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『ライフ・ビルディング~おじさん会社員、最後の抵抗~』脚本②

〇登場人物表

矢野 雅弘(54)  田端重工社員
川村 舞衣(30)  社員・矢野の後任者

菅原 こころ(21) 清掃員
片山 梅子(72)  清掃員
入江 久子(62)  清掃員
山田 信彦(48)  清掃員

矢野 絢 (50)  矢野の妻
矢野 亮輔(26)  会社員・矢野の息子
矢野 愛美(21)  大学生・矢野の娘

江川 良樹(34)  舞衣の部下
日下部 浩正(53) 専務
荻窪 彰(54)   矢野の同期
田端 司(65)   社長

立花 陽介(23)  窓清掃員
水島 宗太(29)  亮輔の同僚
佐伯 大吾(60)  佐伯商事社長
重松 慧(28)   舞衣の部下
田村 彩菜(30)  舞衣の同期


第2話

〇同・7階女子トイレ
こころ、洗面台を清掃している。
隣の洗面台で化粧を直している田村彩菜(30)と女性社員が、こそこそ話をしている。
彩菜「まあ、川村さんならありえるなー、手段を選ばないっていうか」
二人はクスクスと笑いながら、トイレを出て行く。
こころ、洗面台の奥に、光るものを見つける。
近づくと、羽型の小さいピアスが落ちている。
丁寧に拾い上げて、まざまざと見る。

〇同・4階廊下
梅子と、顔を隠すようにした矢野が、歩いている。
と、ある部屋から走って出てきた女性社員と、ぶつかりそうになる。
女性社員「すみません!」
女性社員、走って去っていく。
矢野「はあ、あぶねえ」
出てきた部屋は、総務室。
室内の社員たちは、皆慌ただしく動いている。
梅子「……忙しそうだから、大丈夫だな、さっといくぞ」
矢野「はい。総務の女の子たちが、準備に駆り出されていますね」
梅子「わざわざ今日、やらなくてもな……」

〇同・最上階ホール
「田端重工 創立記念式典」の看板。
式典の準備が行われている。
大きな花輪が、次々と運び込まれ、飾られていく。

〇同・7階営業三課・前の廊下
久子、矢野に帽子を被せる。
久子「ええやん、似合ってんで」
矢野、帽子を深くかぶり直す。
窓に映る自分を見て、見た目を色々と気にしている様子。
久子「ほな、本丸に、乗り込むとしますか」
矢野「いや、やっぱり俺はここで……」
久子「私が行ったって、なんも分からんで。自分の目で確かめてもらわんと」
矢野「はい……」
久子「よっしゃ、今や」
久子、大股で歩きだす。
矢野、久子に隠れながら不安げに付いて行く。

〇同・7階営業三課
課内は朝に比べ、がらんとしている。
江川、コピー機の前で作業している。
舞衣、大量のファイルが積まれたデスクで、PCに向かっている。
部屋の入口で、帽子を深く被った矢野が、ごみ収集カートを持って立っている。
社員は誰も、矢野の方を見ない。
久子は、ごみ箱の中を覗いている。
重松慧(28)が、舞衣の方へ行き、
重松「課長、すみません、下田工業さんですけど、新しいシステムがまだで」
舞衣「あーかなり高齢の社長ですからね……もう少し、簡易なマニュアルも作ってみませんか?」
矢野、舞衣の会話を聞こうと、少しずつ移動する。
重松「……そうっすね、まあ……あそこの社長は、ちょっと厳しいと思うんすけど……」
舞衣「今共有フォルダに資料入れたんで、これを参考に、作ってみてもらえますか?」
重松「……了解です」
重松、大げさにめんどくさいな、という顔で、向かいの男性社員に目配せしながら席に着く。
矢野は、重松の様子に気づいておらず、久子の姿を目で追っている。
久子、ごみ箱からごみ袋を取ろうとしている。
久子「あかん、引っかかった」
近くの男性社員が、手伝おうとする。
久子「ああ、ええでええで。うちの仕事やからな」
男性社員、手を引っ込めて、仕事に戻る。
久子、男性社員を一瞥し、腰をさする。
久子「いてて……ごめんやで、やっぱり手貸してもらおうかな」
男性社員が再び振り向き、手を貸す。
久子と男性社員、手こずりながら、ごみを引っ張り上げる。
江川、コピーした資料をまとめ、舞衣に渡しに行く。
資料のファイルには「部外秘」の文字。
矢野、久子の様子が気になり。舞衣の方を見ていない。
江川と舞衣、声を押し殺しながら会話している。
江川「川村さん、これを使いましょう」
舞衣「……」
江川「佐伯商事に関しては、矢野さんでなくてはダメです」
舞衣「……いえ、それは」
江川「あのね、課長になったって、最重要取引先を切るっていう権限はないんですよ」
舞衣「もちろん、切る気はありません」
江川「じゃあ、あんなありえない要求を、受け入れるんですか」
舞衣「それは……」
矢野、舞衣と江川の資料の受け渡しに気付いて耳を傾けるが。会話が聞こえずもどかしい。
江川「これ使わずに、どうやって先方の怒りを抑えるんだよ。ていうか、これでも足りないでしょ」
舞衣「……」
江川「クリーンに営業しようって改革して、大口潰したら意味ないだろ……」
舞衣の机に、資料を置いて去る江川。
資料を手に取る舞衣。
舞衣「……」
矢野、懸命に様子を伺っている。
一人の女性社員が、そんな矢野の様子に気付き、ちらちらと見ている。
ごみ袋を持った久子、慌てて帰ってくる。
久子「(小声で)行くで」
矢野と、ごみ回収カートを、久子が強引に押しながら、部屋を出る。

