Aldebaran・Daughter【執心篇5】始まりの裾を炙る(vs火の妖精 前半)
三人は合流して潮の胃袋へ入り、梯子を下りて地面に足を着ける。
バルーガは左斜め後ろに立つエリカのほうへ顔を向けると、革製のガントレットを嵌めた右手の親指で自分の顔を差した。
「今日はオレたちも戦う。広間へ着くまでのあいだ、おまえは退がって力を温存しろ」
「何もしなくていいってこと?」
「そうだな。一度に四体以上を倒さなきゃいけなくなったら加勢してくれ」
エリカは目を丸くし、バルーガの右側に立っているオリキスの顔を見る。彼は小さく笑んで頷き、受け入れることを勧めた。
*
二人の騎士は、潮の胃袋内をうろつく魔物たちの弱点と能力値を知っている。どう仕掛けて倒すか判断は容易い。
「さあ、準備運動といくか!」
バルーガは刃の幅が広い長剣を抜き、進路を阻みに現れた塩辛蛙を見据える。相手が此方に向かって舌を長く伸ばした瞬間、彼は左脚を軸にして風のようにすいっと躱し、口のなかへ戻りかけた舌を右脚が後ろへ着地する前に下から斬り上げる。見事な反撃だ。
「へっ。肩慣らしにもならねぇな」
バルーガは視線を右に移動させ、得意げな顔をする。
「レベルを上げて、出直して来いよ」
助走をつけれる距離から、石油クラゲが体当たりしようと勢いをつけて跳ねてきた。
「ッつっても無理か」
真正面から剣でズバッ!と、上から下へ斜め切り。
この男にわざわざ真っ二つにされたくて、斬られに行ったも同然だった。
エリカは、オリキスへ視線を向ける。
彼は細い片手剣を右手で持ち、『赤裂け』のとき同様、刃の平らな面を上にして剣先を対象に向け、狙いを定めた。相手は殻を閉じている石貝。
「『眼を開け、」
詠唱しながら剣を掲げたオリキスの足下に、紫色の紋が展開。石貝の下には、瞼を閉じた一つ目の紋が展開した。
「日雷』!」
紋の瞼が開き、瞳が現れた。その直後、石貝の内側で小さい雷雲が発生。丸い雲は細い雷をバチバチ光らせながら膨らみ、対象の三分の一を飲み込むくらいの大きさになるまで帯電攻撃を続ける。
魔法剣『開眼日雷』。雷属性で、単体の敵に小ダメージと麻痺の効果を与える。
石貝を倒したオリキスは涼しげな笑みを浮かべて、剣を鞘に収めた。
(魔物が弱すぎるのか、二人が強すぎるのか。どっちだろう?)
エリカは後方で悠々と戦いぶりを見物していた。
(四体以上って言われたけど、私の出番、来ないと思うんだよね。実力差がありすぎる。……、!!)
何かが後ろから飛んで来る気配を察したエリカは振り向かず、ひゅっ!と座って避けた。バルーガの後頭部に石油クラゲがぶつかる。
「痛ッ……!」
「あはは、ごめん。でも、反射神経は良くなったでしょ?」
「〜〜ッ!」
*
*
*
三人は円形の広間へ入り、台の前に立つ。
「これの出番だね」
オリキスが懐から書物を取り出し、オレンジ色に光るページを開けて台の上に置くのを、エリカは左側から興味深く見つめる。
「色が変わってる。さっきまで普通だったのに」
台の角がオレンジ色に光る。
オリキスの右側に立っているバルーガは再び書物に注目し、真顔で
「関わりがある重要な物は、呼応するんだ」と、エリカに教えた。
文字は薄い紙のように剥がれてふわりと宙へ舞い上がり、焼けて消える、その不思議な光景にエリカは目を輝かせ、感動。白紙になったページが溶岩と化していく様には「凄い…………」と、呟きを零した。鍛冶屋で青銅や鉄を柔らかくなるまで熱するのとは訳が違う。とても幻想的だ。
一番下の表紙に向かってほかのページも溶け出し、台へ染み込んでいく。
「オリキスさん。これ、妖精語ですよね?何が書いてあるんですか?」
台の側面……、
三人から見て正面に当たる側では、溶けたページが染み込んでいく速度に合わせて、妖精語の羅列がオレンジ色で表示されていく。
