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第94号(2020年8月3日) 夏休み企画 この夏読みたい5冊


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【夏休み企画】この夏読みたい5冊

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 7月中はずっと梅雨の続きのような天気だった関東地方ですが、今月になってからようやく「夏」が本気を出してきたようで、にわかに夏休み感が出てきました。娘の夏休みも始まったので(今年はコロナのせいで2週間に短縮みたいですが)カルピスの原液を1本買って勝手に「夏」を始めてみました。

 というわけで今回は夏休み企画です。
 読者の方からpeingの方に夏休み読書企画を、という声をいただいたので、今回はこれをやってみましょう。
 夏休みといえば読書感想文。この夏、読者の皆様の理解を深めるのに役立ちそうなおすすめの5冊をご紹介したいと思います。

<ロシアと旧ソ連>
・真野森作『ルポ プーチンの戦争』 筑摩書房、2018年
 2014年は「2Q14」になってしまった、と著者である毎日新聞記者の真野さんは言います。村上春樹が『1Q84』の中で、来るべき「1984」がそれとは別の「1Q84」になってしまった、というように、2014年のウクライナ危機が世界のありようを決定的に変えてしまった、ということです。
 本書のいいところは、どこまでも「新聞記者的」であるということでしょう。ウクライナを巡るロシアや諸外国のマクロな動きは多くの書物で論じられていますが、そういったバックグラウンドの中で現場では何が起きていたのかを伝えるのは現場に足を運ぶ記者にしかできない仕事です。
 もちろん、記者証があれば誰でも書けるものではなく、危険な戦地での取材を厭わない勇気とロシア語のコミュニケーション力、そして相手の話を引き出す情熱のようなもの。本書はそれらが高いレベルでバランスし、ウクライナ紛争に関する第一級の資料になっていると言ってよいでしょう。
 ちなみに、こういう本が自分の国の言葉で読める、というのは世界的にはなかなか稀有なことだと思いますし、それを支えるレガシーな大手マスコミというものの存在価値を再確認させてもくれます。
 それから新聞記者の書いた注目のロシア本としては同じく筑摩選書から、朝日新聞の駒木明義記者による『安倍vs.プーチン: 日ロ交渉はなぜ行き詰まったのか?』がリリースされたばかり。「動く」「動く」と言われ続けながら何故、安倍政権の北方領土交渉が失敗したのかを本格的に検証した初の書物であり、これもこの夏の必読分権でしょう。
 ただこちらはまだ未読なもので、今回は書名のみの紹介とさせていただきたいと思います。

・ティモシー・スナイダー『自由なき世界:フェイクデモクラシーと新たなファシズム』慶應義塾大学出版会、2020年
 ロシアについてもう一冊、紹介したいのは、イェール大学教授のティモシー・スナイダーによる『自由なき世界』です。ロシアのプーチン政権とアメリカのトランプ政権を双子の「フェイクデモクラシーと新たなファシズム」という観点から描いたもの。
 ナチスのファシスト政権を打倒したロシアが「ファシズム」というのはちょっとギョッとしますが、本書の議論は緻密です。19世紀末から20世紀半ばを生きたロシアの亡命思想家イリインのロシア・ファシズム思想を軸に、プーチン政権を支える「論理」に踏み込んでいく展開は息を飲むものがあります。
 ちなみにここでプーチンとイリインを繋ぐリンクとしてクローズアップされているのが、一部ネット上では奇妙な人気を誇る元大統領補佐官ウラジスラフ・スルコフ。この謎に満ちた人物の素顔を描き出したという意味でも本書は出色の出来と言えるでしょう。
 現代ロシアに関心がある人も、全国のスルコフ・ファンも(いるのか)是非手に取ってみて欲しい一冊です。

・岡奈津子『〈賄賂〉のある暮らし:市場経済化後のカザフスタン』白水社、2019年
 アジア経済研究所の岡先生によるカザフスタンの「賄賂」研究。一見マニアックそうですが読み始めてみるとこれが面白いのです。
 某所から本書の書評を頼まれたので、以下に紹介しておきましょう。

