『純粋意欲と"純粋でない"意欲』雑感400_07
毎日の読書から、だいたい400文字の雑感を。
「なぜそんなに一生懸命に頑張るの?」
そう言われてもピンとこない。自分は一生懸命やっているのではなく、それが楽しくて仕方がないだけだから。そんな体験はないだろうか。根っこには、おそらく純粋意欲がある。
純粋意欲
自分の奥底から湧いてくる「これがやりたい」という気持ち。
Aの輪郭をはっきりさせるには、"Aでない"ことがわかるといい。純粋な意欲があれば、"純粋でない"意欲もある。
"純粋でない"意欲は「理由があり」「他の何かの手段であり」「根底に恐れや不安があり」、従うと「魂が擦り減る」。
純粋意欲はその対極にある。つまり「理由がなく」「それ自体が目的になり」「ただ自然に湧いてきて」、従うと「魂が潤う」。
私の人生前半は、サッカー一色で、思考を止め全力疾走してきた。それをする理由はわからず、ただその時間が楽しく、誰の為でもなく、認められたいわけでもない。ただ心に従い、それをやるだけで、満たされる。
そのときの体感覚が、今も人生の満足度を基準になっているから困る。困るときもあるが、人生に妥協を許さない頼れるコンパスでもある。
今、純粋意欲を人生のエンジンに活用していますか。
皆さんには、どのような純粋意欲が隠されているでしょうか。
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