「『朝焼けと夕闇のあいだに生まれし使いは、鈴を持って一を鳴らし、繭に語りかける』」
書物が完全に溶け切ると台の上に火の玉が現れ、エリカの目の高さまで浮く。
それは小粒くらいの大きさにまで縮み、
空中でシュハッ!と弾けた。
「あーっ、寝た寝た」
呑気な子どもの明るい声。
火を纏っている妖精は宙にふわふわと体を浮かせた状態で背伸びし、三人の顔と装備品を見る。戦う準備ができていることに対して、妖精は笑みを浮かべた。
「無し首族のおっさんから説明を聞いたようだね。
--おいらは火の妖精。
翼竜との約束に従い、あんたたちが相応しい者か試す。
勝ち負けは簡単、おいらを負かして降参させること。
準備はいいかい?」
リーダーはバルーガだが、決定権はオリキスにある。
「あぁ、いいよ。始めようか」
「手加減はいらねーぞぉ?」
火の妖精は歯列を見せ、にっひひひぃ、と言って嘲笑い、後退して間合いをとる。
三人は相手の出方を目で捉えやすい位置まで、間隔をあけて退がった。配置は予定通りオリキスが左、バルーガは右。エリカは真ん中へ移動して二人よりも五歩多めに退がり、胸の前で両方の手のひらを自分側に向け、手を交差して×を作る。
「『我、祈りは近きに在り、」
次に人差し指と中指を立てて重ね、ひし形を作りながら詠唱を続ける。
「水の網を張りて朱の災いを嫌う』」
彼女の足下に、水色の菱形の紋が展開。同じ色の四角い網が、エリカの体を四方から囲んで消える。
水属性の防御魔法『菱網』。火の攻撃を受けてもダメージを三分の一軽減してくれる。有効回数は二回、魔法をかけれる対象は単体のみ。
「『かの者、祈りは近きに在り、」
エリカはバルーガに向かって両腕を伸ばし、手のひらの向きを外側に変えて詠唱を始めた。
その間、火の妖精は分析する。
オリキス--。向かって右側に居る彼は、仕掛ける様子を見せない。突っ立って静観している。長剣は立派な装飾の鞘へ収めたままだ。
(隙だらけだが、あまりに冷静沈着すぎて気持ち悪い。おいらから単体用の攻撃を放っても、意味を成さない気がする)
「災いを嫌う』」
「!!よっと」
火の妖精は、薙ぎ払おうとしてきた剣をぎりぎりで避けた。仕掛けてきた人物は--、バルーガ。彼は静かに距離を詰めていた。火の妖精は急いで後ろへ退がる。
(ふうん、やるじゃん。臨戦態勢で注意深く、此方の様子を窺ってくる)
構えからして戦い慣れてる雰囲気だが、彼の持つ長剣は幅があって長さは上半身くらい。恐れる必要はない。
バルーガは踏み込んで前に飛び出し、火の妖精を剣で突こうとしたが右に避けられ、刃を横にして追ったが跨がれてしまった。
「ていっ!」
「ッ!」
火の妖精は三回転してバルーガの額に蹴りを入れ、魔法を使って自分の頭上にハリセンを出すと両手で握り、よろめいた隙を突いて振り落とす。
「!」
バルーガは前を向いたままタッ!と、後ろへ跳んで避けた。
(知能がある相手は少しばかり骨が折れるぜ。しかも)
頭のなかで愚痴りながら、柄を握る手に力を加える。
(剣がちっとばかし重い。だが、軽量化して攻撃力を落とすのもな)
シュノーブで支給される剣は軽く、切れ味は良くて攻撃を繰り出しやすい。しかし、今回はオリキスの提案で改良し、重みが増した。
(「君なら扱えるだろう」って?ケッ、軽く言ってくれるぜ、あの野郎。上手く、やる、けど、よっ!)
火の妖精はハリセンを消し、剣撃をひょいひょいっと躱しながら、次の行動について考える。
このまま押されて後ろへ移動し続けたら、壁側に追いやられてしまうだろう。得策ではない。というか、バルーガ単体を相手にするのは飽きてきた。
大きな反撃に出たい。と、なれば。
弓を構えてるエリカは戦う意欲満々の真剣顔。警戒心はあるにはあるが、隙を感じさせる。
(決ーめたッ!)
