Aldebaran・Daughter【執心篇6】始まりの裾を炙る(vs火の妖精 後半)
床に落ちてる壊れていない矢を拾えば攻撃を再開できるが、実行するには火の妖精と距離を詰めなければならない。
「オレが行く」
「ごめん、お願い」
「上出来だ。気にするな」
判断に迷って困惑しているエリカにバルーガは声をかけ、一人で向かう。
「!?」
気絶が解けた火の妖精は、閉じていた瞼をぱちっと開けた。現れたのは金色の目に、凸凹した縦線の黒い瞳。
バルーガは即座に危険を察知し、近付くことをやめてゆっくり退がる。
「なぁ、マズい状況じゃねぇか?」
防御壁の穴と亀裂が、綺麗に塞がった。
「あーあ。お兄さんたちの努力、無駄になっちゃったね」
火の妖精は浮遊して左手を前に出し、欠けた五芒星の赤い紋を目の前で展開する。
「世界の軛を外したおいらに勝てるかな?」
紋が右に回って逆さまになると、体中から出ていた火が鎮まるように消えた。左手の指先は人間の物と変わらない長さの黒い爪が生え、手は太くなり、明るいオレンジ色の鱗肌に変わっていく。
紋が消える頃、火の妖精は最終的に、バルーガより背丈が頭三個分も高い二足立ちのトカゲに変身した。
腕を咬み千切れそうな大きい口、鞭のようにゆらりと動く太い尾。足も太くなった。
竜族のなかでは最下級の種族で気性は荒い。……との情報は、書物で読んだから知っている。交戦記録は読んでいない。
バルーガはオリキスに視線を送る。
(逃げるか?)
オリキスは見下した風にも見える澄まし顔で鍔を掴むと帽子を左右に小さく動かし、無言で「しない」との意思表示をした。
(くそったれ、勝算あんのかよ!?オレを信じてるのか信じてないのか、どっちか読めねぇ態度もムカつくぜ)
一目で攻撃力が増したとわかる姿を前にしても撤退する気がまだないオリキスの様子にバルーガは難色を示し、口を「へ」の字にしてトカゲのほうへ再び顔を向ける。
(背中の羽は消えた。引っ込んでるんじゃなきゃ、高所へ逃げることはないな。火は纏ってねぇから直接触れても大丈夫か。いつ仕掛けるか、だな)
此方の攻撃は当たりやすくなったが、敵の動きを視界に捉えやすくなった大きな目から逃げ切るには、誰かが囮になって引き付けるしかない。エリカはレベルが低いから無理だ、あっさり瀕死になってしまう。
(にしても、妖精が変身っ?んな話、聞いたことがねぇ)
「どうする!?」
「!!」
エリカは眉間の皺を濃くするバルーガに向けて、怯みを含んだ大声で指示を仰いだ。トカゲは金色の目をギョロッと彼女に向ける。
まずい。良くも悪くも再戦の合図になってしまった。オリキスは警戒し、右手を剣の柄に伸ばして、いつでも抜けるように構える。
トカゲは自分の足下に赤い紋を展開すると宙返りして魚のように頭から飛び込み、紋ごと姿を消した。
「……?」
広間が、急に静かになる。
「居なくなった?」
エリカは警戒を緩め、辺りを見渡しながら歩き、広間の中央から少し離れた位置で立ち止まった。
彼女の背後で、--パキッと小さい音が鳴る。
隆起。
「!!」
ドゴォ!と、大きな音と共に床が割れて穴が空いた。そこからトカゲが上に向かって飛び出し、足の裏に力を込めてエリカの背後へ着地。
「わッ……!」
着地したときの縦揺れに驚いたエリカは姿勢を崩した。
トカゲは首から上の頭部までを後ろへ引いて口を大きく開け、大量の空気を吸い込む。
「『嘲笑え、」
嫌な予感がしたオリキスは離れた場所からエリカに剣先を向け、交差させて宙を切り、最後に一突きして自分の足下に薄い水色の紋を展開する。
「愚弄の氷花』!!」
エリカが後ろへ振り返ると同時に詠唱が終わった。
「きゃあッ!!」
トカゲは全身を包む量の火炎を吐き出したが、花の形をした氷属性の防御壁がエリカの前で形成されたことで、ダメージを与えることができなかった。
