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本を読むのはなんのため?

書店でバイトをするようになってから、"本を読む"ことが一つのアイデンティティになっていた。

趣味は?と聞かれれば本を読んでいることと答えるし、アルバイト先で社員さんには本を読むのが好きでいろいろな本を読んでいることで話もはずんだ。

本を読むことでいろんなことが好転していくように思えた。だから、いろんな本を読もうと、普段の自分なら買わないような本もたくさん買った。

でも、そんな本が増えていくほど、読書が楽しくなくなってきていた。本当に読みたい本に割くエネルギーと時間が回せなくなってきていて、本じたいはあまり楽しくないけれど、その話をすることで得られることに目が行くようになってきていた。

本当に、だんだんと楽しくなくなってきていたのだ。

活字を読むのが楽しくない。

それは、ずっと新しく買った本を開くだけで心が高まってきていた自分にとっては異常なことだった。

なんで、こんなことになったんだろう?

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考えてみた結果、次のことに行き着いた。

読書は本を読むのが好きだからと言って、無尽蔵に続けられるわけじゃない。実は、人一人ひとりに、"読書キャパ"があるのではないか、ということ。

読書キャパ、というのは、その人が読書できる時間のことなのだけど、これには限りがある。

その根拠は下のように自分の読書体験に基づくものなので、万人には当てはまらないかもしれない。

例えば、僕の場合、本を心の底から読みたい!となるのはどういう時かというと、昔、漠然と不思議に思っていたことが言葉になって、頭の中に住み着き始めたときだ。○○は○○じゃないか?とか、○○って実はどうなんだろう?とかぼんやりと気になり始める。

そこから、それに答えを与えてくれそうな本、もしくは洞察を深めてくれそうな本を探すと、すぐ見つかる。

そうして見つかった本はすぐにでも買いたくなるし、読みたくなる。

このようにした手にした本だけを実は人は(僕は)読めるのではないだろうか。

(他にも"本"が"読める本"になるきっかけはあると思うけど、実は読める本というのはそんなに多くないのかもしれない。)

そして、そのようにして見つけた本を読むのにかかる時間がその人の読書キャパになっていく。


つまり、僕は自分の読書キャパを使い果たしていたのに、本を読もうとしていたのだ。誰かと話すためとか、見栄えをよくするために。

本を読むのは、本を読むためだ。(当たり前だ。)

そして、本を読みたくなるのは、知りたいことや体験したいことがあるからだ。

本を読むために本当に大事なのは、知りたいことが増えたり、体験したいことが増えること。

だから、本を読むためには、本以外の日常を大切に過ごすことも大切なのだ。

料理をしたり、掃除をしたり、ゲームをしたり、誰かと遊んだり。本を読むために本を読まない生活も大事にしていこう。そう思った今日なのだった。

#読書 #エッセイ #日記


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