〇同・7階営業三課・前の廊下
自動販売機の陰に、久子と矢野。
久子「収穫あったやろ?」
矢野「いや……特には。川村さんの優秀さは目に焼付けましたけど」
久子「……それで十分やわ」
一息つき、帽子を外す矢野。
そこへ、真剣な面持ちの舞衣が、歩いてくる。
矢野、急いでカートの後ろに隠れる。
久子、ごみの袋を縛り直すふりをしながら、舞衣が通っていくのを横目で見ている。
舞衣「お疲れ様です」
久子「お疲れ様です」
久子、矢野に小声で、
久子「矢野、追いかけるんか?」
陰に隠れている矢野、頷く。
舞衣が去ったのを確認し、清掃員ジャケットを脱ぎながら出てくる。
脱いだジャケットを当然のように久子に渡す矢野。
矢野「行ってきます」
少し面食らい、ジャケットを受け取る久子。
久子「あほ」
矢野「?」
久子「(にやりと笑い)あんたもまだまだ伸びしろあるで」
矢野「……?」
久子「はよ行ってき!」

〇同・表
スーツ姿に戻った矢野が車を走らせ、ビルから出てくる。
それと入れ違いに、スーツ姿の亮輔と水島宗太(29)が歩いてくる。
ビルを見上げる、亮輔と水島。
亮輔「(微笑み)……田端重工」
水島「(不安げに)……」
ビルに入っていく二人。

〇佐伯商事・事務所・表
「佐伯商事」の消えかかった看板。
誰もいない古びた駐車場。
矢野、車を降り、辺りを見回す。
何だか時間を持て余している様子。
梅子と同じくらいの身長まで足を曲げて、腰をかがめながら歩いてみる。
すると、事務所の周りの花壇が、目に入る。
花壇の端に、紫色のアザミ。
矢野、近づいて見て、
矢野「あれ、これどっかで……」
花を見て、ぼうっとしていると、かすかに舞衣の声が聞こえてくる。
舞衣の声「そこをなんとか、お願いします」
矢野、中の様子を伺いながら、事務所の玄関にこっそり近づいていく。
ちょうど良い窓枠の下に隠れ、中を覗き見る。

〇同・玄関口
佐伯商事の社員と、舞衣が揉めている。
社員「そう仰られましても、困りますので」
舞衣「お願いします」
深々と頭を下げる舞衣。
社員「……」
舞衣「社長にご挨拶だけでも、お願いします」
矢野、窓の外で、首を目一杯に伸ばし、息を呑んで見守っている。
社員「……お待ちください」
社員、渋々、奥に入っていく。
直立して待つ舞衣、緊張している。
佐伯大吾(60)、だるそうにやって来る。
舞衣「社長、お忙しいところありがとうございます」
舞衣、深く礼をする。
佐伯「悪いけどさ、もうちょっと話分かる人、連れてきてくれる?」
舞衣「責任者は、私ですので」
佐伯「……天下の田端重工もおかしなこと始めたよ、こんな小娘が営業課長だ」
舞衣「……」
矢野「……」
佐伯「矢野くんからのお願いだったら考えるけどなあ」
舞衣「矢野……ですか」
矢野、ちょっとまんざらでもない顔。
佐伯「矢野くん、連れてきてよ」
舞衣の顔を覗き込む佐伯。
佐伯「無理なんだろ。矢野くん、家族の都合で退職とか言って挨拶来たけど、要はリストラでしょ? 矢野くんの首切る会社、信用できないよ」
舞衣「矢野は……」
佐伯「うちの要求のめないんなら、帰ってくれる?」
舞衣「……」
舞衣、鞄の中の、江川から渡された「部外秘」資料を取り出そうとして、止める。
舞衣「(落ち着こう、と)……」
佐伯「だんまりじゃ、話になんないよ。おい、泣いたりされても困るよ」