 賄賂という言葉は誰もが知っているが、実際に賄賂を使ったことがあるという人はあまり多くないだろう。しかし、世界には賄賂なしに物事が進まないという国が少なくない。旧ソ連諸国はその典型で、警察官、教師、医師といった人々が公然と賄賂を取る。それなくしては国民の権利である行政サービスが受けられなかったり、あるいは不当な目に遭ったりするのである。徴兵も懲役もカネ次第で回避できる。
 では、なぜ、こうも賄賂が蔓延するのだろうか。本書は、中央アジアのカザフスタンを事例としてそのメカニズムを解き明かした好著である。旧ソ連における賄賂の横行は公務員の給与が低すぎることの弊害と説明されることが多いが、本書はもう少し突っ込んだ見方を提供する。
すなわち、カザフスタンにおいては安定した職を得るにもその職を維持するにも多額の上納金を所属機関の上層部に納め続ける必要があるため、公務員が賄賂を取り続けざるを得ない構造が成立しているのである。つまり、賄賂は半ば制度化されているのであって、個々の公務員はその中に囚われていることになる。これはカザフスタンに限らず、社会現象としての賄賂を理解する上で有益な視角となろう。
 また、本書は、カネとコネの複雑な関係性にも光を当てる。旧ソ連はコネが物を言う情実社会だったが、ソ連崩壊によってカネ社会になったという図式はよく指摘される。だが、本書によると、カネとコネは密接な相関関係にあり、コネがなければ賄賂を払う相手さえ見つけられず、逆にコネさえあれば賄賂を「割引」してもらえるのだという。コネ社会では借りを作ることは社会的コストになるのでカネで済ませた方が後腐れがない、という指摘も面白い。
 社会主義体制の崩壊という激震をカザフスタン社会がどう生き抜いてきたのか。本書はそれを賄賂という現象に凝縮して描き出した。この点が、本書に独特の広がりを与えているといえよう。

<アフター・コロナ>
・イワン・クラステフ
『コロナ・ショックは世界をどう変えるか-政治・経済・社会を襲う危機』中央公論新社、2020年
 コロナ危機後の世界がどう変わるのかは、現在、人気のトピックです。というわけで「アフター・コロナ」本みたいなものも氾濫しているのですが、ブルガリアの「リベラル戦略センター」理事長を務めるクラステフによるこの短い論考は一頭地を抜いていると感じました。
 深い教養に裏打ちされた世界観をもとに、冷戦後の世界とはどのようなものだったのであり、それをコロナ危機がどう変えていくのかが論理的に、緻密に論じられています。
 面白いのは、彼がそれを7つの「逆説」として結論化したことでしょう。つまり、コロナだ、それでこう変わる、という単純な議論ではなく、コロナ危機の影響が非常にねじれた形で現れるだろうということです。
 例えばコロナ危機への対応で権威主義国家が比較的上手くやっているので権威主義モデルが信憑性を持つ、という議論が現在は大人気ですが、クラステフはそこに留保をつけています。権威主義はたしかに一定の信憑性を得るかもしれないし、自由民主主義国でも平時で考えられないような強権的措置を取る国が出るだろうが、そのような状況だからこそ権威主義への警戒感もまた高まるだろう、という議論です。
 その行き着く先は、2010年代から進んでいた権威主義と自由民主主義の分断の深まりということになるでしょう。
 また、孤立主義への志向の強まりという多くの予測に対しては、孤立するにも一定の自給能力が必要になるので、逆説的に欧州のような広域が「孤立」の単位になる、と予測されています。
 それぞれの「逆説」がどこまで当たっているかはこの先の展開によって検証されていくでしょうが(本書の原文は何しろ4月に書かれています)、「コロナで世界がすっかり変わる」と言った粗雑な議論よりは遥かに精緻な思考の手がかりを与えてくれる筈です。
 ちなみにコロナ危機後の世界がどこまで変化するのかについては、米外交問題評議会のリチャード・ハースが「コロナは歴史を変えるのではなく加速する(The Pandemic Will Accelerate History Rather Than Reshape)」という論文を『フォーリンアフェアーズ』に書いています。
 要するに2020年代は「長い2010年代」のようなものとなり、コロナ危機はそれを加速する要因だという議論で、私の見方は今の所これに近いです。

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第83号(2020年5月18日) 「ポスト・コロナ世界」とロシアの「勢力圏」

<安全保障>
・ジェフリー・ルイス
『2020年・米朝核戦争』文藝春秋、2020年
 米ミドルベリー国際大学院モントレー校ジェームズ・マーティン不拡散研究センター長のジェフリー・ルイスが、架空の米朝核戦争を「事後報告書」という形で描いた異色のシミュレーション小説。
 この手の本も珍しくはないのですが、本書は本職の学者が膨大なインタビューの上で書いているだけに真に迫るものがあります。作中の展開はボタンのかけ違いに次ぐかけ違いといった趣があり、北朝鮮が韓国の高校生が乗った民間機を米爆撃機と誤認して撃墜するところから始まり、文在寅政権による「限定報復」が北朝鮮による核報復を招き、さらにトランプ大統領の不用意なツイートに北朝鮮が今度は対米核撃を決意するところまで行ってしまいます。
 正直にいって、全く救いのない内容ですが、安全保障に関わるものとして非常に考えさせられるところ大でした。
 抑止とかエスカレーション理論とか、我々はいろんな論理を操るのですが、いざ命のやりとりが始まった時にそんなものがどこまで通用するのか。「やってみるまでわからない」というのが情けなくもリアルな「我が業界」の実情なのではないかという感が非常に強く残りました。
 まぁ古来から戦争計画というのはこういうものであって、それでも何かしら計画が必要だから作るのですが、それを偶像のように崇拝してはならないというのが本書の与える最大の教訓と言えるでしょう。

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