攻撃は二秒で終了。
しかし、
エリカの呼吸が浅い。心臓は速く脈打ち、気持ちが怯んで指先が震えている。
「----」
恐怖から、体と思考の動きが止まってしまった。
「エリカ殿!!」
「ッ!!」
オリキスが大声で名前を呼び、動くようけしかけたが、トカゲが体を反転して太い尾で強打したことによりエリカは跳ね飛ばされ、横にズサササ!と右半身を強く擦りながら倒れた。
トカゲは再び紋を展開して飛び込み、姿を消す。
オリキスは剣を鞘に収めてエリカへ駆け寄り、体の右側で左膝を着けて座った。
「大丈夫かい?」
「擦り剥いた程度で、、、済みました」
「痩せ我慢は、もっと強くなってからだよ」
「……はぁ、……ッ……手厳し、ぃ……、ッ!」
肘や腕からは血が滲み出ている。エリカは痛いと言わないように気を遣ってるが、中以上のダメージを喰らったせいで、すぐに体を起こして立ち上がれる状態ではない。
オリキスは自分のベルトに提げている袋から、丸薬が入っている小瓶を取り出そうとした。
「!」
エリカの足下に近い場所で、再び床がパキッと割れる音がして手を止める。
「……」
体を抱えて逃げる暇はない。優先すべきは回復か、魔法か、剣を使った先制攻撃か?あるいは庇うべきか?
弱ってるこの状態で火炎を直接喰らえば、エリカは瀕死に陥るだろう。自分は大したダメージを受けない。
オリキスは立ち上がって剣を抜くとエリカに剣先を向け、宙を切りながら詠唱する。
「『嘲笑え、愚弄の氷花』」
防御壁を張り終えると同時に、トカゲが飛び出した。
「!!」
バルーガはその瞬間を狙って右方向からトカゲに体当たり。押し遣って小ダメージを与える。
「おまえの相手はオレがしてやる」
左の手のひらを上にし、くいくいっと手招き。
挑発に敏感なトカゲは食い付き、殺気立った目で突進。バルーガの顔を目掛け、右、左、右、交互に前脚を動かして攻撃を繰り出す。
「くッ……!」
一撃一撃が重い。
バルーガは剣で防御しながら後方へ退き、二人からトカゲを遠避けることに徹する。
引き付けて貰ってるあいだにオリキスは剣を鞘に収め直し、急いで小袋から小瓶を取り出して丸薬を一粒摘むとエリカの口へ入れる。
「ッ、」
エリカは頑張って飲み込んだ。
「有難う……、ございます」
怪我は、すぅ、と消えていき、呼吸は落ち着いて立ち上がることができた。それでもまだ、手は少し震えている。
トカゲは攻撃を止め、右足を前に一歩出して床を強く踏み、首から上の頭部までを後ろへ引いた。
「うぉっと!」
バルーガは火炎を吐かれる寸前、左へ転がって避ける。掠めた服の一部は軽く焦げた。
「〜〜ッ、オリキス!!おまえ少しは攻撃手伝えよ!!」
「僕が本気を出したら、エリカ殿のレベル上げを阻害すると言ったのは君だろう?」
「ッ!畜生がッ!!」
本当はバルーガとオリキスが攻撃を繰り出し、エリカには後方で自衛して貰いながら補助に徹して貰う予定だったが、彼女は自分の意思で、島を出て海を渡った先へ行きたいと決意した。ならば、経験を積んで強くなって貰わなければいけない。
「仕方ないな、五秒間のみ助けてあげるよ。エリカ殿、『冷気の檻房』のレベルを一段階上げて攻撃だ」
「どうやって?」
「受けたダメージや怖さをチカラに変換して上乗せするのさ。詠唱する前に、祈るでも想像でもいい。兎に角、集中するんだ」
エリカは子どもの頃に見た海竜の目とトカゲの目が重なり、萎縮した表情でオリキスの顔を見る。
「でも…………」
「目を閉じれば、怖い者は視界から消える」
「逃げてもいいってことですか?」
オリキスは小さな笑みを浮かべる。
「克服はね、向き合う気持ちが自然に用意できてからでいいんだよ」
「頭のなかに姿が出てきたら?」
まだ迷いがあるエリカの質問に、オリキスは目を細めて涼しげな微笑みを浮かべる。
「僕なら、相手の存在を消すつもりで挑む」
