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スタバ店員が被災した話

どうも、筋トレ臨床工学エンジニアKEN(https://twitter.com/ce_fitness_note)です。


東日本大震災から早いことで10年経ちます。

当時、大学三年生だった僕はその日、学校は休みで都内のスタバでアルバイトをしてました。

そしてアルバイト先のスタバでこの震災を経験しました。

10年という節目でもあり、この時の経験をデジタルコンテンツとして残します。


震災発生直前

僕は15時からのシフトだったため、14時前に千葉の実家を出て、都内に電車で向かいました。


お店に着いたのが、14時半頃、申し送り事項を確認したり、
休憩中のスタッフと話したりしてました。


制服に着替えるため、トイレで着替えてた時、大きな地震がきました。


僕自身、初めて経験する強い揺れの地震だったのと、
まさに着替えている途中でしたので、気持ちとしては慌てているのですがどうすることもできず、トイレで揺れがおさまるまで待機してました。

今思うと、すぐに扉を開けて外に出るべきだったなと思います。
(揺れによってドアが開かないなども起こり得るためですが、当時はそこまで考えられなかったです)


地震が起こってから

店内の様子は、物が倒れたり、破損などもなく、
けが人などもいませんでした。

ただ、普段の地震とは明らかに違うため、
お客さんたちからはかなり騒然とした様子を感じました。


とりあえず、僕は15時からの勤務でしたのでフロアの業務にあたります。

行き場をなくした人たちがどんどん店内に入ってきます。

特に外国人の方はかなり不安そうにしている人が多かったです。


外は大変な状況になっているようで、最寄駅の様子を見に行ってきてとリーダーに頼まれたため、エプロンを外して見てきましたが、

電車はどの路線も全て止まっている

溢れる人

ディスプレイで流れているニュース映像には、
津波、建物の倒壊、大規模火災など、
今までに見たことのない映像が映っていました。

ただただ唖然としてしまいました。


営業停止

建物自体に被害はないとはいえ、この混乱に対応することができず、
17時に営業停止の判断が下されました。

なので僕たちスタッフもようやく一息ついたところで、
家族に連絡を取ったり、ニュースを確認しました。

電話やメールは全く使えなかったのですが、
Twitterだけは正常に使えていたのを覚えています。


電車は完全ストップ、帰宅困難となる

営業停止になったとはいえ、
電車が止まってしまったため僕は帰宅することができずでした。

そして近隣のスタバからも、営業停止になって帰れなくなった人たちが、
うちのお店に集まりました。(近隣店舗で一番大きかったため)


帰れる人と帰れない人

歩いて帰るという人もいました。

中には主婦の人で、埼玉の方まで歩いて帰るという人もいました。


僕より若い子で、親が迎えに来るという人もいました。

ただ、その子は、むしろお店に泊まれる方がなんだか楽しそうだから迎えは来てほしくない的なことを言っていました。

さすがに周りの人が帰れるなら帰りなさいと諭していたのを覚えています。

この子に悪気はなく、まだこの時点で事の重大さに気づいてなかっただけだったと思っています。


スタバで一夜を過ごす

結局僕はスタバで泊まることになりました。

椅子と三つ繋げて簡易ベッド作って寝ました。

こんなので寝れるかなと思いましたが、日中の疲れもあってか意外と寝れました。


翌朝、電車が動くため帰宅するも

翌朝、電車が動き始めたとのことで、駅に向かいました。

ただ、動くとはいえ徐行運転かつ一駅一駅で長い時間止まりながらの運転でしたので、普段なら30分でつくところが6時間ほどかかりました。

結果として、歩いて帰る時間と変わらなかったです。


この時期、帰宅難民という言葉がよくニュースでも流れていました。

いざというときに歩いて帰れる体力、
ざっくりとした地理の把握などは日頃から意識した方がいいなとこの時強く感じました。


無事に家に着く

7時ぐらいに電車に乗って、家の最寄り駅に着いたのは13時ごろでした。

幸い、家族(父、母、妹、猫)は全員無事でした。

家は少し物が落ちたりしたぐらいでした。

この日を境に、住んでる猫が緊急地震速報のアラームが鳴るとベッドの下に隠れてしまうようになりました。

猫にとってもそれほどの怖い体験となってしまったのが、なんだか少し可哀想に感じてしまいました。


その後

テレビは震災当日から1週間、どのチャンネルも通常放送はしてなく、ずっと報道番組でした。

CMもスポンサー関連の問題で、ひたすらACのCMが流れるという、かなり異常な感じでした。


バイト先のスタバは1週間ほど営業停止でした。

営業再開後も、計画停電の影響で営業時間は短縮。

家にいても夜の数時間電気が止まるなど、日常生活にも影響がありました。


最後に

あの震災から10年が経ちました。

この10年で僕は、

臨床工学技士を目指す学生から実際に臨床工学技士になり、

筋トレにどハマりし、

結婚もして、

転職して今は医療システム開発エンジニアです。


10年で個人としてはもちろん、時代も大きく変わりました。

生まれた子が10歳になります。

この震災を知らない人がこれからもっと増えていく時代に向けて、
noteに自分の経験を残しました。


幸いにも僕はただ帰宅困難になっただけで済みましたが、

2011年3月11日に、大切な人や住む場所を失った人がたくさんいる災害があったということを、この記事を通して知っていただけたら幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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