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サヨナラの意味

先日、母が亡くなって10年経った。

みんな覚えてるかな。地元のみんな懐かしいよね。

10年経って、やっと、ほんとに遅いけど、母さんと僕を救ってくれた人たちにちゃんと言葉でありがとうと伝えたいなと思って書きます。

これまで、僕は自分のこと話さない強がりな性格だから、あまり母のことについては話してこなかったと思う。
ひねくれ者だったから、自分の気持ちなんてわかる訳ないって、決めつけてた。ほんとごめん。

でも、悠真は何も言わないから何考えてるかよく分からないし、みんな悠真の考えや思っている事知りたいんだよって思いやり持って怒ってくれる人がいて救われた気持ちになったから、良いことも悪いことも素直に思った事全部言おうと思う。ずっと心の中では言いたかった。

読んでて苦しくなるかもしてないけど、良かったら聞いて欲しいな。



母さんが死んだ時、人生で一番苦しかった。

小6の時に初めて母さんから、「母さん子宮癌になったの、ごめんね」と言われた。
癌=悪というイメージしかなかった小学生の僕は隠しきれない動揺のまま「そうなんだ」としか言えなかった。ごめんね。
子宮摘出手術の前には、「悠真弟か妹が欲しいって言ってたけど叶えられなくて母さんダメだね」と申し訳なさそうに言っていたのを覚えている。ほんとにそんなことないよ。ごめんね。
小学生の僕には、母さんに前向きな言葉もかけることができなかった。
今、母さんの気持ちを考えると、勇気が必要だっただろうし何より苦しかったかなと思う。
後悔しても仕方ないと分かってるけど、思い返すとずっと何もできなかった自分がいつも映っている。

摘出手術の後は、回復の兆しが見えたけど、半年後に再発・転移してしまった。癌患者では若い40代は癌細胞の体内循環も早い。
抗がん剤治療や放射線治療のステージに入って、体調がずっと悪かったり髪が抜けたりと目で分かるくらい辛そうだった。モルヒネを内服するようになってからは本当に危ないと僕でも感じるようになった。
父は、その時余命宣告を受けた事を僕にも親戚にも言わなかった。その状況下でも仕事もしていたので、背負うものが多く孤独だっただろう。辛かったよね。
そこでも思い返すと何もできず傍観していた自分が映っている。

余命宣告から3ヶ月後。僕と兄が病室から出て、病院に泊まり込むために着替えを家に取りに行ったタイミングで母さんは息を引き取った。子に死ぬ姿は見せないとずっと俺らのこと考えてくれてたんかな。
母さんは僕に弱音なんて一回も吐かなかった。
常に僕の見えるところでは笑顔で、前向きに病気と戦っていた。本当にかっこ良かったよ。

葬式の時に涙なんて出なかった。
友達の親や多くの人に連絡して、お通夜の準備に追われて親父も兄貴も涙を流す暇がなかった。
けど葬式が終わって別室に入ってから親父が急に泣き出した。死んじゃダメだろと。大声で。泣く人ではないので驚いた。僕もただただ悲しくて枯れるまで泣いた。
溜め込んでいたのかもしれないし、どうしてけばいいんだよと思ってたんかな。全てを抱え込んでくれた親父にもほんとにお疲れ様と兄弟で感謝の言葉を伝えたい。

葬式には僕や兄の友人やその親御さん、母は書道の先生だったので地域の生徒さんなど、式場に溢れる人が多く人が来ていただいた。来てくれた新川中のみんな名簿にも載ってるから今でも分かるし覚えてるよ。ほんとにありがとう。


式場のスタッフがこんなに溢れるほどの式は滅多にないとおっしゃっていたのを覚えている。
母さん。本当に多くの人から愛されてたんだね。今でも、命日に墓参り行くとすでに花がいっぱい飾られてるもん。みんな未だに来てくれるってすげぇよ。息子として誇らしいし、俺もそうなりたい。
一緒に笑ってくれてありがとう。こんな俺を怒ってくれてありがとう。たぶん今も見守ってくれてるし、一緒に泣いてくれてありがとう。愛情を注いでくれてありがとう。俺を産んでくれてありがとう。ありがとう。ありがとう。


中学のみんなへ
辛い状態で劣等感しかなかった僕を受け入れていつも笑わせたり楽しいと思える場所を作ってくれてありがとう。
亡くなった後、学校行くのが嫌だった。気を遣われるんじゃないかなって。
毎日どんな時も声かけしてくれて、うちも親離婚してるから気持ちは分かるから頼ってねって手紙を書いてくれたり、みんな不器用ながらも普通に接しようって思いやりめっちゃ伝わってたよ。俺も寂しいって言わずに強がっててごめん。って感謝の言葉もめーっちゃ遅くなってごめん。
ありがとう。お前らじゃなかったらずっと学校に行かなかった。
みんなが僕の居場所を作ってくれたから、次は人の居場所を作る人になるって目標ができたよ。
ありがとうって伝えたいし、久しぶりの人も電話するから出てね笑


他にも
いっつもの僕に面白いトークを繰り広げてくれる友人。
部活の弁当を僕の分まで作ってくれた友人のお母さん、今日晩飯食べに来いと強制的に誘ってくれたたくさんの友人のお母さん、数ヶ月うちの洗濯や制服のアイロンをしてくれた友人のお母さん、ありがとうございました。マジで世の中の母さんたちの思いやりって半端ない。
こんな僕でもいい子とずっと言い続けてくれたじぃちゃんばぁちゃん。
なんでもできることあったら言ってと気を使ってくれた先生。
僕を受け入れて挑戦する場を与えていただいた社長と先輩たち。
自分の過去の考え方を発信してみたらと提案をしてくれた先輩。


多くの人に支えられて生きれてます。


ありがとうございます。これからもよろしくね。




〜あとがきみたいなやつ〜

読んでくれてありがとう。

みんなさ、サヨナラの意味ってなんだと思う?

俺はまだ分からない。
なんでサヨナラしたくない人とサヨナラするんだろう。
けど、みんなにサヨナラの経験を話すことで見つかるんじゃないかって思った。

このコラムは、お前ら毎日親に感謝しろよ!とかそういう事を伝えたかった訳じゃないよ。
けど、命日を迎えて俺は久々に母さんと喋りたいなとか飯食いたいなって感情が溢れてきて、それができるみんなに憧れてるんだよって伝えたかった。

日々の当たり前とかありがとうって気付けば忘れちゃってるよね。
でも忘れてるからダメってことでもなくて、あっ!支えられてんなー!て思い出した時に言えればいいと思うの。

今がそんな時なの。ありがとね。

みんなが思うサヨナラの意味とかコラム読んで思ったこととか、僕みたいに人に言えなくて吐き出し過去とか今とかあったら言って欲しい。


自分語りする時ぐらいあったって良い。そうだろ?




最後まで読んでくれてありがとう。

おわりー

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