〇同・表
矢野、居てもたってもいられず、窓から玄関に乗り込もうと、窓枠に足を掛ける。
その時、誰かに引っ張られ、ずるっと滑り落ちて、転ぶ。
振り向くと、こころが、後ろで尻餅をつき、痛がっている。
矢野「え……君は」
こころ「……ダメですよ」
矢野「え?」
こころ「お目付け役に任命されてしまったんで……言います。矢野さんが出て行ったら、ダメです」
矢野「……」
こころ「……これは、川村さんの仕事、なんだと思います。矢野さんはもう、去っていく、人です」
矢野「……分かった」
そこへ、駐車場からエンジン音がする。
作業服姿の陽介が運転する軽トラが、横切っていく。
こころに軽く手を振り、微笑む陽介。
座りこんでいるこころ、慌ててぺこりと頭を下げる。

〇同・玄関口
再び窓から中を伺う、矢野とこころ。
舞衣、「部外秘」資料を奥に押し込み、鞄を地面に置く。
舞衣「……社長は、矢野を気に入って下さっていたのではなく、矢野が持ってくる情報や接待を、気に入って下さっていたんですよね」
こころ、ぎょっとして、矢野を見る。
矢野、顔が強張っていく。
佐伯「それが何だ?……若い子は知らないか。営業とはそういうものだよ。矢野くんが持ってくるものが信頼できるから、矢野くんを信頼し、その会社を信頼して、取引する。覚えておきなさい」
舞衣「……全て、矢野が個人の判断で行ったことです。会社は認めておりません」
佐伯「あのね、いちいち、そういうのを……」
舞衣「社長。私を信頼していただくのは、まだ難しいかもしれませんが、社長の為にも、聞いていただきたいことが……」
佐伯「なんだ」
舞衣「(小声で)今回の改革にご賛同いただけないお客様は……例え大口の、古くからのお客様でも契約を切れと、内々に、指示されているんです」
佐伯「な……うちが買わないと、相当な大損だぞ」
舞衣「それでも、です……」
佐伯「なんだ? 営業改革して、何としてでも利益をあげたいんだろ?」
舞衣「経営が厳しいから、大胆な改革を始めたのではなく……むしろ、逆です。多少犠牲が出ようと、今なら強行できるという考えなんです」
佐伯「……!」
舞衣「大きく出るのは、まだ早いと思います。社長が混乱されるのは当然だと思いますが……社長、ここは堪えて、私と一緒に、乗り切っていただけませんでしょうか」
佐伯「どう乗り切る?」
舞衣「契約の詳細を、お持ちしました」
佐伯「……中で聞かせてくれ」
舞衣「はい! ありがとうございます」
舞衣と佐伯、事務所の奥に入っていく。
矢野、呆然としている。
こころ「帰りましょうか」
矢野「……そうだな」
矢野とこころ、立ち上がる。

〇車内
助手席のこころ、お汁粉缶を飲みながら、運転席の矢野をちらりと見る。
すっかり元気がなくなっている矢野。
と思ったら、急に笑い出す。
矢野「いやー、もうお役御免っていうことだよね」
こころ「……あの」
矢野「彼女は、全て把握した上で、ずる賢く、社長の信頼を掴んでしまった」
こころ「あの、矢野さんは、あんまり良くないこと、をしていたんですか」
矢野「……まあ、墓場まで持っていきたいことばっかりだ。新人の頃からそれが普通だったからな」
こころ「……そういうものなんですね」
矢野「俺個人の判断でやっていたっていうのは嘘だが。そんな権限はないから」
こころ「え……じゃあ、会社に言われたことをきちんとやっていたのに、クビになるんですか」
矢野「そうだな」
こころ「そんな会社、辞めて正解ですよ」
矢野「……」
こころ「……ごめんなさい」
こころ、気まずそうに、お汁粉を飲み干す。
矢野「……ありがとう、助かったよ、止めてくれて」
こころ「はい。何かあったら絶対止めてこいって、梅子さんに言われたんで。無理やり連れて来られましたけど……」
矢野「そうか、すまないね……これで川村さんは、なるべくして課長になったと分かった。俺は恥かかなくて済んだよ」
こころ「いえ」
矢野「ま、とにかく、不倫するような子じゃないってことか」
こころ「……でも、ああいう、強くて何でもできちゃう人ほど、恋愛に関してはダメダメだったり……」
矢野「そうなの?」
こころ「優しい言葉をかけられると、意外と弱い、とか」
矢野「そうは見えないな」
こころ「……まあ、そうですよね」
矢野「しかし二十も下の子を引きずり降ろそうなんて、恥ずかしい話だったな」
こころ「……恥、は違います」
矢野「?」
こころ「私、矢野さんがそうやって執着することも、よく考えたらシンプルにかっこいいな、と思ったんです」
矢野「……」
こころ「30年間、会社のために尽くしたってはっきり言ってたじゃないですか。私には……自分の人生これだって言えるのって、想像もできないです」
矢野「そうかな」
矢野、少し笑みを浮かべ、前を向く。
こころ「もちろん、一人で目上の人たちに立ち向かっている川村さんも、凄いです。私は、居心地の良い職場で、得意なことをやっているだけなんで……」
矢野、こころをちらりと見る。
矢野「……君さ」
こころ「こころ、でいいです」
矢野「……こころちゃんは、人の色んな所を見て、気付いている。それは、中々できることじゃないよ」
こころ「……はい」
こころ、はにかむように小さく微笑む。