レベルが一番低そうなエリカを狙うのが良さそうだ。
(ぉ?)
しかも、バルーガは動きを止めて後ずさりしている。火魔法を放てる絶好の機会。
にやり。
意地悪い笑みを脳内で浮かべる。
「うひゃっ!」
油断した火の妖精は左右に開脚し、空気を割いて向かってきた矢を間一髪で避けた。
エリカによる遠距離攻撃。思いのほか速さがあった。
火の妖精は、二本目の矢を急いで左へ避けたときに分析。
(!鏃はキララかっ)
自分のいまのレベルでは、射手のレベルが低くても当たると確実にダメージを受けてしまう。
「うひゃひゃ!下手っぴ、下手っぴー!」
命中力と集中力を少しでも落とせればと、けらけら笑ってエリカを挑発。左上に飛びながら、次から次へと放たれる矢を躱す。
エリカは眉間に皺を寄せる。
「ッ!」
四本使ったが、一本も当たらない。
「頑張っても無駄だよぉだ。あだっ!」
五本目でようやく顔面に当たった。
弱点に命中したことで中ダメージを受けた火の妖精は上半身を後ろへ倒したが、体勢を直ぐに戻して口端を下げる。
「!!」
矢の攻撃が止んだのも束の間、火の妖精は気配と風を察知。左側から薙ぎ払おうとしてくる剣を避ける。バルーガが攻撃に来た。
「いでっ!」
小ダメージだが、次の一振りは当たった。
(いける!)
バルーガの騎士歴は十年、エリカと違って未熟ではない。
(序盤の交戦で目を慣らした。此処からは勘に従い、動きをある程度予測しながら剣撃を当ててくぜ!)
ガキン!ガキン!
火の妖精の防御壁を叩く、力強い激しい音が鳴る。
(……そろそろ頃合いか)
オリキスの読み通り、中ダメージを五回連続受けて押された火の妖精は天井に近い所へ逃げた。
「『小さい火!』」
からかうどころではなくなった火の妖精は人間が手掴みできる大きさの火の球を目の前に三つ出して、エリカたちに向かって飛ばした。
近くに居たバルーガは直接当たったが、オリキスが防具に縫い付けてくれた妖精語の効果とエリカが張ってくれた防御魔法のおかげでダメージは軽くで済んだ。
小さい火は真っ直ぐにしか飛んでこない。離れた場所に居たオリキスとエリカは難なく躱すことに成功。追跡型でないのは助かったと、オリキスは思った。
「そういえば、妖精さんに矢が当たっても貫通したり、鏃が刺さらないんですね」
エリカの疑問にオリキスが答える。
「妖精たちは体の周りに防御壁を張ってて、攻撃を受けると、物がぶつかったような痛みを受けるんだ。常日頃から防具を纏っていると言えばわかりやすいだろうか。防御壁が壊れるときは瀕死のときだ」
「おいらに勝とうなんて、半年早いよ」
「たった半年かよ」と、バルーガは呆れた声でツッコむ。
火の妖精はくるっと宙返り。空気中の酸素を吸い込んで頬を膨らませ、羽を体と同じくらいの長さまで伸ばす。
「『大きい火!』」
両手の指先同士をくっ付けて三角形を作り、そこへ息を吹きかけ、大きな火の塊を放つ。
「ちっ!」
接近戦に持ち込んでばかりのバルーガを寄せ付けないのはこれが一番効果的だ。
加えて、火の塊は着地すると床全体に火の輪を広げて攻撃をほかの対象にも及ぼす。身体能力値の高い者、浮遊能力のある者でなければ避けれない。
エリカは初めて火魔法の熱さを全身で感じ、掠り傷のダメージを受けた。しかし、まだ耐えれる。弓を構え直そうとする。
「!?」
オリキスは火の妖精の背中に生えている羽がさらに伸び始めたのを見て、エリカに駆け寄り左腕を掴む。
「バルーガ!後ろへ退けッ!」
「!!」
三人は慌てて可能な限り後退。オリキスとエリカは階段を壁に避難、バルーガは試しにと台の後ろへ隠れてみる。
火の妖精は唇を突き出し、火炎ブレスを放射。
「ブゴゴゴゴ!」
火炎は先のほうで広がるが、射程範囲は狭い。防御魔法を詠唱しなくても距離さえ空ければ安全だ。台も使える。
エリカは弓を握って口を開いた。
「『赤熱を抱く、咆哮に加護』」
詠唱して自分の武器に属性付与の魔法『赤熱の咆哮』をかけた。鏃が赤く光る。
火炎ブレスが止んだことをオリキスは確認。
「行ける!」
三人は立ち上がり、散らばって走った。再び距離をとる。
(魔法攻撃?)
