ウィルの揺れる庭ヘッダー

あなたを想う時間2018

庭で過ごす時間は、美味しい食事やお茶の楽しみでもありますが、
心の中に刻まれた時間を呼び起し、愛でる時間でもあります。

バラたちの芽吹きの傍らで、春の楚々として可愛らしい花たちが、
微笑む少女たちのように無邪気に戯れ、柔らかくほころび始める頃。
風に揺れるそんな花たちを一人静かに見ていると、
いつしか私の心の中にもさわさわと風が吹き始め、
柔らかな花びらの感触や、懐かしい香りが満ちてきます。

今日はちょっと幕間休憩ということで。
花にまつわる思い出を紹介したいと思います。

ノイバラに巡り合ったかつての家の前庭に、春になると一面、
紫色の小さな花が咲きました。ニオイスミレです。
いわゆる雑草ですが、それはまたなんともうっとりするような光景でした。
ノスタルジックで、センチメンタルで、心の縁が痺れるのです。
紫が好きな私にとっては、大切な想いを閉じ込めたかのような色。
いつか私の庭にも咲いてくれたらと憧れました。

それからもう何年過ぎたでしょうか。
去年の春、枯れてもなお抜くことができなかったイングリッシュローズ、
クリムゾンのウィリアム・シェークスピア2000の隣に、
懐かしいハート形の葉っぱが揺れているのを見つけました。
もしや、と見守ること数日、そこには待ち望んだ紫色の花が。

ウィリアム・シェークスピア2000(私的愛称ウィル)は私が一番最初に
オーダーした3本のイングリッシュローズのうちの1本です。
一緒に到着したのはクレア・オースチンとレディ・オブ・シャーロット。

経験のある方もいらっしゃると思いますが、裸苗というのは一見枯れ木。
葉もなければ、根もむき出しです。そんな3本をそっと移植したのは6月。
落ち着くまでにはしばらくかかるだろうと思っていました。
けれどウィルは、あっという間に葉を茂らせて、1ヶ月もしないうちに
なんと花を咲かせたのです。本当に驚かされました。

綺麗な綺麗な花でした。なめらかなベルベットのような、深いクリムゾン。
120枚という優美なフリルを重ねた大型ロゼッタ咲き。
そして香りはオールドローズのそれ。見事としか言いようがありません。

私のカメラの腕では、うまくこの色が捉えられず(特に日差しの中では)、
かなりハレーションを起こしているのが残念です。

そんなウィルは、2年目の春も多くの花をつけて楽しませてくれましたが、
夏の終わり、一時帰国していた私が帰ってきてすぐに勢いがなくなり、
そのまま迎えた秋、ぱったりと咲かなくなりました。
それっきりでした。何が起こったのか、全くわかりませんでした。
いつだって微笑んでいてくれたウィルが私の時間の中から突然いなくなる。
ショックでしばらく立ち直れませんでした。

正直言えば、今までだって、何本とバラをダメにしています。
その都度その都度、やっぱり悲しい気持ちになりましたが、
それでも次に育てる時はきっと、と切り返しできていたのです。

けれど、今回は無理でした。
これほど打ちのめされるなんて思いもしなかったわけですが、
しばらく赤い花は育てられない、というか新しいウィルは無理、
そんな風にさえ、思ってしまったのです。

夢の中で私の名前を呼んでくれた懐かしい人の面影を、
ウィルの中に重ね合わせて見ていたせいかもしれません。
いつまでも大切にしたい人。大切にしたい想い。
それはもしかしたら、無情にもちぎられ砕けてしまった、
切ない初恋のようなものだったかもしれません。

そんなわけで、今度こそ本当の枯れ枝になってしまったウィルを
私はどうしても抜くことができませんでした。
永遠に沈黙し、内から朽ち果てていくウィルを見るばかりの日々。
こうなったら気の済むまで付き合ってね、と最後には開き直り。

それから幾度か季節は巡り、ようやく私の気持ちも落ち着いて、
ウィルが寂しくないようにと思えた頃、ニオイスミレが咲いたのです。
嬉しかったです。湧き上がる喜びとはこう言うものなのか。
憧れのスミレにこんな形で巡り会えるとは、感動もひとしおでした。

その日から、小さな芽吹きが次々にウィルの周りに広がっていきました。
まだまだ葉っぱだけですが、これ、すべてニオイスミレなのです。
来年の春にはいったいどんな風景が広がっているのかと想像が膨らみます。

けれど、私の感傷に付き合って、ここにずっと留まってくれていたウィルは
うちに来てから4年目の冬の朝、大きく育ったニオイスミレに囲まれて、
静かに倒れていました。私の中にもう悲しみはありませんでした。
舞台は新しく変わっていくのだと、そう感じることができたのです。

まだ春も浅い頃、花が咲かない時期の寂しさを埋めようと、
開いたばかりのガーデンセンターに足を運べば、私はふと、
いつもヴィオラばかりを手に取ってしまう自分に気がつきました。

まるで笑っているような、あの小さく揺れるきれいな色の花の力に
まったくと言っていい程抗えないのです。ふらふらと手を伸ばしてしまう。
それはもう引き寄せられる虫のごとくに。いつもいつも、気がつけば。
それはバラに対する愛情とはまた別のなにか、けれど私は自覚しました。
そう、私は大のスミレ好きであると(笑)。

そう認めれば、納得のいくことの多いこと多いこと。
特に、菫色という響きには思えば早くから完全ノックアウトでした。
そう呟くと、まるで呪文のように猛烈に想像力を掻き立てられ、
しばらく空想の世界から帰ってこられません、今も昔も(笑)。

それから私はこの花が、食べたくて食べたくて仕方がないのです。
花を食べたいという願望はかなりのものですが、その筆頭がヴィオラ。
そんなでしたから、スミレの砂糖漬けを見た瞬間、恋に落ちました(笑)。

あの輝く結晶に封じ込められた、宝石のような美しさ。
けれどまだそれは、遠いものとしての憧れでした。
甘いものをあまり食べないということもありましたし(作る専門)、
そんな身近にスミレが群生するなんて、考えたこともなかったからです。

けれど今、私にはニオイスミレが残されました。
ウィルはとうとういってしまったけれど、次は紫色の花が咲くのです。
憧れの麗しの「菫色」の、小さな小さな吐息のような花。
春がきたら、ウィルのニオイスミレで砂糖漬けを作ってみようと思います。
スイートヴィオレットの輝きは、どれほど素敵な味がするでしょうか。

次回はまた、庭での美味しい時間に戻ります。

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