〇田端重工ビル・地下休憩室
矢野、コンビニのおにぎりを食べている。
弁当を食べている梅子、矢野のコンビニの袋を漁っている。
それを横目に、こころ、パンを食べながら、窓の外を覗いてみる。ビルの裏口の方には、誰もいない。
梅子「……けどまだ、不倫じゃないって決まったわけじゃないんだよな」
矢野「いえ、もうこれで大丈夫です。これ以上、彼女のことを詮索するのも失礼ですし、これで……」
こころのスマホが鳴る。
久子からの、テレビ通話だ。
画面の中の久子、しーっとジェスチャーをして、カメラを動かす。
4階の資料室前が写る。
資料室から、日下部が出てくる。
矢野「日下部……」
梅子「あれが、専務か?」
矢野「ええ」
画面を凝視していると、資料室から舞衣が出てくる。
こころ「山田さん見たのは、これですね」
梅子「よし、アタシが行って来てやる」
矢野「お願いします」
梅子のためにドアを開ける矢野。
梅子とこころ、きょとんとして顔を見合わせ、揃って矢野を見る。
矢野「ありがとうございます」
梅子「(にやりと)おうよ」
梅子、素早く小走りしていく。

〇同・7階営業三課
シュレッダーの前に立つ舞衣。
「部外秘」の資料をシュレッダーにかける。
みるみるうちに、粉々になる。
舞衣「……」

〇同・地下休憩室
机の上に置かれたボイスレコーダー。
梅子、矢野、久子、こころ、レコーダーを囲み、顔を見合わせる。
梅子「行くぞ」
梅子が再生ボタンを押す。
日下部の声「……どうだ」
舞衣の声「既存の顧客は全て、契約の継続を……」
日下部の声「新規は」
舞衣の声「まだです」
日下部の声「そんなんで来月間に合うか?」
舞衣の声「間に合わせます」
日下部の声「それが……だろう……矢野の引継ぎが……」
声が遠のく。
梅子「なんだって?」
久子「全然聞こえへん」
こころ「かなり小声ですね」
矢野、レコーダーを耳に当てる。
矢野「こいつ、俺のこと呼び捨てにしてますよ」
久子「それはええけど。これ全然、不倫現場ちゃうわ」
こころ「どちらかというと、脅迫現場……」
矢野「日下部は、かなり無理な要求をしているのかもしれません。昇進や評価を天秤にかけて」
梅子「あの子、ずっと怖い顔してるけど、相当なプレッシャーだったんだな」
こころ「可哀想……」
久子「こんなおっさんと不倫してると思って、申し訳ないわ」
梅子「悪かったなあ」
久子「何とか、ならへんのかしら」
3人の視線が矢野に集まる。
矢野「ですが、彼女なら、こういう要求も乗り切っていくと思います。川村さんは相当賢くて、タフな人みたいですし、日下部ごときには負けませんよ」
久子「……あんたな、それで堂々と家帰れるんか?」
梅子「どちみち今日で最後なんだろ?」
矢野「いや、でもこれ以上詮索するのは、辞めた方がいいですよ……」
不満げな久子と梅子。
こころ「……」
こころ、ポケットを触る。
突然、ドアが乱暴に開く。
笑顔で入ってきた山田。
山田「矢野さん!」
久子「なんや!」
山田「矢野さん、見つけましたよ!」
矢野「何をですか?」
山田「良いから、来てください!」
満面の笑みの山田、強引に矢野を引っ張って出て行く。

