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こたえることができない幸せ

40歳頃から漠然と頭の中にあった
「世界中を旅しながら生活して道に迷って遠回りを楽しむ」。

そんなの一生来ないよなぁ、
いつか来るんかなぁ、いつか来てほしいなぁ、
って思ってたけど、
「それは今かもしれん」と思えてきた。
あの延長線上に今があるんやな。

「世界中」、あの頃は文字通り「外国」という意味だったけど
今の意味は「仕事以外の世界」という感じ。


とはいえ
緻密な企てをしない、未来を予想しない、計画立てない、
そんな生活、私にできるんかな。
不安はないといえば嘘になる。
流れに流されてみたいのに
そんな勇気が出ない。


不安って何やろう。
未来を考えるからじゃないかな。
「安定を手放さない」ことに執着してる。
一度空っぽにしたら
何か入ってきそうなのに。
 

これまでの私は
計画しては安心していた。
計画からは外れないまっすぐな道。

仕事はゲームみたいで楽しかった。
真剣なゲーム。
楽しさがしんどさや嫌さを凌駕していた。
でも、いつの間にか
仕事が人生の中心に居座って、忙しいのが人生の充実、って
錯覚していたような。

自分の時間が無い。って何気なく言ってたけど、なんだか変。
自分を生きてるのに。
40代はいろいろいろいろいっぱいいっぱいで休む暇がなかった。

私は私に緊急事態宣言した。

自分を人生の中心に置いたら時間ができた。
どうでもいいようなことに
夢中になって時間をかける。
一見ムダに見えるようなところの
実は「ソコ、重要!」感。

楽しみを無理に詰め込んでいた以前の私には
楽しみはすぐに味わわないと逃げてしまいそう、という不安があった。
今は「ずいぶん先の待ち遠しさ」を
楽しめるようになった。

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「がんばるあなたを応援するよ」
「あなたはこれから何がしたいの?」
日常にあふれるポジティブなメッセージ。

今の私には
「がんばらない私」を応援してほしい。
目指したいところへ!でなく
目指したいところを無くしたい。

私のしたいことには名前が付いてない。
だって、
私の夢は夢にも思わないことだから。
しかも、
いつ始まるかも分からない。
こたえることができない。

だんだん分かってきたのは
終わりがないと始まらない。という感覚。
私は今、終わりと始まりの間にいるんやな、
とも思えるし、
もう始まってるのかもしれん。とも思う。
根拠はないけどいい予感がする。

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