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ネトゲ廃人だった時期は、無駄じゃない
タイトルのグラフは、中学2年生の11月から、中学3年の12月くらいまでの時期の僕の過ごし方。青は寝ている時間、緑は学校にいる時間。
一番多い赤は何をしている時間だと思いますか?
学校・寝る以外のほぼ全時間を費やしているそれは、
『メイプルストーリー』というオンラインゲームと、そのプレイ日記をブログに書いている時間でした。
当時の中坊だった僕は、メイプルストーリーとブログの記事をどう書くかが、優先順位の1位を占めていました。それ以外のことは、乱暴にいってしまえば、「どうでもいい」ことでした。
塾に通っているときも、誰かと遊んでいるときも、部活をしているときも、心の8割はそこに向かっていました。
結果、高校生・大学生の序盤くらいに、バランスの歪んだ人間になってしまいました。どう歪んでいたか、まだはっきり言葉にできないのですが、時間感覚・ものごとの優先順位が他の人とは大きくずれていたり、心ここにあらずなので会話の返答がどこか噛み合っていなかったりしていました。
当時の僕は自覚はなかったものの、明らかにネトゲ廃人であり、その後遺症は何年も残ることになりました。
高校生くらいにネトゲ廃人だったころを振り返ってみると、「ブログを書いていた時期は楽しかった」という思いが4割、「時間を無駄にした・なんにも残ってなかった・もっと生身の付き合いに時間を割けばよかった」という思いが6割でした。
画面に没頭することで、リアルコミュニケーション力が著しく低下してしまったように感じていました。だからどこか人との付き合いにくさを感じて人を避けてしまっていた。
そんな思いがあるから、ネトゲ・ブログのことはどこかで黒歴史のようにも思えていて、誰かに話すのははばかられていました。
でも、最近それを見直すいいきっかけができました。
ある講義のプレゼンテーマで与えられたのが「私がハマっていたもの」でした。
ハマったものでこれ以外考えられなかったので、このときのことを思い出してみて、ふと思ったのが、
ということ。
そこで今回はメイプルストーリーとブログそれぞれのことを改めて考えてみました。
まず、メイプルストーリーというオンラインゲームはどういうゲームだったのか、というと、
ほのぼのとした世界観・チャットで多くの知らない人と自由に話せる平和なゲームでした。強くなるのを楽しんでもいたけれど、それ以上にネット上の平和な場所で誰かとやり取りできるのが当時の僕には新鮮なコミュニケーション方法だったんだと思う。
そして、ブログ。
しょうもない中坊の書いた記事にも反響がそれなりにあって、毎日更新していれば100人くらいの人がみにきてくれました。
コメントをくれたり、ゲームの中で話しかけてくれる人がいたり。ブログに僕が感じていた価値は、新しいコミュニケーション方法を提供してくれることでした。
僕がブログ・オンラインゲームに感じていたのは、今多くの人がSNSにハマっている理由とおそらく同じものでした。そこで僕は現実では満たされないと思っていたコミュニケーション欲求を満たしていたのでしょう。その時は気づきもしなかったけど。
僕はゲームとそのプレイ日記を通じて人とつながることが快だった。
日常の、他の何もかもを忘れられるくらい。
今回ふりかってみて気づいたのはそのことでした。
ネットゲームに没頭しすぎることで、現実のバランス感覚を著しく歪めてしまった。
ずっとそう思ってきていたし、そう思ってきたからゲームから一度遠ざかってきました。
でも、日常生活を忘れるくらい没頭できるものがあったのは幸せなことだし、僕はゲームを介した人とのコミュニケーションが得意なのかもしれない。
そのことに気づき、最近はゲームをしぜんに楽しめるように戻ってきています。自分があのとき感じていたような没頭を自然に実感できてきています。
その原型を保つことができたのはネトゲ廃人になっていたあの期間のおかげです。
だったら、人としてのバランスを歪ませることになっても、やっぱりその時期は無駄じゃない。でもこれからは人との関わりも大事にしながら生きていきます。
今は、「趣味はゲームです」と堂々と言えるようなプレイスタイルを確立して、ゲームをコミュニケーションのきっかけにして多くの人と関わりたい。そう、思っています。
また何かに没頭する日が来たら、廃人になるのではなく、うまく生活に溶け込ませられれば、良いな。
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