〇同・7階会議室
薄暗い部屋に入ってくる、山田と矢野。
山田「電気はつけませんよ」
山田、窓際に手招きする。
山田「ここから、見てみて下さい」
矢野、覗くと、ちょうど窓から営業三課の舞衣の様子が見える。
矢野「おおーっ」
山田「ここは、今日大きな会議があって、清掃したので、もう誰も来ません」
矢野「なるほど……あ、でも、もうこれ以上の詮索は……」
山田「あ、変ですよ、あの人、ごみ箱漁ってます」
山田はマイペースに話し続ける。
矢野はためらいながらも、営業三課の様子を覗く。
すると、江川がごみ箱を覗き、シュレッダーされた紙屑を見ている。
矢野「さっきの部外秘資料か?」
舞衣が声をかけると、江川はさっとごみ箱から離れ、PCに向かう。
明らかに、舞衣と目を逸らして、だるそうに話をしている様子の江川。
矢野「……?」
梅子の声「当然だろ」
振り向くと、梅子と久子も窓を覗き込んでいる。
梅子「若い女が上に立てば、出る杭は打たれる。男らは良い気がしないだろ」
矢野「確かに。江川からしたら、年下の女子が突然上司になったのか……気持ちは分かりますね」
久子「目立つ女子は大変なんやで」
梅子「けど、あの子は板挟み状態だな。取引先、上司、部下の三重苦か」
矢野「ほんとだ……」
梅子「どうする矢野? このまま会社辞めて家帰んのか?」
矢野「……」

〇同・エレベーター内
上に上がっていく二人の男性。
「入館証」の名札を下げた、亮輔と水島。
亮輔「思ったより、スムーズに終わりましたね」
水島「おう、良かったな」
亮輔「じゃあちょっとだけ、すみません」
二人、7階で降りていく。
水島「ああ、全然。ロビーにいるから」
笑みを浮かべる亮輔。

〇同・7階営業三課
舞衣、PCに向かって、メールを打っている。
面倒くさいな、という表情の重松がこそこそと声をかける。
重松「あの、矢野さんが……」
舞衣「……矢野さん?」

〇同・7階会議室
思い詰めた表情の矢野。
梅子と久子と矢野、薄暗い部屋に座り込んでいる。
久子「うちらなんかな、なんの悩みも無いようにみえるやろ」
矢野「まあ、ええ」
梅子「この子はこないだ、旦那を亡くしたとこだ」
矢野「……そうだったんですか」
久子「まあな」
梅子「うちは、旦那が定年して暇そうにしてるけど、そういうのは幸せなことだと思ってる。いくらでも、新しいことを始められるんだからな」
矢野「はい」
久子「あんな、矢野。家族は、恥ずかしいところも見せあって、一緒に心配したり、応援したりすんのが嬉しいもんやねん。うちは旦那と、もっと恥ずかしからずに話しとけば良かったなってこと、山ほどあるで」
矢野「(頷く)……」
久子「あんたも、家族に堂々と、会社辞めたった! って言ったらええと思うで」
矢野「辞めたった、って……」
久子「……どちみち、このビルに入れるんは今日が最後やろ、あんたがどんなにアホなことして恥ずかしい思いしても、もう明日から会うことはないねんで」
矢野「……確かに……」
久子「な?」
梅子「(期待して)覚悟決まったか!」
意気込んで立ち上がる梅子。
梅子「あれ、山田?」
いつの間にか山田、いなくなっている。
矢野「……とにかく、今日、川村さんを助ける方法を最後まで考えます。川村さんをあらゆる方向から守ることは、私の最後の役目かもしれません。それができたら、きちんと家族にも報告しますので」
梅子「……」
久子「……煮え切らへんなあ」
矢野「(意気込んで)最後の責任を果たしますよ!」
梅子「(思っていたのと違うな、と)……」
久子「人の説教聞くタイプやないんや」
梅子「そうか……」
久子「……まあええわ、うちらも後味悪いしな、今日は最後まで協力したる。あんたが今日、けじめつけて、前進めるようにしたらなあかんやろ」
梅子「その通り……おい、聞いてるか?」
矢野、二人の話をよそに、窓の外にかじりついている。
窓から、営業三課に男が訪ねてきたのが見える。
ちらりと男の顔が見えると、その男は、亮輔だ。
矢野、反射的に顔を隠す。
梅子「どうした?」
矢野「……息子です」
矢野、絶望的な表情。
(続く)

第3話はこちら↓


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