらには国家試験合格を目指す。現場デビューがコロナ禍の今年になった1人の教え子が、泣きそうな声で恐怖と使命感を語った。2020年3月末のことだ。彼女は心が弱いのではない。思いを言語化して心の整理をし、現実に立ち向かおうとしている。

あの頃は、ウイルスの特性も症状もよく分からない手探り状態だった。マスクも防護服も手に入りにくい。それでも短期決戦ならプロとしての使命感で頑張れるのかもしれない。だから私が懸念したのは感染拡大の長期化。夏に抑えないと秋冬に医療従事者の心の糸が切れかねない。病床も足らなくなる(追記:現実問題そうなってしまった)。

未曽有の事態に現場に飛び込む新人を育てる余裕は恐らく現場にない。それでなくても毎年、病院デビューしていく元教え子達は不安と緊張で張り裂けそうな気持を持って白衣を着るというのに。今年は例年の比じゃあるまい。

私、彼らがまだ高校生だった頃から知ってるんだ。

なぜ医療人を目指してるのか。お金が儲かる一生モノの資格だから、という気持ちは当然あるだろう。でもそれ以外にも理由がある。自分もしくは身近で大切な人が医療に助けられた時のありがたさが忘れられず、自分も将来は患者さんの役に立ちたいと思って医療人を目指すんだ。そんな気持ちを踏みにじる政策が許せない。

私がまだ「先生」と呼ばれていた頃、講師室で何度彼らの涙を見てきたことだろう。家庭に問題がある子・過去に大きな病気をした子・成績が思うように伸びない子。みんな自分の将来のためにもがいてた。そんな子たちが今、逼迫した医療現場で働いている。あの頃の涙と情熱が摩耗しているに違いない。

専門家の声を聞かず、利権団体の声ばかり聞いて政策を押し通す。医療崩壊を起こした後のことを考えてるか。これだけ医療人が割に合わない職種だと分かったら、今だけじゃなく、将来医療を志す若者はどんどん減ることだろう。今でさえ看護師がどんどん離職してる。生活の糧を得てる仕事を捨ててまで。

高齢化する日本は、将来の看護師不足のために海外から医療人を集める仕組みを2006年から運用し、厳しい選考を経て日本にやってきた。現在3000人ちょっとが医療現場にいるそうだ。簡単に「足らなければ海外から」という発想が古い。バブルの頃のJapan as No.1思想が抜けてないんじゃないか?

日本がアジア諸国の憧れの国だった時代はとうに終わっている。日本で働かせてやってる、と胡坐を組んでる時代じゃない。そもそも日本語を勉強しても日本でしか通じない。英語や中国語を学んで、条件よく働ける国を選ぶのは自然な流れだ。わざわざ日本を選ぶ合理的な理由が全くない。給料も安いし。

日本で働いてくれる(ほぼ大半が日本国籍の)医療人を今大事にしなければ、コロナの医療崩壊だけじゃなく、長期的視点においても、日本の医療は完全崩壊する。病院も医師も看護師も理学療法士も作業療法士も足りない。そんな時代がもうすぐやってくるというのに。政府は何をやってるんだ。彼らはプロだ。プロはすぐに育成できないんだよ。

政治家は選挙の時に必ず「高齢化対策!子育て支援!全力で取り組みます!」と訴える。この言葉さえ入れとけばとりあえずOK的な感覚なんだろうか。言葉じゃなくて行動で示せ。安月給で命を張れ正月返上でよろしく♪究極のブラック企業でも政府から命を犠牲にしろと明言されることはあるまいに。

命は金では買えない。でも誠意を示す手段の1つは金だ。手取り20万ちょっとの給料で、夜勤もコミでコロナ患者の命を預かる。この割の合わなさ。医療現場に立ってるのはド素人じゃないんだよ。高校生の頃から夢を叶えるために泣きながら勉強したプロなんだよ。かけがえのない人材を潰しちゃダメなんだよ。

彼らの夢を叶えるお手伝いをしてきた人間の一人として、昨今の愚策と医療現場の疲弊を伝えるニュースを見聞きするたびに心が痛む。教室にいた子達の真剣な顔が浮かぶ。感染してないだろうか。自らの命と尊厳を守るために夢を捨て、現場を去る子達がどれほどいるだろうか。私は悲しくてならない。

夢を貫くことができない悲しさはもとより、患者より自分の命を守ることを優先せざるを得ない今の状況、それを見聞きする我々一般人の中からも「それは仕方ない、止めた方がいい」という声があふれる現状は、本当に異常としか言えない。「職場放棄は無責任だ」と誰も言わない。誰も言えない。

医療現場で働くことを長年の夢としてきた多くの若者が消耗し、命を安く買い叩かれ、使い捨ての駒の如く消費されていく。私は特定政党を支持することも政治に口うるさい人間でもないが、今回だけは自民党が許せない。命を粗末にする国に未来はない。

長文にお付き合いいただいてありがとうございました。私は医療と社会福祉の恩恵を受けてて育った人間のひとりです。重度身体障害者の両親のもとで育ち、現在は母から遺伝した血管腫によって身体機能を少しずつ奪われている身です。言葉を忘れないうちにブログも書いてます。

治療不能だと宣告された脳血管奇形から微出血を繰り返しつつ、何事も笑いに昇華できたら人生に負けなしだと信じて生きてます。

医療人を育てるお手伝いができなくなった今、もしこの文章がどなたかの目に触れたら嬉しいです。

この長文の最初に登場する学生に対し、「メンタルが弱い学生は要らねえ。辞めろ辞めろ」とコメントした人がいたので追記します。病院デビューの前にはよくあることです。弱いからではありません。誰かに気持ちを聞いてもらい、考えを整理し、凛として卒業していく。不安を払拭してから現場に行くのです。

もう一度言います。彼らはプロです。

医療職を目指した理由は様々でしょう。ですが、自分の夢をかなえるために歯を食いしばり、時には涙を流し、何年もかけてやっと資格を得るのです。

彼らはプロです。まだ頼りないヒナだとしても、いずれは一人前になるはずです。日本の医療を担うプロを大切にしてください。

家族性多発性脳海綿状血管腫という珍しい脳血管奇形を持っており、定期的に遠くの病院に通っています。患者側からの情報がネットにほとんどないので、ブログとnoteを書こうと思いました。もしご支援頂けたら、ブログを書いてるwordpressのサーバー代に使おうと思います。