火の妖精は警戒する。
「くらえっ!」
バルーガは腰に提げている道具用の袋に左手を突っ込んである物を取り出し、火の妖精に向かって一度に五つ投げた。
「へんっ。なぁにが、くらえだ。何を投げたか知らないけど、おいらを掠めもしない」
向かって来る物は布切れに包まれており、何が入っているのか見えない。速度は簡単に掴めそうなくらい遅く、曲線を描いてる辺り、多少は重みがあるのだろう。
ヒュッ
エリカが矢を放つ。あまり力みを感じない速さで飛んでくる。
「?」
火の妖精は首を傾げた。(何がしたいんだろ?)対象と同じ属性を命中させても無効になるか回復させてしまうのが世の法則。そんな当たり前のことをオリキスもバルーガも彼女に教えていないのか?気を散らしたいだけ?
「むーだっだよー!角度も方向も、ぜーんぜん駄目じゃん。当たんない……、よ、--?」
小馬鹿にして笑ったが、バルーガの投げた包みに鏃が触れた瞬間、破裂して爆風が起きた。
「ぶへッッ!!」
爆風の衝撃波を受けた火の妖精は吹っ飛び、壁に体をぶつけて情けない声を出した。そのまま床へずりずりと落ちる。
「え?え?何?何?」
頭が追い付けない。
「?」
床に飛び散ってる液体を見る。
油?
「ぃ゛ッ!」
落ちてる物を見て驚いた。爆風に巻き込まれなかった一部がぷるぷる動いている。
「石油クラゲを切って使ったのさ」
オリキスがしてやったり顔で教えた。
「うっわ、えげつないことするね。血も涙もない」
火の妖精はオリキスの顔を見て引いた。生きたまま捌いて使うなんて、悪魔の仕業じゃないかと顔を顰める。肉食系の妖精なら此処までのことはするが……。
「ごめんね」
両手を合わせて苦笑いを浮かべるエリカに、火の妖精はそっちかと目を丸くして驚く。
(まぁ、親があれだもんな)
翼竜の悪辣な一面を思い出した妖精は一人ならぬ一匹で納得し、気を取り直すと天井に近い所まで飛んで行き、
「『小さい火!』」
火魔法を放った。
「ぐっ……!」
詠唱を終えた直後にエリカが放った矢を体に受ける。
属性付与は既に効果を失っていた。
「ッ!、『大きい火……ぶほ!!」
バルーガは威力が中の火魔法を放たれる瞬間に合わせて、石油クラゲの欠片を投げ付けた。至近距離で爆風に巻き込まれた火の妖精は、先ほどよりも強めの衝撃波を受けて床にぶつかる。
「くっそ!!」
『大きい火』は打ち消されて失敗。火の妖精は起き上がって宙に浮かんだがバルーガによる左からの剣撃に遭い、体を飛ばされて壁にぶつかり、頭をくらくらさせて気絶。その隙にエリカは左手の親指と人差し指を立て、親指側を額の中央にくっ付けたまま右手の人差し指と中指を火の妖精に向けて氷魔法の詠唱を始める。
「『冷気の檻房にて、個の刻を凍て付く!』」
火の妖精の周りに白い冷気が現れる。どんどん白さが増し、エリカが右手で拳を作ると一瞬で凍った。
「エリカ!任せたぞ!」
「うん!」
バルーガは後退。代わりにエリカが連続で矢を放つ。
「ッ」
対象の動きを封じているあいだ、怖いものは何もない。
ひたすら攻撃を続けるのみ。
パキッ!
防御壁が段々薄くなり、小さな穴が空いて亀裂が入る。
完全な優勢。
「ぁ」
エリカの手が、呟きと共に止まる。
二人は彼女に目を向けた。
「!?」
矢を放ちすぎて、筒のなかが空になってしまった。
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