見出し画像

フリーターがモラトリアム期間だった頃

日本経済新聞に「フリーター」という言葉が初めて登場したのが1987年ということですが、その頃はわたしもまさにフリーター生活を謳歌していました。
フリーターにデビューしてはじめの頃は、実際にはまだ学校に籍が残っていたので身分的には学生なのですが、ほとんど幽霊学生だったので学校に行くのは週にせいぜい一日程度、日々の生活の中心はアルバイト(と、それで稼いだ給料で趣味を楽しむこと)に行くことでした。

わたしがそういった生活をしていた頃、両親からは「ちゃんと卒業して早く就職しろ」とよく言われていましたが(当然ですよね)、世の中の雰囲気としては「早く就職しないと落ちこぼれちゃうよ」「真っ当な人間は学校を出たら働きに出るものだ」という意見もあったと思いますが、「こういった働き方もある」「無責任ではあるが自由でいい」「夢をかなえるまでの一時的な手段」「なんだかわからん奴らだが悪さするわけでもないしまあ良いか」などなど、さほど悪くない印象も多かったように思います。

今や死後になったようにも見える(というか元々の金融用語でしか使われなくなった)「モラトリアム」という言葉もありました。

金融用語から転じて、社会人としてのアイデンティティを確立するまでの猶予期間といった定義だったと思いますが、一般的には大学生など社会に出る前の、社会的な責任が課せられない期間を指すために使われていたと思います。それがバブル経済による景気拡大の影響で、学校を出た後にまでその期間が拡大したということでしょうか。

本来は「支払い猶予期間」の意であったのを転じて,社会的責任を一時的に免除あるいは猶予されている青年期をさす。生きがいや働きがいを求め,発見するための準備を整える一方,自分の正体,アイデンティティを確定できず,無気力,無責任,無関心など消極的な生活に傾きながら,自我の同一性を確立してゆく。

哲学者で津田塾大学の学部長も務める萱野稔人氏は、日本の大学を卒業後に就職せずフリーター生活をしていた経験があり、その頃はフリーターにさほど悪い印象はなかったのに、フランスの大学へ入り数年後に帰国した頃には、すっかり悪いイメージになってしまったことに多少の驚きがあったと、どこかのインタビューで言っていました。

萱野氏の言うとおり、フリーターはバブル崩壊後しばらくすると、それまでの比較的自由なイメージで、自ら選択しているものだったのが、「就職ができなかった人」「不安定な雇用形態で働くことを強いられた人」というイメージに変わり、長く続いた就職氷河期により「非正規雇用」の増加が社会問題となり解決しないまま今に至り、若者だけの問題ではないということは、今さら言うまでもないことですね。

最近になりようやく労働力の流動化が進み、副業・復業をはじめ働き方の多様化が話題になることが増えました。将来的に、もしかしたら正規と非正規の違いにあまり意味がなくなる時代が到来するのかもしれませんが、それがいつのことになるのかはまったく見えないのが現状でしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?