「……」
「さ、決めようか、僕の可愛い弟子。バルーガの体力を消費させてばかりじゃ、君も格好つかないだろ?」
「……。練習のつもりで頑張ります」
エリカは安心した顔で目を閉じ、祈るように両手を組む。オリキスは視線をトカゲに定めて集中力を高め、右手の人差し指で宙に十字を描く。
「『喚ぶは時の捕食。慈しみなき悲憤の手による鎖で、かの者を縛らん』」
最後に左から右へ横線を引くように宙を切るとトカゲの足下から幽霊の不気味な嘆きの声と共に白い半透明の手が伸びて両足首を掴み、全身の動きを極限まで遅くさせる。
呪文『強欲な恐怖の手たち』。
無心になるまで集中したエリカは髪の毛先を水色に変え、瞼をゆっくり開けた。
紫の目に、微かに金色が混ざる。
ほんの一瞬の変化。
「『冷気の檻房にて、個の刻を凍て付く』!」
トカゲを凍らせ、さらにその上から厚い氷で全身を包み、気絶させることに成功。バルーガは渾身の力で剣による強攻撃を、連続で三打繰り出した。エリカは吹っ切れたように走り出す。
呪文の効果が切れ、意識が回復してきたトカゲは自ら氷を割ったが、体力はあまり残っておらず、歩くのもようやっとの状態で動きは鈍くなっている。
バルーガは安心した。
(変身したときに防御壁の穴と亀裂は塞がったが、体力そのものは完全回復していなかったのか)
エリカは矢を拾って弓を構え、トカゲの後頭部を目掛けて放つ。
シュパッ!
-- バキッッィ!!
「グァアア〝ッッ!!」
矢は当たった衝撃で真っ二つに折れてしまったが、大きなダメージを与えることができた。
トカゲは叫んだあと前に倒れて火の妖精へと姿を戻し、瞼を閉じて仰向けになる。
「くわぁああぁ〜〜……降参んんー」
「!!……やった……」
勝てた。
エリカは喜び、笑顔を浮かべる。
トカゲは巨大な海竜と比較すれば雑魚だが、微量でも自信がついただろうと、オリキスとバルーガは肩の力を抜いて笑みを浮かべた。
「?」
カコドリ遺跡を軸に、鈴の音がリィイイィン……と、島中に鳴り響く。
「いまのは?」
エリカが顔を上げる。
火の妖精は「よっこいせ」と上半身を起こして浮遊。
「おいらに勝ったことで封印が一つ解けたのさ」
「封印?」
火の妖精は頷いて返す。
「いま、水の蟹に続く紋が開いた。頑張ってね」
バルーガは疲れた表情で溜め息を吐く。
「今日は帰って休もうぜ」
オリキスも「そのほうがいいな」と、同意した。
帰る間際、エリカは振り返って火の妖精に近付く。
「聞きたいことがあるの。私のお父さんとお母さん、どんな気持ちであなたを召還したの?」
火の妖精はオリキスの視線から圧を感じて、言葉を選んだ。
「世のなかが良くなることを祈ってた」
エリカは安心した。
「……、そっか。あなたは、これからどうするの?」
「おいらは仕事が終わるまで島に居る。鍛えたくなったら、いつでも相手をしてあげるよ」
「一人で寂しくない?」
「あんたは寂しいのか?」
エリカは左右に首を振り、笑顔で答える。
「ううん。目標ができたから、くよくよしてられない」
島を出て行き、親に会いに行く。もう待たないと決めた。
「またね」
エリカはバルーガの所へ駆け寄り「今日は疲れた」「お腹が空いて限界」、そんな他愛のない話をしながら、転移の紋がある小部屋へ一緒に向かう。
「お兄さん」
火の妖精はオリキスに話しかけて、足を止まらせた。
「あんたは優しいな。翼竜は善であろうとすればするほど、優しさの形を歪めていった。アルデバランの娘に両親の真実の姿を教えても、罪にはならないと思うぞ?」
オリキスは澄まし顔で答える。
「翼竜は唆されたのか、元来からかは確かめようがない。それでいい。僕はエリカ殿のために悪人を選ぶ」
「……」
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