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【書き初め】わたしの靴

2020年1月1月。初売りの広告を見て、お目当ての靴を買いに出掛けた。
実物は手にするとずっしり重たく、見た目は厚みがあって着膨れ状態。近くのお店にも寄ってみたが、私は家猫にあげるパウチのみを購入して自宅へ戻った。

母に靴が買えなかった報告をする。「1月1日に欲しい物が手に入らなかった、運が悪かった」とぼやいた。
それを聞いた母は

運が悪いんじゃなくて、気に入る靴ではなかっただけのことよ

と、あっさり流して笑ったのである。


(そうか。運が悪いのとは別のことなのか。切り離していいんだ)

以前の私は親身になってくれない宥め言葉を掛けられた時、凄まじい速さで不快な気分をジャー!っと流せる、あっけらかんとした性格ではなかった。いや、流せる時は流せるよ。お手洗いの強レバーを引いた時のように激しく……、、、テンションのほうを(笑)

タフになったなぁ、と感心した。



昨年12月、履き慣れた靴を捨てた。底はすり減り、足に負担を掛け、水溜まりに入ると穴から水が入り込めど、無理をして履いていた。脱いだ筈が脱ぎ切れていない状態に、軽度のストレスを抱えながら。

手を繋いで歩く時は楽しいけれど、他の人が履いている靴と歩き方を見て、私は足を止めたのだった。背筋を真っ直ぐに伸ばす人たちの横顔に目を輝かせ、躓き、繋いでいる手を離す。


転んで靴を脱いだ。


寂しくない。それはあの日、1度靴を脱いだ時に分かっていた。あれは、私がしたいnoteではなかったのだ。

運が悪かったんじゃない。
脱ぎ捨てるタイミングが欲しかったのだ。


歩く時間を、別の靴のために使うことにした。



選んだ靴は、2020年、何処へ導いてくれるのだろう?

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2018年後半から2019年、どの靴が合うか、試し履きを何度か実行してみた。
イラスト、写真、詩、音声、小説、ラフ描き漫画。
理想の靴は本人が思っていたより似合わないのかもしれない。だが、まだ新品だ。距離を完走していないから、決めつけるには早い。
不似合いそうな靴は足を入れてみたら、周りから予想外の反応を得られた。どの道を歩くか照らしてくれたのは、noteで知り合った人たちのおかげだ。


今年はえり袖を正し、大きく行動に出る。選んだ靴で歩く。これが私の抱負。

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